その95 『インセート』
「ここが、インセート……!」
ブライトのことが気がかりで気乗りしなかったイユだが、リュイスの誘いで見張り台に乗ると、その気持ちは吹き飛んだ。想像を絶する音と光景に、ただただ息を呑むしかない。
「夕暮れはちょうどこの街の始まりの合図なのだ。いい時にきたぜい」
イユの反応が嬉しかったようで、シェルからそう声が上がった。
イユの記憶では、地図には大きな風車の絵が描いてあったと思っていた。今にして思えばとんでもない勘違いだ。そこにあったのは、大きな音とともに打ち上げられる、拡散する光だ。
「綺麗……」
思わず呟くと、リュイスから説明が入った。
「花火と言います。この島の名物ですよ」
花という響きにイユは納得した。確かに空に打ちあがった光は夜空に咲く花のように飛び散り、そして散っていく。花をあまりみたことのなかったイユでも、それが花のもつ美しさや儚さを表しているように感じたのだ。
「真夜中になれば、もっとばんばん鳴るんだぜい」
「……まるで空に咲く花畑ね」
花火は空に咲き乱れ、星空に溶け込んでいく。イユはその光景を想像して、ほぅっと息をついた。
「ねぇ、あれは?」
もう一つ、気になるものがある。花火とは別に、ピカピカと色々な色に光る輪のようなものが浮かんでいたのだ。
「あれは観覧車ですね。この島の代表的なものの一つです」
「あれに乗るんだぜい。楽しいぞ」
乗ると言われて、目を凝らす。イユの目であれば、そこに人がいることも確認できた。
「随分、見どころがあるのね」
思わず、感想を漏らす。質問はしなかったが、線路がでているのも見つけた。
「ねぇ、あの街は」
更に気になったのは、明るい街とは離れた場所にある建物の集まりだ。明かり一つ灯っていないがために、逆に光の世界から取り残されたように映ったのだ。
「あれは職人の町ですね」
リュイスから答えがある。
「あの街の夜は早いんです。だから、夕暮れ時でも少ししんみりしてみえるかもしれません」
その答えで、イユは気づいた。
「この島には街が二つあるの」
イユの驚きに、シェルが自慢げに答える。
「そうだぜい。昼の街と夜の街みたいになっていて、寝ている時間も勿体ないって気にさせられるのだ」
インセートはあくまで夜の街の総称のようだ。それらの発言と目の前に広がる島を見て、イニシアより大きくレイヴィートのある島より小さい規模なのだと当たりをつけた。
「それで、船はどこに下ろすの」
「あぁ、いつものところだから……、あっちだな」
インセートの街には八つの橋が架かっている。いくつかの橋には数え切れないほどの船が張り付いていた。そのうちの一つを示される。
「え、港……?」
シェルが親指を立てた。合っているという意味なのだろう。
「その通り。どんな船でも歓迎される都市、それがインセートだ」
イユの知っている所とは全く違う、新しい場所に来たのだと実感した。
「凄いわ……!」
港についてからもイユの興奮は止まらない。
石造りの橋には一定間隔で魔法石の街頭が取り付けられており、定期的に、赤、青、緑と色々な色に光った。その光もリズムを奏でるように小気味よく切り替わり、見ているだけで楽しくなってくる。地面には時折ウサギや鳥の絵が描かれていて、そこにも魔法石が使われているのか、ピカピカと光った。
また、船の数が非常に多い。そして、そこから下りてくる人の数はもっと多かった。おまけに、その人々の恰好が妙なのだ。ウサギの耳を頭につけて歩く露出度の高い女もいれば、顔に白粉を満遍なく塗って鼻の部分だけ赤く塗っている男もいる。そうかといえば、体中に入れ墨を施した屈強な男もおり、猫のリュックサックを背負った子供をおぶる夫妻の姿も見えた。イニシアの人の多さにも驚いたものだが、ここはもう別世界だった。
「じゃ、ねぇちゃん。オレは家に寄っていくから、わりぃな」
シェルがそう言って先に橋へと下り立つ。
「家?」
「そう、家。ここなんだ」
ここがシェルの故郷らしい。イユは、先ほどのシェルの発言が気になった。『わりぃな』とはどういうことだろう。
「別に、何も悪くはないと思うわよ?」
「いや……、ねぇちゃんのことがあるだろ」
「?」
分かっていないイユに、シェルはどこか困った顔をしてリュイスを見た。
「大丈夫です。イユのことは、僕たちがいますから。シェルは久しぶりの家に寄ってあげてください」
何故、シェルがイユのことで困った顔をするのかよく分からないまま、シェルがにかっと笑うのを目にする。その笑みは、嬉しさを隠せておらず、それをみていたらイユも「まぁいいや」という気分にさせられた。
「そうだな。チビたちが寂しくしているからな。会ってやらねぇと」
「あんがと、にぃちゃん」と礼を言いながら、待ちきれないらしく、走っていく。
「ギルド員はインセート出身者が多いんですよ」
イユと一緒に橋へと下りながら、リュイスが説明する。
「自分の故郷に着いた者たちはいつでも好きな時に自宅へ戻っていいことにしています。インセートにくると、皆嬉しそうですね」
リュイスは少し羨ましそうな顔をする。
懐かしむべき故郷を思い起こしているのだと思えた。そんな故郷の存在を、イユには思い浮かべることすらできない。皆には確かにあって自分には思い出すこともできないもの。船員たちが自分たちを通りすぎて島へと駆け込んでいくのを見ながら、その寂しさをそっと噛みしめた。
