その97 『マドンナ』
「お前ら。話していないで行くぞ」
戻ってきたレパードに声を掛けられて、振り返る。レパードの後ろで待機していた正装の女に会釈された。どうも案内役のようだ。
「すぐに会えるのですか」
「あぁ、運がいいことにな」
二人の会話を聞きながら、イユは女の後について歩く。
直ぐに分厚い扉の先に通されると、人のいる気配がぷつりと途絶えた。長い廊下だけが目の前に延びている。深紅の絨毯の敷かれていたそこを踏みしめると、何故か胸に苦しさを覚えた。居心地の悪さから、早く着かないのかと焦りを覚える。女を無視して進みたいが、その背中を飛び越すのも躊躇われた。そうこうしているうちに、ようやく大きな扉が見えてくる。
「どうぞ」
案内役の女は扉の前で止まり、イユたちを振り返ってから道を譲る。
木に装飾が彫られた豪奢な扉だ。偉い人はこういうところにお金を使う余裕があるのだと、妙に納得がいく。
レパードがその扉を開けて先に中に入る。扉の先には、イユが二人は寝れるのではないかというほど大きなテーブルが置かれた部屋があった。そのテーブルに一定間隔に椅子が並んでいる。その椅子ですら背もたれに肘掛と、一切の妥協なく装飾が施されている。そして奥には大きな絵が壁一面に掛けられている。そこに、赤い椅子が描かれていた。
「誰もいないじゃない」
呟くと
「直接は無理だな」
とレパードに言われた。
せっせと椅子に座るレパードに、意味が分からないまま、イユも真似る。リュイスもだ。
そうすると、それを待っていたかのように、突如大きな絵が光を放ちだした。
「何……?」
じっと絵を睨みつけて、ようやく気がついた。
絵だと思っていたそれは、実は絵ではなかった。その画面は真っ白い光に覆われたと思うと次の瞬間、赤い椅子に腰掛ける美しい女を映し出したのだ。腰まで流れるうぐいす色の美しい髪のせいか、それともその真っ黒なドレスのせいだろうか、女からはどこか妖艶な雰囲気が漂っている。また髪と同じ色の瞳からは冷ややかさすら見受けられた。
「久しいな、マドンナ」
レパードの言葉に、仰天しかけた。大体の年齢を聞いていなかったら、目の前の女はレパードより年下にしか見えなかっただろう。それほどに女は若く見えた。
女の薄紅色の唇が開かれる。知性を感じさせるような深みのある声がした。
「あぁ。久しいの、ルイン」
聞きなれない名前にレパードを見やる。レパードは帽子に手を当てているところだった。
「それは一昔前の名前だ。知っているだろ、今はレパードだ」
「その一昔前に置いてきた女に、今も追われとるくせに。それにそちは名前が変わりすぎて一々覚える気も失せるわい」
二人のやり取りをみて、意外と親しげなのだと感じる。創設者というのだから、余程遠い存在なのだと勝手に思い込んでいたのだ。加えて、女の言葉遣いが独特なせいか、見た目ほどの冷たさは感じられない。
「お久しぶりです、マドンナ」
「そちは、リュイスじゃな。ちょっと見ない間に随分男前になったものよ」
「えっと、ありがとうございます」
それから、絵の中のマドンナはイユを見た。
「初めまして。私はイユよ」
先手必勝と、イユは挨拶をする。何に勝ったつもりでいるのかはイユ自身もよくわかっていない。
「あぁ、初めましてじゃな。妾はミネルヴァ。皆からはマドンナやらギルドマスターやらと呼ばれておる」
「偉い人なのよね」
相槌代わりにわかる範囲の感想を呟くと、女の目が少し細められた。
「『偉い』か……。のぅ、そちよ。偉いとは凄いことと思うかぇ」
唐突な質問に、イユは面食らう。
「知らないわ。創設者っていうぐらいなのだから、凄いんでしょう」
問い返すと、女は意地の悪い顔を浮かべてみせた。
「知らないときたかぇ。そうじゃのぅ、妾は『偉い』とは『孤独』と同義じゃと思っておる」
その持論に、イユはぽかんとした。
「『孤独』と同じ?」
「そうじゃ。『偉い』とはほかの者より秀でているということじゃ。つまり、ほかの者と違うということを意味する」
何故か、イユには異能者が浮かんだ。異能を使えることで普通の人と違う存在。異能が使えるからと言って偉いというわけではないが、マドンナのいう喩えに似ている気がしたのだ。
