その952 『合間ニモ』
壁画探検が無事に終わり、コウたちの拠点に戻った後も、ブライトの頭にはぐるぐると壁画の様子が思い浮かんでは消えていった。
それぞれ、何か重要なメッセージがあるような気はするのだが、繋がらない。何処かモヤモヤとしたものを抱えながら寝ることになったのである。
そうして目覚めた次の日、ぼうっとする頭で鞄の中にある手紙を取り出す。実は今回の壁画を見るために、ブライトは既に数ヶ月以上遺跡に滞在している。まず、傷が癒えるまでに一ヶ月間も掛けた。命こそ助かったものの、傷が完全にふさがるに時間を要したのである。とはいえ、ただ寝ているだけの療養など、ブライトの性に合わない。思いのほか動けたのもあって、コウたちの仕事を手伝った。遺跡での煮炊きの仕方も初めて知った。採掘した『古代遺物』から慎重に土を取り除く作業にも加わった。
「まあ正直、不器用ではあるけどさ。……いてくれると助かるのは確かだね」
コウからの評価は何とも言えないものだったが、彼女たちの仕事は予想以上に繊細で、技術が要るものだったともいえる。
それに、手紙の仕分けや配布のような地味な仕事も含まれていた。長期にわたって現地に滞在する彼女たちは、伝え鳥からの手紙を一括で受け取り、ギルド員に届けていた。その流れで、ブライトの手紙も便乗させてもらっていた。
そういうわけで、今回やっとの思いでの壁画見学だったわけだが、それまでの期間にいろいろと進展があったのだ。
――――サロウ殿と話がつき、正式に研究会を始動することとになりました。これからよろしくお願いします。
克望からと思われる手紙を受け取った当時、ブライトは思わず吹き出してしまったものだ。当の本人と言葉を交わした今となっては、実際の会話と改まった文面とで受ける印象がまるで違うのである。
当時の笑いは忘れ、改めて手に取った克望の手紙に目を戻す。振り返りも兼ねて、次の文を読み進める。冒頭を一読したことで、寝ぼけた頭が動き出したのを感じた。何度読んでも重要な内容なのだ。
――――ついては、研究の一環としてまずは前提となる情報を整理させてもらいます。
――――カルタータは、『龍族』によって築かれた島であり、外敵から身を守るために強大な障壁で囲っていました。それが、何らかの手段で破られ、島は滅び、奈落の海へと落ちたと考えられています。とはいえ、完全に海に沈んだわけではなく、今もまだどこかで浮いているとも聞き及んでおります。いずれにせよこの後より、『深淵』と呼ばれる異常な領域が世に現れるようになりました。その正体はいまだ謎に包まれておりますが、光も通さない漆黒の闇と称され、既に何隻もの飛行船が消息を絶つ事態となっております。そのため、我が国では重大な懸念事項として、注目されています。そして奇妙なことに、この『深淵』からは、『龍』の咆哮のような音が聞こえるとの噂があるのです。そのために、カルタータとの関与が疑われている次第です。
やはり上手く纏まっていると、ブライトは感想を抱く。大事な情報ばかりだが、ほぼ知っていることだけで書かれている。前提知識の共有なのだから、当然だろう。サロウもここまでの情報は得ていると思われた。
――――まず議論したいのは、『深淵』はカルタータにより引き起こされているか否かです。『深淵』は徐々に目撃数を増やし、その被害を増大させています。これは、どの国に於いても共通の危険要素であるといえます。皆様の意見を是非お聞かせ願いたく、存じます。
克望の文章はここで不自然に空いていた。仕掛けを疑ったものだが、ないことは確認済みだ。ここからは克望ならではの内容なので、強調したかったのだろう。
――――カルタータには、何人かの生き残りがいると推定されます。そのうちの一組に、先日私の部下が接触しました。子どもの外見のため、溶け込みやすかったのだと推定されます。そして、ここから得られる情報は随時展開する用意がございます。皆様が真摯に回答下さることを望みます。
さらりととんでもないことが書いてある。
「接触できているのも驚きだし、その情報を展開してくれる気があるんだ」
と、当時はそう思わず口にした。期待は大きい。あくまでブライトの監視が狙いの克望だ。出してもらえる情報は多いとみていた。
とはいえ、あまり当てにしすぎるのはよくない。それに、克望の危機意識は道理が通ってみえるものの、それを国同士の話し合いにしないことには違和感がある。一国の一貴族であるブライトたちに声を掛けたところで、実入りは少ないだろう。
「そうはいっても実際、王家では話し合いができない面もあるのかな」
シェイレスタもそうだが、イクシウスの国王も病に臥しているとは聞いていた。サロウの立場ならば、代理扱いも頷ける。ブライトに至っても、エドワードは幼すぎるし、王妃には実質許可をもらったようなものだ。代理で通るのだろう。
「どうお返事を書くおつもりですか?」
手紙を検めたセラにはそう聞かれたなと思い返す。ブライトは肩を竦めて、こう答えた。
「素直にあたしの見解を書くしかないかな」
カルタータ研究会は、ブライトにとって大きなパイプだ。これを失うと、手の打ちようがなくなる。よって、力を入れて取り組むことは決めていた。問題はブライト自身、カルタータの情報を集めきれていないということだ。少ない材料のなかで、如何にもそれらしい理屈を書き綴る必要がある。
ちなみに、手紙には続きがあった。別の用紙に書かれたそれを改めて手に取る。
――――以前お願いされた式神の譲渡について。
そこに記載された内容に、にんまりと笑みがこみ上げてくる。何度見ても、嬉しいものは嬉しい。やはり克望は式神を渡してくれる気があるらしいのだ。そう分かっただけで、収穫である。




