その999 『i■ その12』
裏口からギルドを出る。男が手配したラクダ車に乗ると、そのまま屋敷へと向かった。夜分というのもあり、外は静かだ。都の様子を確認したい気持ちに駆られたが、窓は開けなかった。
ラクダ車のなかで、少しうとうととしてしまったらしい。気がついたら、ラクダ車は止まり、到着した旨を伝えられた。
「では、これで」
御者に挨拶をし、久しぶりの屋敷へと進む。見上げたアイリオール家の屋敷は、思った以上に変わっていないように見受けられた。
「お疲れ様です」
屋敷で雇っていた門番はもういない。だから、屋敷の門を通り過ぎた先で代わりに出てきたのは、ハリーだった。ちょうど玄関近くにいたらしく、セラに気づいて駆け寄ってきたのだ。
「ご苦労さま。あたしがいない間、何かあった?」
「何もございませんでした」
ハリーの言葉にそれはないだろうと思ったが、追求はしないでおく。
というのも、玄関に踏み入れた時点で、聞くまでもなく分かったからだ。
全体的に埃っぽく、掃除がされていない。ミヤンがもういないせいだ。ハリーだけでは到底掃除できないので放置してあるのだろう。
「食事はとれているかな?」
「はい」
返事はあるものの、やつれて見えたハリーの様子から、信用するのはやめた。
念の為厨房を見させてもらおうと、進んだところで絶句する。腐臭が厨房から漂ってきたからだ。恐る恐る中を覗くと、案の定腐った食べ物が散在している。食材の購入は続けているようだが、消費が間に合っていないのだろう。この厨房で、ハリーが自身とブライトの母、ベルガモットの料理を用意していると思うと、頭がおかしくなりそうだった。
「衛生的によろしくないから、もう少し優先的に掃除できないかな? あたしの世話はいらないから」
「かしこまりました」
ハリーの手が空いている間を使って少しずつ片付けをしている様子は見受けられた。そのため、そう指示を出す。
早速、セラのことを無視して腐った食べ物の廃棄をはじめるハリーを見て、セラは一人で屋敷のなかを巡る決意をした。
――――ただいま戻りました、ブライト様。
しんとした部屋が、セラを出迎える。埃の積もった、暗い部屋だ。『魔術師』の部屋にしては、造りが狭いという認識がある。尤も物がごった返しているせいもあるだろう。
感覚だけで歩いて、明かりをいれる。久しぶりでも、すぐに分かった。ぼっと灯った明かりが、瞬く。
「なんて、いるわけないんだよね」
呟いた言葉が、部屋の中を漂った。
真似をしたのはわざとだった。だからこそ、余計に寂しさが胸に宿る。
その寂しさはリリスの顔を呼び起こした。それで、次に向かうべき部屋を思い起こす。
「お母様にも、顔を出しておかないとね」
あくまでブライトの声で、続けた。
「ただいま帰りました、お母様」
トントンと扉を叩くが、返事はない。少しして失語症だったと思い出し、自ら扉を開けた。
寝ているかもしれないと思ったが、寝息は聞こえない。ただ、よく耳をそばだてると書き物をしているような音がする。文字を書いているのだと気づき、その場でじっと待った。
暫くして、はらりと寝台から紙が舞った。セラが取りに行き、その紙を開ける。そこには、
「遅い」
と文字が綴られている。
「申し訳ございません」
空けた期間を思えば、確かに遅すぎる。セラはすかさず謝罪した。そうしてから、果たしてブライトは母に敬語を使うものかと不安がよぎる。
「愚か者」
特に続けて渡された紙が、いけなかった。まるで、ブライトになりすましたセラだと気づかれているかのように受け止められたからだ。
「申し訳ございません」
反射的に謝ってから、自分のことを告げようとした。
「報告を」
そこで渡されたメモに戸惑い、訝しむ。いつの間にか漂ってきた香りに思わず一歩退いた。
何かがおかしい。
