その92 『魔女の笑み』
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「どういうことか、説明しろ!」
レパードはイユを引っ張り、真っ先に医務室に戻ってきた。
イユは現状が理解できずにされるがままになっている。リュイスも、ずっと蒼白な顔をしてついてきていた。
扉を開け大声を張り上げたことで、眠っていたアグルが飛び起きたのが視界の端に見えた。レパードの代わりに見張っていたレヴァスはというと、レパードを見て何かを察したように、近くの椅子へと腰かける。
そうした中でも呑気に眠っていたのは、当のブライトだ。レパードは苛立ち混じりに魔法を放った。イユが驚いた顔をしてブライトへと飛び出そうとするので、腕を掴んで抑える。そのやりとりの間に、紫の光を浴びたブライトは、勢いのあまりに地面で何回転か転がった。
「うーん……、何?」
さすがにブライトの目は覚めたらしいが、驚いたことにまだ寝ぼけた顔をしている。手加減はしていないが、刺激が足りないと見た。
「ふざけているんなら、覚悟はいいな?」
レパードの押し殺した声に、ようやくブライトが素直に起き上がる。
「イユに、何をした」
「言ったじゃん」
とブライトは伸びをしてみせる。その様子からは緊張感も何も感じられない。
「記憶をみたんだよ」
「それだけじゃないだろ」
それだけでは、イユは『シェイレスタに行きたい』などとは言い出さない。
「うん、それだけじゃないね」
ブライトに、にやりと凄みのある笑みを浮かべられた。
その表情に、レパードはこのときはじめてブライトの本性を垣間見たような気がしたのだ。
「……暗示ですね?」
リュイスが確認する。
「イユの暗示を解くと言っておいて、あなたは彼女に別の暗示をかけた。そうなんですね?」
さしものリュイスも、ブライトへの言及の声が厳しい。
「そうだよ」
ブライトは無邪気に肯定してみせる。
それを聞けば、イユ自身に何か動揺の様子が見られるのではないかと期待して、レパードはイユの様子を確認する。しかしイユの表情は特に変わっておらず、むしろブライトを案じてレパードを非難してくる。
「そんな、魔法なんていきなり放つことないじゃない」
「お前は黙っていろ」
レパードの強い口調に、イユが怯んだ様子を見せた。強がろうとしているものの、怯えを隠しきれていない。これが、普通の子供だと感じる。超人的な魔法を受けても、目の前で呑気に欠伸をする魔術師が異常なのだ。
「君たちがいけないんだよ。イユを追い詰めちゃうんだから」
ブライトには、からからと笑われる。
信じられなかった。少し前にはこの言葉が、イユを守るために使われたと思っていたのだ。だからイユに同情したブライトがレパードたちを責めているのだと考えた。
――――そう思わせられていただけなのだと気づく。
「……解け」
レパードの命令にも、ブライトは面白そうなものを見たと言わんばかりの表情をしているだけだ。
「そんなことするわけないじゃん」
間髪入れず、ブライトの近くで火花を散らした。
イユとアグルが息を呑み、レヴァスが大げさに仰け反っている。ビリビリと周囲に伝わる残滓に、ブライトの髪が揺らされる。
しかし魔法での脅しを前に、ブライトはにやにやした顔を崩そうとしない。
「いいことを教えてあげようか」
レパードたちの返答を待たずに、ブライトは続ける。
「イユにかけた暗示は『あたしを守りシェイレスタのあたしの屋敷まで連れていくこと』なんだ。それを命より大切なものだと思ってくれているの」
なんて素敵。そう言わんばかりの口調で、ブライトは自分自身を抱きしめてみせた。それから、レパードたちに向き直ったブライトは、再びの、にやにや顔で自分自身を指さす。
「あたしを守れなかった場合、イユは……」
ブライトは最後まで言わなかった。ただ、指をすっと自分の首にあてて引き切る真似をする。
「お前……!」
「そんなこと……!」
ブライトを下手に殺そうとすると、イユは自害しようとする。今の仕草は、それを揶揄したものなのだとわかった。同時に、魔術の悪質さに吐き気がした。これこそが、ブライトの保険なのだと意識させられる。
「イユ! イユはそれでいいんですか!」
リュイスがイユに問いただす。
レパードは、リュイスがイユを呼び捨てで呼んでいるという事実に気が付いた。そうした仲になった途端にこれなのだ。目を覆いたくなった。
「いいって……?」
「ブライトはイユに暗示を解くと言って別の暗示をかけたんですよ? それなのに、イユは……」
リュイスの言葉が途中で止まる。何と声をかけるべきかわからなかったのだろう。
そこに、イユがどうして心配してくれるのかわからないという顔で言うのだ。
「かかっていたとしても皆やブライトを傷つけるものではないのでしょう?」
確かにイユが心配していたのは暗示によりセーレの皆を意図せず傷つけることだったと、ブライトから聞いている。皆と『ブライト』、そう区切られることに違和感を覚えながらも、レパードは心配になってリュイスを見た。案の定、リュイスはとても傷ついた顔をしていた。
リュイスは、説得を重ねるべく言葉を吐き出す。
「イユが傷つきます! 暗示なんて人の心を曲げるようなこと、やってはいけないんです」
「でもブライトが考えた末にやったことよ。だからきっとそれは必要なことだったんじゃないかしら」
リュイスは驚愕の表情を浮かべる。恐ろしいことにイユは本気で首をかしげていたのだ。
「毒も使いようによっては薬になる。そうよね?」
「そうそう。上出来だよ、イユ」
先ほどまでのイユと今のイユがどうしても同一人物には思えなかった。
暗示で人はここまで変わってしまうのか。人の心を変えてしまうこのような魔術がこの世界に存在していてよいのか。
レパードは震える拳を握りしめた。その拳が白くなるぐらいに強く、力を込める。そうでもしないと、震えは止まりそうになかった。
「……さすがに気に入らないって目をしているね」
レパードたちの目を確認してか、ブライトからそう声がかかる。
「でもね。あたしだって本気だよ。イユの暗示は絶対に解かない。あたしを殺そうとする以外にも、脅すやら痛みつけるやらいろいろな方法があると思う。だから、宣言しておくよ。あたしは屈服しない」
ブライトの言い方には、確固とした意志が感じられた。そもそもここまでに何度か魔法を使ったものの、ブライトに動じた様子は見られなかった。本人がいうように、ブライトを力で脅したところで屈する人間ではないという気がした。
「……お前の狙いは何だ」
レパードの質問に、ブライトはおかしそうに笑いだす。
「何度も言っているじゃん。あたしが魔術書を持ってシェイレスタに行くことだって」
「イユに暗示をかければ俺らがシェイレスタに行くと?」
ブライトは首を横に振った。
「ううん。どっちでもいいんだよ」
「は?」
レパードにも、リュイスにも、ブライトの思考が読めない。
「イユを案じて一緒にセーレで乗せていってくれるなら確かに楽だよ。でも、最悪他のギルド船を捕まえる羽目になってもイユがいれば何かと役には立つでしょ」
まるで道具のように言ってのけるブライトに、改めてレパードは認識が甘かったことに気づかされた。
「まぁ、でも前者が良いあたしとしては、イユを追い詰めておいて簡単に捨てるほど君たちが冷たい人たちだとは思いたくないかな」
手のひらで踊らされているどころか、どちらに転がってもブライトの望む方向に話が向かう。この魔術師を恨めしく思ったのはレパードだけではないはずだ。




