第十九話 鶴ヶ島とシーと、最後に牛鬼
風紀委員室で鶴ヶ島美鈴は一人、今朝の押収品の整理をしていた。
漫画、菓子類、ゲーム機など、学校生活には一切必要のない不要物を眉をしかめながら貴重品以外の物を処分する。
厳格な家に生まれたせいもあってか、鶴ヶ島にはこういった嗜好品に興味がなかった。こんなものより剣の腕を磨いた方が自分のためになると信じていたからだ。
鶴ヶ島家流の名に恥じぬ腕前をつけるため、日々の鍛錬を一度も怠ったことはない。
なぜなら、この世に害をなす悪鬼羅刹から人々を守る事が鶴ヶ島家の使命だからだ。
ゆえに世界の異能者を束ねる組織『カラス』に代々、属している。
喜ぶべきか、悲しむべきか、鶴ヶ島家の当主である父とその弟子達はその腕を認められ、指南役としてカラスの最高機関『大東連合郡中央本部』略して『本部』と呼ばれる部署に出向していた。
家にいるのは、前当主の祖父と母しかいない。ならばこの街に伝説の牛鬼が来ているのなら、力を持つ者として悪鬼から人々を守るのは当然だ。
「なのに、その仲間の一人がこんな男とは……」
風間エイジと書かれた押収品箱をため息をつきながら見る。
先日、事務所の佐藤所長から連絡があったのだ。
「うちの人間と共同作戦に参加してくれないか? もう君にしか頼める人間しかいなくてさ」
「えぇ、構いません。それで参加者は誰なんですか?」
赤城ユイと風間エイジ。
前者の名前はよく知っていた、『銀髪赤眼の精霊使い』若干十五歳にして銀バッヂを身に付け、その実力は折り紙つきだ。
半年前に集団戦なら勝てるだろうとシー討伐作戦が開始された。だが、参加者は壊滅。彼女はシーと対峙して生き残った数少ない人間だ。
それ以来「シーには近づくな」が事務所の決定事項になった。本部にも伝達したらしいが、田舎の異能使いは実力不足だ、自分達で鍛錬して再び挑むべしと返答されたらしい。
そのせいで、事務所からの依頼を断る人間が絶えないと聞かされている、彼女だけが唯一、誠実に心折れる事なく依頼をこなしている。
そんな彼女を鶴ヶ島は誉れと誇りのある人間と高く評価していた。
彼女に最近、相棒が出来たという話は聞いていた、その名は風間エイジ、一か月前に転校してきた人物だ。
大した能力もない彼がなぜ彼女の相棒になれたのか不思議でならなかった、しかし校内で彼を知る人間は多かった、その噂話も聞いている。
全ての人間が彼を『善性の問題児』と総評している。
異性の同級生には平気でセクハラまがいの事をし、授業中にお菓子を食べ終わるといびきをかいて眠り教員達の反感を買う。
だが、不思議と彼を嫌う人間は少なかった。
クラスは彼が来てから明るくなり、問題児の安元を屈服させ今ではクラスメイト達のために働く真人間に変えたらしい。
教員達も授業態度は不真面目だが、不思議と成績は悪くなかった。
「まるで、違う誰かが回答を出してる様だ」そう言って彼のテスト結果を教員達は驚いた。
サラリーマン体質の多い教員達は自分の持ち教科でテストの平均点が落ちる事がなければ多少の事は目をつぶっていられたのだ。
彼女らの事を考えながら、シュレッター機に投入しようとする。
「こんな卑猥なものを……」
怒りを噛み締めながらエイジから押収したエロ本を細断しようとする鶴ヶ島。
ふいにページを開いてしまった、いや開いたのだ。始めはただの好奇心だった。
「なんだ、これは……なんてところを舐めているんだ」
少し読んでくだらぬと捨てるつもりが、一ページ、また一ページと手が止まらない。
男女が乱れ、絡め合うその写真を次はどうなるか、どうなってしまうのかという興味が手を止められなかった。
「副委員長」と風紀委員が入ってくる。
「ひゃぁっ!」顔を真っ赤にして、思わず自分のカバンの中へ本をしまう。
「ど、どうしたんですか?」
突然の大声に、風紀委員も驚く。
「いや、なんでもない」
「もうすぐ放課後なんで、押収品を生徒達に返納しますね」
「あ、あぁ。頼む」
全ての箱を運び出される、エイジの箱もそれと一緒になった。
自分も生徒玄関へ行って、返納の手続きをしなければならない。そして、この風紀委員室も鍵をかけられ業務が終わればそのまま解散だ。
どうしようかと考えてるうちに風紀委員の仕事が終わり、校内に戻る事もできず、帰路の最中にカバンにしまった本をどうしようかと考える。
仕方ない、学校近くの公園の森に捨ててしまおうかと思考が乱れる。
その思考をすぐに理性が否定する、自分は風紀委員、まさかそこいらの学生や妻子持ちの年配者と同じ行動を取るなど許せなかった。
かといって、このまま持っているわけにも家にも持ち帰るわけにもいかない。
「気づいたら、公園に来てしまった……まさか、自分がこんな事を……」