「ほかの者と違うと、何かと区別されやすいものよ。そうすると気づけばその『偉い』存在は孤立する。孤独になってしまうわけじゃ」
「つまりあなたは孤独だと?」
マドンナは薄く笑った。
「ふふ。そうならぬように気を配っておる。だから、妾のことを『偉い』と決めつけないでもらいたいのじゃ」
「それなら、どうしてこんなに豪奢にするの」
「ほぅ?」
意外な質問だったのか、マドンナの目が細められた。
「お金は『手段』だって聞いたわ。それなら、ここを豪奢にしたい理由があるはず。けれど、今のあなたの話だと、矛盾している気がするわ」
イユにとっては当たり前の問いだった。偉いと思われたくないという人が、わざわざ他の部屋と異なる豪華なつくりで客人を迎えているのだ。とはいえ、覚えたての自分の説明で、相手にうまく伝わっているのか自信はなかった。
「なるほど。面白い子じゃの」
マドンナはそう言って、けらけらと笑った。気を悪くした様子はなかった。
「確かに、その部屋はな、妾を『偉い』と思わせるための場じゃ。そういう目的で、豪華にしておる」
まず、マドンナは認めた。
「では、何故そうしたか。その部屋は本来、妾より偉い人物を通すためのものだからじゃ。 見くびられないために、そうする必要があるのじゃ。おぬしたちのような客人は例外中の例外じゃよ」
逆にマドンナの話から、イユたちが見くびられる立場にあるのだということは察した。とはいえ、下に見られている気はしない。どちらかというと、マドンナも別の人間相手に強がっていることがわかって、親近感を覚えたほどだ。
「なるほどね。納得したわ」
マドンナなどと呼ばれてはいるが、目の前の女も一人の人間なのだ。そう悟った時点で、『偉い』人などという区別はイユの中で消えていた。
「さて、挨拶をすませたところで早速本題に入りたい」
レパードが話を仕切る。
「まず、聞きたいことがある。マドンナ、お前は魔術師の暗示の解き方を知っているか」
それを聞いて、イユは初めて自分の件が理由でここへ連れてこられたのだと知った。
「残念じゃが、妾は魔術師ではないのでのぅ。詳しい者たちに当たらせてはみるが……」
そうレパードに答えてから、マドンナはイユを見据える。
「わざわざ連れてきたのじゃ。被害者はこの子かぇ?」
「あぁ」
マドンナの視線を感じて、居心地の悪さを感じる。イユ本人は暗示を解いてほしいとは思っていないから、猶更だ。
「暗示の解除が難しければ、マドンナの力でシェイレスタまでの船を出すことはできますか」
リュイスの質問に、マドンナは頷きながらも訝しむ様子を見せた。
「船は出せる。じゃが、それは妾でなくてもできることじゃ。わざわざ妾に頼みに来たということは、何か理由があるのよのう。言うてみぃ」
説明をしたのはレパードだ。
「こいつに暗示をかけた魔術師をシェイレスタに送ってほしい。それを材料に、イユにかけられた暗示を解かせる」
それを聞いてますますマドンナが目を細めた。
「シェイレスタに行くことが、その魔術師の要求だというのかのぅ? とてもでないが、その程度のことで暗示をかけるとは……」
そこまで言いかけて、考えるような仕草をした。
「待て。そちが向かっていたのはイクシウスだったはずじゃな? 航路を考えればまずないと思ったが、まさかイニシアを通ったのか?」
「そこまでわかっていたっていうんなら、やはり知っていたらしいな。だが、正解だ」
それを聞いたマドンナが目を見開く。
「まさか、その魔術師というのは、『アイリオールの魔女』か?」
アイリオールの魔女。聞きなれない言葉だ。そう思ってから、思い出した。ダンタリオンで初めて会ったとき、イユの目の前で自己紹介をしだした彼女のことをだ。
「ブライト・アイリオール……?」
「そうじゃ。確か、そんな名だったのぅ」
合点がいったという顔をみせてから、マドンナは宣言したのだ。
「船に乗せることはかなわない」
「理由を聞いてもいいですか」
リュイスの問いに、どこから話したものかとマドンナは思案顔だ。
「その魔術師は、そちが思っている以上に影響力を持っておる」
そうして大きな事実を伝えてみせた。