そう、セラの中で警告が鳴った。ブライトと母の関係の希薄さは薄々知っていた。だが、それを踏まえても警戒心は収まらない。悩んだ末、セラは本能に従った。
「失礼します!」
半ば叫ぶように、外へと飛び出す。そうして、背後の扉を閉めた。
深呼吸すると、意識が落ち着いてくるのを感じた。警戒心が故にしっかりしていた気でいたが、頭の中がはっきりしてくる感覚があった。意識を麻痺させる香りであったかもしれないとアタリをつける。何故そのようなことをする必要があったのかと問いかけるが、答えはすぐに出てこない。とにかくと逃げるように廊下を曲がったところで、風切音を拾った。
「何?」
言葉に出す余裕があるなら、動くべきだった。ぺたっとした何かを身体に当てられた途端、足の力が抜けたのだ。
一瞬遠のいた意識は、次の瞬間、廊下にぶつかった衝撃で引き戻る。激しい音がして、頭がぐわんぐわんと鳴った。これは、最悪の倒れかただと意識する。
セラは身体を無理に動かした。襲ってきた敵を見極めようと、くるりと身体を捻る。
ぼやけた視界に、白銀の髪が映る。
「克望? なんでここに」
目の前にいたのは、白装束を着た刹那だ。だからこそ、裏にいるのが克望だと分かってしまった。
同時に、嵌められたとも気がつく。
「憐れ哉。貴様は人に恵まれない」
答え合わせのように聞こえてきた克望の声に、すぐに本人だと思い至った。恐らく、当てられた札には法陣が描かれていたのだろう。眠りの魔術かもしれない。
「何故我がここにいるか疑問か。全ては仕組まれていたからと言えよう。貴様は、生かすには危険すぎる」
それは、宣告だった。床に倒れたセラでは、もう何もできないと見据えての。
「仕組まれて、いた、……って?」
掠れゆく意識から絞り出した声に、同情でもしたのか克望は続けた。
「貴様は何故と思うだろうが」
その言葉は、セラの心を読むかのようだ。
「ベルガモット殿とは、文通仲間よ。貴様の裏切りに気が付いて、よく相談を受けていた」
あり得ない言葉に、理解が追いつかない。
むしろ、裏切りにあったのはセラだ。魔術書を持ち込むという任務をこなし、ようやく屋敷に戻ったところで、こうして慌てて部屋を出ることになった。後者を裏切りととれなくはないが、それは危機感からしたことだ。確かに成り代わりの話もできずじまいだが、そもそもがはじめから意識を鈍らせる香を焚くという状況で、ろくに話さえさせてもらえなかったのだ。
そこまで考えて、『よく相談を受けていた』という発言に改めての理解が及ぶ。セラではなくブライトの裏切りについての言及だと気がついたことで、余計に納得がいかなくなった。
それに、目の前の克望こそ、シェパングの重役でありながら、シェイレスタにいるのがおかしい。何故シェパングに帰っていないのだと言いたくなる。
「暗示があっても、人の心の中を全て操作することはできまい」
どちらにせよ、まんまと克望の手の中に落ちていくのが分かった。それでいて、しかしもうどうしようもない。
刹那に見下ろされた時点で、身体の自由が全く効かなくなっていた。
「おやすみ」
刹那の手が、覆い被さっていく。視界から光を取り除くように。セラの意識は完全に落ちた。
「退くがよい、シェパングの者よ」
ただ、その声だけが、何処か遠くで聞こえた気がしたのだ。
エドワードが直接出向いて克望たちを牽制したのだとは後で聞いた。そのお陰で、セラは克望に捕まらずにすんだのだという。捕まっていたら記憶を読まれた挙句に殺されていただろうから、よかったとしかいえない。計画も全て水の泡になるところであった。
しかし、元々助かる予定のなかった計画だ。式神もなくしてしまったセラは、何の対策もできないまま、シェイレスタの牢屋に送り込まれることになった。
この後、エドワードと話す機会が訪れることになる。そのときまで、セラはブライトになりきる。最後の最後まで、なりきって、そうして……。
――――少シデモ生キテイテ、欲シカッタ。