カバンから本を取り出す。
今なら、誰もいないならばこれは天が与えた好機なのかもしれない。自分に都合の良い答えを導き出す。
「あれ? 鶴ヶ島先輩なにしてんすか?」
「わああああ!!!」
後ろから声が聞こえて、悲鳴をあげる鶴ヶ島。
「なにしてんすか、こんなとこで? 一人で寂しく公園の散歩? 寂しいっすね~俺が付き合ってあげましょうか?」
本を背に隠して、天からの好機を奪ったエイジが笑顔で鶴ヶ島を見る。
「いや、そういうわけじゃ……」
「はは、少しは照れてくださいよ」
「パトロール……そう、パトロールをしているのだ。君みたいな輩が校外で悪さをしないようにな」
「……」
エイジが静かになる。挑発じみた発言に気を悪くしたようだと鶴ヶ島は思った。
――瞬間、鶴ヶ島の全身に悪寒が走る。
「なんだ、これは?」
遠くからだが、この嫌な気配の正体を知っている。シーだ、やつは距離など気にもしないだろう。
自分一人で異能殺しのシーを相手にできる自信がない、一度遠目に見ただけで敵わない、そう結論付けるには容易い相手だった。
「キミ、気づいているのか?」
「もちろん」そう言って、エイジは身を低くする、まるで狼が獲物に向かって飛びつくような体制だ。
「何をしようとしてるん――?」
エイジは鶴ヶ島に飛びついて、そのまま藪の中へ飛び込んだ。
「キ、キミは何を考えている! やめろ!」
後ろから自分を羽交い締めにするエイジに抵抗して、バタバタと暴れる。
「先輩、静かにっ!」
「何が静かにだ、ひゃぁっ!貴様をどこを触っていっ!」
口を塞ぎ、身体を密着させるエイジは「しっー」と息を吹く。
エイジは普段なら柔肌と体温に鼻を伸ばしているところだが、彼の目は低い木々の隙間から見るシーに集中していた。
走って逃げれる相手ではない、ましてや相手は完全にこちらに気づいた。あの時のように瞬間移動レベルのスピードでこっちに近づいている。
それを説明するには、時間がなかった。乱暴だが、ここで応戦するには彼女の存在が邪魔だ、なのでエイジは身を隠すことにしたのだ。
「んっー!んっー!」
「シッー!」と再び口で合図をするが、彼女は声にならない抗議を続ける。その真意は、エイジが自分の胸を掴んで押さえつけている事だ。
『マスター、気配遮断完了しました。あれに我らの姿は見えていません。ですが、他の物に干渉すれば悟られます。絶対に彼女を離さないで声を出さないでください』
「わかってる」と暴れる彼女を押さえつける。
すぐ近くでシーが周囲を見渡し「ウッーウッー」と低い声を出しながら、自分達を探し続ける。
前回会った時と変わらない白いワンピースをゆらゆらと宙に泳がせている。目は長い黒髪で見えない、だが髪型でどちらを見ているかはわかる。
暴れていた鶴ヶ島の動きが止まった。
鶴ヶ島もシーの姿に目が離せなくなる。そのおぞましさに彼女の身体は恐怖で震える。
「ハァーっ!」とシーが藪の中に顔をつっこんで、エイジ達の頭上で獲物を探し始める。
数分間探し続けるが諦めたのか、シーはまた低い唸り声を出しながら遠くへ行ってしまった。
シーの姿が見えなくなった事を確認して鶴ヶ島を離した瞬間、バチンッとエイジの頬が音を鳴らした。
「バカッ!最低っっ!乱暴すぎよっ!」
「火急の様でしたので、ああするしかできなかったんすよ」
「それでも、キミは女の子の身体を雑に扱いすぎる!」
当然だ、急に薮の中に押し倒されたのだ。この怒りは当然のはずだ、だが、腑に落ちないエイジ。
怒る鶴ヶ島はわかっていた、どうやってシーの目をごまかしたのかわからないが彼がシーから自分を守ったに違いないと。
それでも、許せない事があった。
「すみません、あと本当におっぱい揉んですみません」
「くっ~!」感謝すべき相手なのに、素直に感謝できない相手に憤りを感じ、睨む事しかできない。
その涙目で睨む彼女の背後に白い影が伸びる、シーが立っていた。
「先輩、あぶないっ!」
エイジは反射的に鶴ヶ島を突き飛ばし、シーに掴まれる。
「まずっ……」
シーはエイジの顔に近づき、口を大きく広げ始める。
「風間! 逃げろ!」
「ムリでしょ、こんなん」とエイジはふっと笑う。こうなれば仕方ないとドラゴンズアーマーを纏おうとした瞬間。
「なんだ、面白い匂いがするから。来てみれば女霊が夕刻にうろつきまわっているとは、丑三つ時にはちと早いのではないか?」
シーの腕が握り潰され、エイジが開放される。
「あんた」
「よぉ、小僧。また会ったな」
そこには二メートルの巨体、自分を見て笑う口から覗かせる鋭い犬歯が光る、ボロボロのローブを羽織った男。
牛鬼が立っていた。
シーは腕を瞬時に再生し、牛鬼を威嚇する。この街、最大の二つの凶悪が対峙した。




