その937 『短イ襲撃』
重い帰路だった。本当は飛行石の調達をしていきたかったが、セラをあちらこちら連れ回したくはなかった。ギルドの受付には大丈夫だと告げてから、よろよろとついてくるセラを時折確認しつつ宿屋に向かう。すっかり重苦しい雰囲気に包まれた今となっては、周りの喧騒など雑音でしかなかった。
「おかえりなさいませ!」
宿屋に行くとともに駆け込んできた女も、足を止める。一度八百屋で買った荷物を置きにきたときとは違う、セラの様子に何かを察したようだった。
「 うん、ただいま」
「……夕食ですが、お部屋にお持ちしましょうか?」
女には、小声で聞かれる。
ブライトは大人しく夕食のメニュー表を受け取った。確かに外食という気にはなれない。
「うん、お願い」
そう頼んでから、預けていた鍵をもらう。階段を登って廊下の一番奥の部屋にたどり着くと、その扉を開けた。
「やっぱり、狭いけれど良い部屋だね」
扉の先にあるテーブルと椅子に荷物がどっさりと置かれている。それを確認してから、部屋の様子を見廻した後、セラにそう声を掛けた。いつもならある返事がない。そうだろうとは分かっていたけれど、聞いてしまった。なんて声をかければよいか分からない人間のする悪手だ。そう自覚しつつ、大人しく部屋にあった椅子に戻り、荷物を一通りどかして座る。そうして、天井からぶらさがる照明を見つめた。
お世辞抜きに良い部屋だ。部屋自体はベッドに椅子、テーブルにと最低限の家具だけを揃えていて、シンプル極まりない。けれど、照明の光は暖色で目に優しく、アロマの香りが心地よい。テーブルの上にある花飾りのシルエットが、余計な凹凸のない白い壁に色濃く影を映しており、お洒落で品もあった。影がよく目立つように設計されているからできるインテリアだ。
足をぶらぶらさせていると、ノック音がした。
「夕食をお持ちしました」
扉を開けると、女が立っている。その顔に湯気が掛かっていた。
「ありがとう!」
お礼を言うと、女に
「ではこちらに置きますね」
とテーブルを示される。重ねて礼を述べると、
「ごゆるりとお過ごしください」
と述べて去っていった。
ブライトは興味津々で運ばれた大鍋を覗く。そこには、今日買った魚大根がぷかぷか浮かんでいた。昼間に預けたものを入れてくれたのは、女の配慮にほかならない。他にも花の形に切られたニンジンやシイタケ、えのきが湯気の間から覗いている。
「セラ、食べられそう?」
振り返ると、セラは悩んだ顔を見せた。
「正直、これからのことを考えると食べたほうが良いとは思うけれど」
「……はい」
セラはよろよろとやってくると、椅子に座る。
「鍋って初めて食べるんだけれど、これで合ってる?」
セラによそうと、だるそうに頷かれた。
同じように自分の分をよそう。覗くと、受け皿に浮かんだ花の人参がくるくると大根の周りを廻っていた。魚大根に相応しい髭の輪の間には、玉ねぎが潜っている。なんと楽しそうな野菜たちだろうと、感想を抱く。叶うのならば、混ぜてほしかった。
実際にはその人参を無残に摘んで口に放り込む。そうして食べた食べ物は、悲しいほどに温かくて美味しい。
「優しい味だね」
ブライトが感想を漏らすと、セラの手が止まった。
「はい」
傍目にも辛そうな顔をして、溢れた涙を拭き取る。一口口にすると、再び涙が溢れ始めた。
「すみません」
「そんな、謝らなくても」
ブライトの言葉など聞こえていなかったように、セラは独白を続ける。
「……あの子にまた、鍋も作ってあげられないんだって、思うと……、ただ悲しくて……」
居た堪れない。ブライトも涙ぐみそうになった。
「『魔術師』って本当に、酷いよね」
そう、セラにも聞こえないように呟いた。
食べ終わったブライトは女に食器を返してから、再びテーブルに戻った。
片手でペンを弄り、セラの様子を横目で確認する。彼女は早くもベッドで横になろうとしていた。それが正解だろう。本当は一人にさせてあげたいところだが、少々治安がよろしくない。そうなると、ベッドに横になるぐらいしか手がないのである。
そこまで考えてから、そうではないと気がついた。
「あたしも寝ようかな」
わざと声に出して、聞こえるように告げる。セラを一人にさせる唯一の方法はブライトが寝てしまうことだ。だから、ブライトは目が冴えている自分を叱咤して寝ようとした。そうするうちに、すすり泣く声が聞こえてくる。それが分かったから、ようやく眠りにつけた。
足音がした時点で、ブライトの意識は覚醒した。普通の足音だったら、逆に気にしなかった。だが、廊下を歩く足音は不自然なほど忍び足だった。それ故に、目が冴えた。治安が悪いと思っていたばかりなのだ。宿屋とて安全とは言いきれない。だから、ベッドの中にいながら、少しでも情報を拾うべく意識を集中させる。
扉の前で足音が止まる。ノックはなかった。扉を開けようとノブを回す気配があったが、鍵が掛かっていると気が付いたようだ。そっと戻す音もした。ここで帰ってくれたらよかったが、やはりそうはいかない。
次の瞬間、扉が蹴り倒された。
「動くな!」
男の声とともに、何人かが入ってくる気配がする。しかし、ブライトはベッドに寝たままだった。セラはさすがに起きただろうが、同じように静かだ。ブライトのやることを察しているのだろう。
「おい、まさかまだ寝ているのか?」
誰かが近づく気配がある。そこから逃げ出したくなる気持ちを抑えつつ、ブライトはじっと待つ。
そして、予想通りに明かりがついた。
「分かれよ」
動揺の声が耳に届く。翻すようにベッドから飛び起きたブライトの目に、男たちがその場で動けなくなって固まっている様が飛び込む。だが、全員ではない。予め仕掛けておいた法陣の位置はてきとうだ。二名ほど魔術にかからず自由になっている。だからこその、複製の魔術だ。ブライトが先ほど唱えた魔術に従って、一人には魔術が及ぶ。
だが後まだ一人残っている。その男は、自分だけ動けることに気がついたのか真っ先にブライトへと向かって剣を振り上げる。それが、下ろされかけたその時、男が思いっきり後ろに倒れた。
いつの間にか、男の背後に回っていたセラが、赤い目を腫らしたままフライパンを掲げている。男の頭部を殴ったのはすぐに分かった。
それで、勝敗は決した。あまりに短い襲撃だった。




