その99 『ミンドールの探し人』
「ねぇ、リュイス。聞いてもいいかしら」
「なんでしょう」
深紅の絨毯を踏みしめながら、イユは聞く。
「イクシウスとギルドの関係について。何だかよくわからなくなってきて……」
イクシウスは大国だ。そしてギルドは国ではなくあくまで一つの組織に過ぎない。それはわかっている。しかし、ギルドはこのインセートに介入してイクシウスとシェイレスタの間を取り持った。その際に、イクシウスからインセートを借りる形となり、ギルドはイクシウスに旨味を与えたことで今の関係を維持している。まとめれば、こうなるはずだ。
「それなら、ギルドとイクシウスの仲は表面的には仲が良いことになるでしょう? けれど、実際はそうでもないのよね」
リュイスには言いたいことが伝わったようだ。確認をされた。
「一つの島で利害関係が一致しているのならば、イクシウスが所有している他の領土で同じことが起きてもよいのではないか、という話ですね」
「えぇ」
何故イクシウスが他の島でのギルドの活動を認めないか、イユにはよくわからなかったのだ。
「ギルドに権威を奪われたくないからでしょうね」
聞きなれない言葉に、イユは首を傾げた。
「権威……?」
リュイスは疑問に答えず、むしろイユに質問をする。
「元々この世界には、イクシウスしか国がなかったというのはご存知ですか」
イユは首を横に振った。字も知らないイユに、世界の歴史などわかるはずがない。
「そうだったの」
「はい、はじまりはイクシウスでした。それが大昔に意見の対立からイクシウス内で分裂が起き、結果シェパングが興ったと言われています」
新しく聞く知識に、目を丸くした。シェパングは刹那の故郷だ。独特の衣装を着た人々のいる国が、元々は同じイクシウスだったとは聞かなければ考えつきもしない。
「そして、五十年以上前にイクシウス国内の王位継承争いで起きた争いをきっかけに興ったのが、シェイレスタです」
何故シェイレスタが若いと言われていたのか、ようやく察した。大昔に起きたシェパング、それよりもはるか昔から存在していたイクシウス。それらと考えると五十年近くの歴史しかないシェイレスタは確かに若い。
「こうしてみると、昔に比べてイクシウスの権威が衰えているのではないかと語る者もいるわけです」
リュイスに指摘されて、イユは権威の意味を察した。栄光は過去のものとなり、今まで振りかざしていた力がなくなっていったのだ。
「そうすると、今まで力で抑えつけていた部分が段々いうことを聞かなくなってきます。この状態で、これ以上ギルドに介入されたくはないわけです」
なんとなく言いたいことが見えてきた。
「なるほどね」
イクシウスはもっと揺るぎない何かだと思っていた。だが、実際は違うのだ。徐々に崩れていく足場の上で、必死に力で人々を抑えようとしている。その中に不確定要素になりかねないギルドを入れたくない。本当はインセートも、イクシウスで押さえておきたいのかもしれない。しかしシェイレスタのことがあるから渋々ギルドを受け入れた。そういうことなのだろう。
「……お言葉ですが、外ではその話はなさらないように」
今まで沈黙を守っていた案内役の女がそう言った。
「イクシウスの兵士はこの街にもきます。そしてイクシウスを貶める発言をした者を告げ口する輩も。ギルドにいるからこそあまり目に余る発言はしないでください」
その言葉は、イユには鋭い針で刺されたかのようにきつかった。
「心得ました」
リュイスはそう言って頷く。イユも慌てて続いた。
「では、これで」
案内役の女が扉を開ける。イユたちはギルドの受付まで戻ってきたのだ。
後ろを振り向けば、女が礼をして扉を閉めていくところだった。
イユはリュイスを見やる。リュイスに頷かれて、イユも頷いた。
忠告も無下にすることもない。先ほどの話はここまでとする。
イユは改めて周囲を見回した。ついついその景色に目が奪われてしまう。人がたくさんいて、文字も無数にあって、知らないもので溢れている。どうしてもイユにはこの景色が珍しいのだ。
その景色の中で、ふと見知った影を見つけた。受付で、どこか寂しそうに肩をすくめてみせている一人の男の姿。
「ミンドール?」
イユの後ろで、リュイスが止めに入ろうとした。
「今、彼に声をかけるのはあまり……」
「構わないよ」
イユたちの話し声に気づいたのだろう、ミンドールはそう言って手を振ってみせる。
「何をしていたの?」
近づけば、その目が落胆の色を浮かべているのに気づいた。
「いや、何、いつものことさ。ここで、定期的に妻と娘の行方を尋ねているんだ」
意外な答えが返ってきて、イユは返答に詰まった。
「……探しているの? 家族を」
