その969 『城ノ中デ』
結局、進める道は他になかった。
ブライトは飛行ボードを操りながらも、セラの意識が朦朧としていることに気づく。そこで、万が一がないようになるべく氷の道の上を選ぶことにした。最悪落ちても地面がある状況は、精神的にありがたい。たとえ、頼りない氷であってもだ。
そうしてようやくシャンデリアの真上にたどり着いたとき、氷の道の先に壁があるのがぼんやりと見えた。堅牢な壁の間に挟まれた幾つもの扉。当然のように上下逆さまになっていて、どれも凍りついている。
だから、それらは全て開かないものだと思い込んでいた。僅かに覗いた隙間が見えなければ、完全に見落としていたことだろう。
「セラ、いけそう? 大丈夫?」
「はい……」
弱々しい返事を聞きながら、ブライトは開いている扉に向けて進み始める。早くセラを休ませたいと急く気持ちに蓋をして、慎重に進んだ。
扉に辿り着き、ゆっくりと中を覗く。心配していた『魔術師』の存在はそこにはなかった。代わりに、視界を覆うように、薄っすらとした氷の膜がブライトを迎えた。目を凝らして、それが噴水から溢れた水だと知る。中庭だ。この扉は中庭に繋がっていて、そこには噴水があったのだ。
それが地面にこぼれて凍り、逆さまになっている。
そう考えるが、しっくり来なかった。この城の中は何かがおかしいと感じる。
考えてみれば、先ほどまでいた広間も妙だった。シャンデリアとシャンデリアの間に不自然に伸びた氷の道のことだ。あれが何なのかが、ブライトには予測がつかない。
「法陣に近い気はしたけれど」
思考を呟く。吐いた白い息が中庭の冷たい風に攫われていった。
魔術が根付いている気配があった。実際、あれは見立て通り、法陣なのだろうという確信もあった。
しかし、道になるほどの分厚さの水をわざわざシャンデリアの合間に用意していたとして、その意図がピンとこなかった。大掛かりなものに見えるため、いざというときにすぐ発動するよう、予め仕掛けてあったのだろうとまでは想像がつくが、そこまでだ。
水をペンの類のように法陣として扱うには、天井付近で水の位置を維持し続ける魔術がいる。そうでなければ、水は自由落下し、床に溢れる。
けれど、そこまでするならばはじめから水を使わずに法陣を描けば良いだけだ。かなりの冗長が見られて、理解できなかったのである。
そして、今見ている噴水も同じである。薄っすらとした膜を見るに、噴水の水は地面から一定の位置に浮く仕組みになっている。しかもそれは狭い範囲の話ではなく、庭全体に張り巡らされているのである。
つまりは、この噴水も法陣の仕掛けがされているのだ。とはいえ、今となってはその法陣は不完全だ。長年の劣化により、形をなしていない。おかげでブライトであっても何の魔術なのかは分からない。
中庭の先には窓が見えた。飛行ボードで近づけば、埃まみれのそこから部屋の様子が僅かに見える。
小さな照明が中央にあり、その周囲にひっくり返ったベッドが落ちて凍りついている。テーブル類もあるが、どれも逆さまである。装飾の少なさからみて、ここは使用人の部屋なのだろう。
「良さそうかも」
部屋の中の天井が低いのをみて、ブライトは窓を開けることにした。凍りついているため、火の魔法石でじっくりと溶かす。
長い時間かけてようやく開けられるようになった窓は、しかしブライトが思うよりも脆くなっていた。
硝子にヒビが入ったのをみて、慎重に開けていく。鈍い音を立てながら開いた窓から飛行ボードごと部屋に入った。
「失礼します」
元の部屋の持ち主は、きっとブライトが生きる今よりも遥かに古い時代に生きていたはずだ。当然返事なんて期待していないが、断りは入れておく。
それから地面へと下り立った。
本来は天井だったそこは、幸いなことにしっかりしていた。これが木でできていたのなら底でも抜けたかもしれないが、城だけあって堅牢だ。
安堵したところで、セラの身体が崩れる音がした。
「セラ!」
思わず駆け寄ったときにはセラの意識は途切れている。すぐに休ませる場を用意する必要があった。
候補となる場所は飛行ボードの上だ。安定しないが、寒さ対策ができる。意識のない間に何かあることも考えると、崩れ落ちるかもしれない床の上よりも遥かに安全だ。それに、ブライトが飛行ボードから下りるとちょうど、一人が寝れるぐらいの大きさはある。目が覚めたセラならば布を用意することもできるだろう。
「ごめん、無理に歩かせたから、止血がうまくいってないね」
セラを横に寝かせて容態を見る。じわりと滲んでいく血を見て、応急処置を始めた。『さかしまの城』に魔物が出ないことを祈りつつ、服を破って改めて止血を始める。魔物の鉤爪に引っかかれた痕跡が痛々しい。口元についた血も拭った。
そこで、ぱちりとセラの目が開く。
「ブ、ライト、様……」
「無理に話さないでいいよ」
セラの額に手を当てると、熱くなっていた。水の魔術で布を濡らし、額に当てる。
その間にも、セラは話すなと言うのに口を開いて続けるのである。
「私は、ここで、待ちます。きっと、この状態の私が一緒にいっても……、体の良い、人質に、なるだけでしょうから……」
ブライトはセラの言葉を中断させるのをやめて、大人しく頷くことにした。セラはどうも、約束の日時がきていることを把握しているらしいと気づいたからだ。
「飛行ボードは、持って、いって下さい……」
「いや、飛行ボードはここに置いていくからセラが使って」
セラは辛そうにしつつも首を横に振った。
「ここは、飛行ボード、がないと……、無理です」
「大丈夫。いざというとき飛行ボードを相手の『魔術師』に盗られるほうが不味いから。セラはここで休んで、飛行ボードを守っていて。あたしのは失くしちゃったしさ」
帰る術を『魔術師』に奪われる危険を持ち出せば、セラも反論がしにくいようだ。熱で頭が回っていないセラならば、ブライトの敵ではない。
勝ち誇ったブライトは法陣も描いた。傷は癒やせなくとも、水は生み出せる。それがあれば、セラはいつでも布を濡らして額にあてがうことができる。
「まぁ、とにかく休んで。元気になったら迎えに来てよ」
「すみません……」
謝るセラに首を横に振った。
「謝るのは付き合わせてるあたしの方だし」
セラの娘が亡くなった今、もうセラにはブライトに付き合う理由はないのだ。そう思うからこその発言だった。
「セラはさ」
言おうとして、喉がひりついた。けれど、それはブライトの甘えだと感じていた。
「もう無理にあたしに付き合う必要はないんだよ」
返事は聞かなかった。セラがすぐに答えられないのを知って、ブライトは立ち上がる。その足で、部屋の外へと出た。




