その968 『サカシマノ城』
「セラ!」
無事かと、声を張れば、
「大丈夫です」
と返事があった。しかし、セラの顔色はすこぶる悪い。
「とにかく手当てをしないとだよ」
慣れないながらもハンカチやタオルで止血をはじめる。雪の上でブライトの手当てを受けていたセラがくしゃみをするのを見て、魔法石を取り出した。僅かに熱を帯びるそれのおかげで寒さが和らぐ。かじかむ手が満足に動いたところで、再び治療に移る。
とはいえ、ブライトにできるのは止血と消毒ぐらいだ。
こういうとき、治癒の魔術が使えたら良かったのにと後悔する。いまだにブライトはあの魔術だけは理解ができない。だから、歯がゆい。
「とにかく安静にしたほうがいいけれど」
「残念ながら難しそうです」
セラがくいっと首を向ける。その視線の先に、新たな人目鳥がいた。ここからならまだ遠いが、いまだブライトたちを狙っているのだと分かった。しかも、一体ではない。二体、三体と、いつの間にかまた数が増えている。
「動けそう?」
「はい」
セラが自力で立ち上がるのを見て、ブライトは飛行ボードを抱えた。帰りの手段は、一台のこれだけだ。何処か安全な場所に置いておかなければならないと感じていた。
蔓延る木の根の合間を潜って、『さかしまの城』の中央へと向かっていく。踏みしめる雪の間にも木の根が伸びていて、転びそうになる。
けれど、木の根はブライトたちを隠すのに役立った。後方で、悔しそうな人目鳥たちの声がしたのだ。もし彼らがすぐにブライトに飛びかかっていたら、ブライトは魔術で応戦していたことだろう。
結果として、そうはならなかった。
仲間をやられた恨みがあったとしても、人目鳥たちはどこか慎重だったようである。故に、人目鳥たちは自らの身の安全と引き換えに、木の根の合間に潜ったブライトたちを見失ったのだろうと思われた。
「ここから、入れそうだね」
セラに声をかけた。ブライトが見つけたのは、狭い壁に囲まれた階段だ。折り重なる木の根の間をくぐっているうちに、それは現れた。
大きな城のため、階段自体も大きな造りだ。そして城自体が逆さまになっているため、階段も上下逆になっている。しかも凍っているせいでつるつるとしていた。おまけに幾ら見下ろしても階段の先は暗くてよく見えない。
飛行ボードを使うか悩んだが、ずりおちないように階段にしがみつく形で下りることにした。『魔術師』が城に潜伏している場合、飛行ボードは目立つからだ。セラに負担がありそうで心配だったが、彼女はよく耐えた。何も言わず下っていく。
城の室内に入ると、空気ががらりと変わるのを肌で感じた。凍っているためか、目が慣れたせいか、上にいたときと違って意外にも様子がよく見えた。シャンデリアが地面から生えたような広々とした空間がある。ちょうど、今下りている階段は広間に当たる場所に繋がっていたのだろう。
人気がないのをみて、飛行ボードに切り替える。セラを乗せて、ゆっくりと階下へと下りていく。
地面が見えた。セラだけは飛行ボードに乗せたまま、歩けるならばと飛行ボードから下りる。その途端、つるりと滑りそうになった。そこも凍りついていたのだ。
とはいえ、ブライト一人立ったぐらいではびくともしない。意外としっかりとした足場であるようだ。それに、不思議と寒さが和らいでいる。風がないからだろう。
「この地面は天井の一部? ううん、柱の一部かな?」
天井にしてはシャンデリアの周りには床がない。恐らく大昔の城は天井が高く設計されているのだろう。それか殆どは抜けてしまって、体をなしていないようだ。かわりに、一部が壊れた柱が地面として機能しているようである。
他にも、地面らしき場所がある。シャンデリアから氷の道が伸びているのだ。
「ものは試し、とっ」
言いながら、地面を歩き始める。滑らないように慎重に進んだ。不規則なその道は壊れないか心配だったが、存外丈夫だった。軋むことがない。万が一がないようにゆっくりと進みながら細い道の上を辿っていく。
一歩、二歩。進んだその先で足が滑った。慌てて、地面に手をつく。けれど、するすると滑る表面はそのままブライトを地面へと引きずり込もうとする。指に力を入れて立ち上がろうとしたときには、セラからかなり離れてしまっていた。
しかも、そこで、地面の割れる音がした。
「げっ」
淑女らしからぬ声を上げながら、ブライトは必死に前方の氷へとしがみつく。
間一髪、後方にあった氷の道が崩れて、地面へと落ちていく音が聞こえた。
恐る恐る地面を覗く。そこから見えるのは、真っ暗な闇だ。奈落の海ではない。外から見えた限りでは少なくとも屋根に当たる部分が存在するはずだ。しかし、試しに落ちてしまったら助からない気がするのである。
「だ、いじょうぶですか」
息を切らせたセラの声を聞いて、ブライトは頷いた。
「どうにか」
言葉通りに命からがら滑る地面を上がっていく。
「丈夫そうでも、人の体重を支えられない場合もあるね」
そう言いながらも、セラからの返事がないだろうことは察していた。肩で息をするセラの様子から、セラの体力の限界が近いことに気づいている。
早いところ、休ませてやりたかった。
だが、ここから見えるのはいつ崩れるともしれない氷の道ばかりである。