「……私たちは、これからどうするの」
橋へと下り立ってしまえば、早くも人の群れに呑み込まれそうになる。なるべく船の近くに固まりながら、イユは聞いた。
「そろそろレパードも下りてくるはずです。そうしたら、イユに案内したいところがあります」
「ああ、待たせたな」
話題に上がった途端、当人が船からひょっこりと頭を覗かせた。
「……思ったのだけれど、船長が船を空けていいの?」
橋へと下り立ったレパードは、イユの質問に肩をすくめてみせる。
「そんなことを言ったら、俺は一生地面に下り立てないな」
それから、小さく自嘲気味に笑って付け加える。
「それに俺は所詮雇われだからな」
イユには意味がよくわからなかったが、それを聞いたリュイスが眦を下げた。どうも、何かがあるらしい。
ところがそれをイユが問い詰める前に、レパードはすたすたと歩いて行ってしまう。
早くついて行かないと人の波に呑まれて見失いかねない。慌てて追いかける羽目になった。
「……ブライトは来ないの」
別のことを聞くと、それはそれで嫌そうな顔をされる。その理由がよくわからない。
「あいつは留守番だ」
そういえばと気づく。本人は暇を持て余していたが、ブライトの傷は完治したとは言えなかった。船での療養ならば納得がいく。ブライトの立場を思えば、野放しというわけにもいかないし納得の対応だろう。まさか椅子に括りつけられて縛られているとは思いもしないイユはそう解釈する。
「イユ!」
突然呼ばれて声に振り返ると、リーサが走ってくるところだった。
「どうしたの?」
その奥にはクルトもいる。
「これを渡しておきたくて」
差し出されたのは一枚のチケットだった。なめらかな淡黄色の紙に、五枚の花びらを広げた白い花の絵が描かれている。その花は太く縁どられていて、それが何かの文様を表しているのだと分かった。その隣には文字が刻んであるがイユには全く読めない。
「これは?」
「サーカスのチケットよ。イユはきっとはじめてよね?あとで見に行きましょう?」
サーカスが何かはわからなかったが、リーサと遊びに行けるとわかって嬉しくなった。
「えぇ、行きたいわ!レパード。いいわよね?」
「……まぁ、時間ならいくらでも作れるだろ」
てっきりまた異能者がとか警戒しろとか言われると身構えていたので、すんなりと許可がでれば、有頂天にもなる。
「リーサは、今から一緒には行けないの?」
サーカスとやらにいけるのだ。せっかくならと思ったが、あいにくリーサは首を横に振った。
「ごめんなさい。私、船で用事が残っていて……。その後も、日用品の買い出しにいかないといけないの」
「ボクは、その手伝い、かな」
クルトの説明で、二人が一緒な理由がわかる。
「悪いな、任せた」
レパードに関係することなのだろうか。事情を知らないイユは、レパードが声を掛けるのを見て、ぼんやりとそう考えた。
頷くリーサたちに、リュイスも付け足す。
「治安が悪いですから、出かけるときは気を付けてくださいね」
「わかっているって。リュイス、おかーさんみたいだよね」
性別が違うのに『おかーさん』とは変わっていると思ってから、リュイスを見つめ直す。なんとなく、クルトの言いたいことがわかってしまった。確かに『おとーさん』という感じはしない。
「……ほら、さっさと行くぞ」
話が切れたところを見計らって、レパードが言う。
さっさと行ってしまうのでリーサたちに別れを言った後、慌てて追いかける羽目になった。
「何を急いでいるのよ」
「別に急いでいるわけじゃない」
レパードに追いつき文句を言うと、そう言い返される。理由はよくわからないが、まぁいい。見ず知らずのものに溢れているこの島を見ているとレパードのことも不思議と気にならなかった。
「ねぇ、リュイス。あれは何と書いてあるの?」
橋を進むと、街らしい通りが見えてくる。その入口にはアーチがあり、そこにある大きな看板がイユを出迎えた。
「『ようこそ、眠らない街インセートへ』」
その響きは不思議とイユをわくわくさせた。
アーチを潜り抜けると、途端に光と音楽がイユを出迎える。街灯は様々な色に光り、建物のあちらこちらに張られた看板にも魔法石が括りつけられている。音楽は近くにある店から流れてきているようだ。着陸してから時間は経過し既に空に月が登っている頃だというのに、人の数も変わらず多い。周囲の恰好もおかしいからか、フード姿のリュイスも柄の悪い男にしか見えないレパードも、この街に溶け込んでみえた。まるで昔からインセートの住民だったかのようだ。
それからふと気づく。ギルド員にはインセート出身者が多いと言っていた。では元々セーレにいたという彼らは、リーサやクルトの故郷は、どういう場所なのだろうか。
リュイスの羨ましそうな顔を思い出す。龍族のリュイスにも、懐かしいと思えるだけの場所があったのだ。思えばイユは彼らの過去を何も知らない。
――――今度聞いてみようかしら?
最初にセーレに乗ることになったとき、レパードは自分たちの事情は聞くなと言っていた。だから、答えが返ってくることはないのかもしれない。それでも知りたいとぼんやりと思った。