「現在、『アイリオールの魔女』はイクシウス、シェイレスタの間で指名手配をされておる。魔術書を盗んだ罪でじゃな。どこもかしこもこの話題で大盛り上がり。知らぬのかえ?」
イユたちはここではじめて、イニシアでの脱出はイユたちの想像以上に世間を騒がせていたのだと知ったのだ。
「……そして、妾の立場では、本来イクシウス政府に『アイリオールの魔女』の首を差し出さなくてはならない」
「ちょっと!」
思わず声を荒げてから、リュイスとレパードの視線を感じた。確かに取り乱したかもしれない。
「ギルドはイクシウスと不仲じゃなかったのかしら」
押し殺して聞くと、マドンナはうっすらと微笑んでみせた。
「そちはどうしてギルドがイクシウスにつぶされないと思っておる? ましてやここは、シェイレスタとの境界とはいえ、実質イクシウスの領土ぞ?」
背に汗が伝うのを感じながら
「知らないわよ」
と言い放つ。
「知らないか。知ろうとしていないの間違いじゃな。 よいか。イクシウスがここを潰さないのは、ギルドがイクシウスに旨味を与えておるからじゃ」
だんだんマドンナが後ろ暗いものを背負った人のように見えてくる。
「簡単なことじゃ。ここはついこないだまで、イクシウスとシェイレスタの領土争いに巻き込まれた地じゃった。だがシェイレスタはぎりぎりの戦いを続けて疲弊しておるしイクシウスは細々ととはいえ続く被害に辟易しておったのじゃ」
両国とも望まないのに関わらず続いていた戦。だからギルドはその中に介入したとマドンナは言う。二国の間で犠牲になる人々を救うためという目的で入り、その規模をどんどん広めていき、ついにはその戦自体を停戦させた。
ギルドがイニシアに入り込むことでシェイレスタはイクシウスに攻められることがなくなり、これ以上領土を失う危険がなくなった。イクシウスもイクシウスでギルドに土地を貸すという形でイニシアを手に入れることができた。つまり、それは結果として二国に旨味を与えた形になると。
「おかげで人は妾を聖母などと呼ぶわけじゃ」
だがギルドは国ではない。あくまで一つの組織に過ぎない。イクシウスに領土を借りている見返りとして毎月ギルドが儲けたお金すら渡しているとまで説明されれば、それが分かった。
「とはいえ、ギルドなんてその程度のもの。イクシウスに餌を与えられなくなったらすぐ潰れる命運じゃ」
イクシウスが機嫌を損ねればギルドはすぐに吹き飛ぶと言う。そのような小さなギルドが表立ってシェイレスタに味方するだろうか。マドンナの言いたい意味がだんだんと分かってきた。
「だから、立場上はイクシウスの味方ということ?」
「強い者の味方じゃ」
にやりとマドンナは笑って見せる。言い換えてはいるがここまでこのことで察するにイクシウスは強い者で、シェイレスタは弱い者なのだろうことは容易に想像がついた。
「とはいえ、シェイレスタの肩を持つのですよね」
「何もしないことでな」
リュイスとレパードのやり取りで、イユはようやく合点がいく。表向きは強いイクシウスに尻尾を振る。だが、全面的にイクシウスの味方というわけではない。むしろこうしてわざと手を抜くわけだ。
「つまり、傍観を決め込むわけね」
「そういうことじゃな」
それは良かったと思うべきなのか使えないと思うべきかなのかそう考えて、イユは内心で首を横に振る。セーレでシェイレスタまで行く。それがイユにとって一番良い方法だ。セーレを離れなくてすむのだから。だから恐らくこれは正解なのだろう。
「わかったわ」
イユから話すことはもうない。レパードを見やると、リュイスに対して頷いているところだった。
「イユの件は終了だな。先に外で待っていろ」
レパードはそう言って、手ぶりまで加えて追い出そうとする。明らかにこれから大事な話をしたいと言わんばかりの雰囲気だったが、特に口出しはしなかった。どちらかというと、マドンナと離れられることにほんの少しほっとしていた。マドンナは自身を同じ人間だと言ったが、その後のやりとりでそうは思えなくなったからだ。
只人ではない。そう感じさせられるからこそ、近寄りがたさがある。
リュイスの後について、部屋の外に出た。