「あぁ。もう十二年になるかな。いまだに見つかる気配がない」
あくまでもさらっとミンドールは返す。
だが、十二年とは……。
その数字に、イユは何も言えなくなる。
十二年も誰かを待ち続けるとはどういう気持ちなのだろう。それに、行方とは。妻と娘は、必ずどこかで生きていると言えるのだろうか。それとも……。
「そう。君たちに謝っておきたくてね」
場所を変えようと促され、人のいないスペースへと歩き出す。
すぐに話題を切り替えようとするミンドールに乗ってイユは尋ねた。
「謝る? 何を?」
正直なところ、全く身に覚えがなかった。
そこにミンドールはさくっとネタ晴らしをする。
「君が甲板の手伝いをする条件に、アグルと会わせるようにと頼んだんだ」
頼んだ相手は、リュイスだろう。イユは合点が行く。リュイスは真っ先にアグルを紹介しようとしていた。おすすめというわりには、向こうはずいぶん怯えているようにみえたがそれらはすべてミンドールの差し金だったというわけだ。
「理由を聞いてもいいかしら」
「彼を前に進ませるため、かな」
余計なおせっかいだとは思ったんだが。とミンドールは続ける。
「アグルはずっと、ヘクタだったかな。友人のことを気にかけていて苦しんでいたからね。 少しでも異能者施設についてわかれば、道が開けるかもしれないと勝手に思った」
確かに、アグルはずっと気に病んでいたようだ。とはいえミンドールも随分なお人よしだ。
そう思ってから、イユは何気なくリーサを思い浮かべる。友人の自殺。そのキーワードが浮かんだ瞬間、もしそんなことになったらと考えただけで、体が震えた。
「とはいえ、君には悪いことをしたかなと思ってね。話したくはないだろう」
イユは首を横に振った。ろくなことを考えなかったせいで若干青くなったこの顔に気づかれないように祈りながら。
「結局、ブライトが殆ど話してくれたし、私は何も……」
「そういってくれると、気は楽かな」
ミンドールはそう言って優しげに微笑む。その優しさはどこからくるのだろうと思った。
「あ、レパードが戻ってきましたよ」
リュイスの声に振り仰げば、確かに歩いてくるところだった。
「話は終わったのかしら?」
近づいてきたところでレパードに聞けば、渋い顔で返ってきた。
「話はな。だが、別件ができた。俺はすぐに動くから、そうだな……、サーカスにでも行ってきていいぞ」
ちょうど保護者もいるしと言わんばかりにミンドールを見やるレパードに、ミンドールはやれやれと手を振った。
「残念だけど、最後までは見られそうにないよ。20時に別口で約束があってね」
「どうせ酒だろ」
突っ込むレパードに、ミンドールは否定しなかった。
「酒の付き合いも世渡りには大事だよ」
それを聞いてか、レパードは何か言いたそうな顔をする。イユの耳には聞こえた。「はっきりしてからでいいな」という独り言が。それからミンドールには「溺れるなよ」とだけを言って、去っていく。
何だろう。気になったが、追及する暇もなかった。マドンナに会う前も少し気が急いていたようだったし、ひょっとすると今日のレパードは忙しいのかもしれない。
「イユ。サーカスのチケットを見せてもらってもいいですか」
リュイスに言われ差し出す。
彼はそこに書かれている文字を読み上げる。
「サーカスは19時からの開演……。まだ時間がありますね」
「何か行きたいところはあるかい」
ミンドールの質問に、イユは心躍った。外の景色はイユにとってすべて新しい。そのすべてから自分の意志で行きたい場所を選択することができる。なんて自由なのだろう。
そう考えてから、ふと気づく。行きたい場所を指定できるほどの知識がないことに。
「…………?」
不思議そうな顔をするミンドールに、イユのやりたいことは決まった。
「私、字の勉強がしたいわ」
まずはそこからだ。字を知ることができれば、イユはこの街を知ることができる。知らないものはこの目で見て学べばいい。だが字だけは、イユとは別の次元にある何かだ。理解ができない。
「君はまじめだね」
驚いた顔でいうミンドールに、思案顔のリュイスが閃いたと顔を輝かせた。
「そういうことなら、書店に行ってみませんか?」
「書店?」
「本がいっぱいあるところです」
リュイスの答えに、イユは首を捻った。図書館と何が違うのだろう。
「こういう街にいかないと、書物は手に入らないですし。まずは簡単な絵本から手を付ければいいと思うんです」
その発想に飛びついたのはミンドールだ。
「いい案かもしれないね。自分だけの本があれば、意欲も沸くだろうし」
自分だけの本。何気ないミンドールの言葉に、イユは初めて図書館と書店の違いを知ったのだ。




