その905 『善キ魔女』
「ヒント、ですか?」
意外な言葉にきょとんとした。そしてその言葉から、アンジェラはブライトに何かをさせたいのだと気がついた。
「シェパングは、カルタータについて知識を集めています」
「それは、存じ上げています」
シェパングからの手紙の件は、記憶にも新しい。
「当然、あなたの記憶も読んだ私も知っていることです。良いですか? カルタータには『大いなる力』が存在します。それが彼らが情報を欲する理由です」
アンジェラは、ブライトにはない情報を持っていた。『大いなる力』とは、聞き慣れない言葉だ。大いなるには、『大きい』や『偉大な』という意味がある。その言葉の文字通りならば、大きく偉大な力となるのだろう。
「強力な魔術を探しているのですか?」
ブライトがすぐに思いつくものといえば、魔術しかなかった。
「正確なことは分かりません。けれど、私は、彼らがそこに危険な古代遺物があると考えていると想像しています。そのために知識を集めているのだろうと」
魔術は扱えるものが限られるが、古代遺物となると話が変わってくる。
そして、アンジェラは、『彼ら』と言う。相手はシェパングだけではないかもしれないと考える。
「あなたにはそのカルタータの知識を使っていただきます。それが、あなたができる唯一の、あなたの望みを叶える方法でしょう」
唯一の望みと聞いて、条件を逆に提示されたのだと気がついた。
「あたしのお母様の無事も?」
ブライトの望みは母の無事だ。そのために、アンジェラはカルタータを使えというのである。
「あなたの努力次第です」
確約はされない。けれど、今のブライトに他に思いつく手はない。アンジェラを選んだ時点で、退くことはできない。
「承ります」
重い返事のつもりだった。しかし、アンジェラはまだ安心できないと見てか、続けるのだ。
「ですが私は個人的にあなたを恨んでいます。あなたは私の友人を殺しました。他ならぬ、彼女たちの敵です」
そう、強調される。
「だからこそ、あなたの望み通りになるとはくれぐれも思わないでください。私はいつでもあなたを切り捨て、あなたに嘘を吐くことができます。あなたに追加注文をつけることさえ可能なのです」
アンジェラによる予防線により、本当にクルド家に来てくれるかは結局分からなかった。アンジェラがクルド家にきても、裏切られる可能性があった。何より、言いように使われるだけではないかという不安しかなかった。
アンジェラには何か裏があって、本当はシェパングの密偵はアンジェラ本人ではないかとさえ疑ったのはそのせいだ。
ガタンと、地面が揺れた。車輪が珍しく、大きめの石を踏み砕いたようである。
目の前のアンジェラは、ため息をついた。指をブライトから話す。
「あのときの話の続きをしましょう」
穏やかな道を走るラクダ車で、二人は向かい合って座っている。アンジェラの美しい顔が夕焼けの光に照らされていた。
「あなたには他国の抑止力になってほしいのです。息子がシェイレスタを安定させるまでの、できるだけ長い間、他国からの脅威を打ち払っていただけたらと願う限りです」
アンジェラの話は、願望で埋められていた。そして、ブライトの返答を待たずに、続きが述べられる。
「あなたの提示する条件については私の息子から答えを聞きなさい。私はあなたの記憶を読み、あなたの相談に乗っただけです。決めるのはあの子。冷たいようですが、息子の決断を見守るのも母の役目です」
アンジェラは、窓の景色を見やりそれからブライトを一瞥する。その指先が微かに震えていることには気がついていた。
ブライトがいたから、王家もまた巻き込まれた。そう思われているのかもしれない。だから徹底的にブライトという駒を使い潰すつもりなのだろう。けれど、エドワードに扱いを投げたという時点で結論は出ている気がした。エドワードが優しいだけの人物だと言い切るほどに、ブライトは甘く考えていない。むしろエドワードもその気になればブライトのことを使い捨てる側の人間であると見ている。
しかし、わざわざ息子を通したあたりにアンジェラの温情を感じたのである。
とはいえ、まだ確証はない。そのことも胸にしまって、ブライトは深々と頭を下げた。
「かしこまりました」
アンジェラからは再度のため息があった。顔を上げると、アンジェラの視線は再び空を向いている。
だからか、つい聞いてしまった。
「あの、何を見ていらっしゃるのですか」
アンジェラの長い睫毛はぴくりとも動かない。その崩れない表情のままで、一言。
「未来を」
ブライトもまた、空を見つめた。焼けたような眩しい空には、幾つもの飛行岩が浮かんでいる。
飛行岩は、飛行石を多く含んでいるために基本的に落ちることはない。しかし、互いに不規則な動きをすることでぶつかり合い、削られ、結果として海に落ちることはあるという。
「あなたにとって、やはりあたしは王家を揺るがすアイリオールの魔女でしょうか」
当然、肯定されると思っていた。ブライトのことを魔女と罵ったのは、アンジェラ自身だ。
しかし、アンジェラの答えはこうだった。
「あなたがどうなるのかは、今後次第です。このまま魔女として死ぬならば、きっと先代よりたちが悪いことでしょう」
遠回しに生きろと言われている気がしたのは、ブライトの思い上がりかもしれない。少し考えて、厄介払いの間違いかと思い直す。自分たちと関わらず、全然関係ない世界で生きていけと、そう言いたいのだろう。
「ただ、見方によっては私も魔女でしょう」
思わずアンジェラに視線をやった。アンジェラはやはり、ブライトを見ようとしない。
「アンジェラ様はどのような魔女になりたいとお思いですか?」
何故そのようなことを聞いてしまったのか、ブライトにもよく分からなかった。ただ、アンジェラはこう答えたのだ。
「息子にとって、善き魔女に」
光がアンジェラに注いでいる。その姿は確かに眩しく映った。




