その897 『手回シ』
「一緒にされるのは心外ですが? それに、自分の屋敷の者に逃げられるような運営をしているあなたにこそ、何か問題があるのではないですか?」
ジェミニがそう答え、合図を出す。まず、セラが従者たちに抑えられた。続いてブライトだ。
ジェミニはというと、テーブルの上にチョークを使って法陣を描き始める。
その法陣が先ほどと同じものだと気がつくのに時間は掛からなかった。どうしてもジェミニはブライトに大切なものを言わせたいらしい。
「そう思うとまるで愛の告白だね」
文章が繋がっていないからか、理解できないという顔をジェミニにされた。
すらすらと死の宣告のように法陣が刻まれていくのを聞いて、やはりチョークの音はいいななどと思考を巡らす。
「あたしの心を操って、どうしたいの?」
警戒はもう不要と思ったのか、これからの魔術に影響するからかジェミニからは素直に答えがあった。
「勿論、ワイズ様に会わせますよ。危険がなくなったわけですから、あなたの姿を見てもらいましょう」
「ワイズならあたしに掛かった魔術ぐらい簡単に解くんじゃないかな。あたしは晴れて自由の身と」
ワイズのことを思い浮かべてそう答えると、ジェミニはさぞ不思議そうな顔をした。
「幾らワイズ様でも死体は生き返せないのでは?」
全く生かす気がないと知って、さすがに背筋に冷たいものが伝った。今この場で絞め殺されないのは、ジェミニにとって不都合があるからだと予想できる。そうなると、心を操るのは第一段階で、恐らくはタイミングを見計らって自害でもさせるつもりなのだろう。
「あたしはもうアイリオール家のあとを継ぐことはないのに、そんな必要が?」
エドワードの手紙を思い浮かべて聞くが、ジェミニにはどうでもよいことのようだ。
「良い薬になると思うんですよ」
とだけ述べた。
「薬? あたしが?」
「ええ。ワイズ様にとても効くと思いましてね」
ジェミニの思惑が段々見えてきた気がした。同時に、ようやく口が緩くなったと考える。
本当にここまでブライトが追い込まれないと口を割らないとは、大した警戒心だ。けれど、これではっきりした。ワイズとジェミニとの関係性がだ。
「さて、今一度問いましょうか。ブライト様」
チョークが法陣の最後の部分を完成させる。魔術が発動されてしまう。
「あなたの大切なものは、何ですか?」
ジェミニの声とともに法陣が鈍く光り――――、今まさに光が満ちようとし、
「失礼します! お取り込み中すみません!」
扉を開ける音ともに、止まった。
「アンジェラ様が、お越しになったとのことです!」
ブライトは内心吐息をついた。ぎりぎり間に合ったからだ。法陣が発動しきっていたら恐らく、ブライトは簡単に大切なものを答えていただろう。既に母の魔術に掛かっているブライトにとって大切なものと言われてすぐに思いつくのは一つしかないからだ。
それに、答えたあと大切なものをすり替えられでもしたら、ブライトは二重の心に関する魔術が掛かることになる。もう半分以上自分の心は壊れているのではないかと思うブライトだが、そうなったときには母を見ても誰か分からないほどにおかしくなってしまうのではないかという怖さがあった。
「何? 王が亡くなったばかりでか?」
アンジェラ来訪の報せに、ジェミニはすっかり当惑した様子をみせた。理解ができなかったのだろう。
けれどその当惑も、次の従者の言葉で書き換わる。
「アンジェラ様曰く、ブライト様もお越しになっているでしょうから一緒にお会いするようにと」
ジェミニの視線がブライトに焼き付いた。凄まじい形相だったので、にこりと返しておく。
ジェミニは、アンジェラの来訪がブライトの計らいによるものだと気がついたようだ。すっかり怒っているようであった。
「ちなみに、セラの同行も頼んであるよ。あぁ、セラはあたしの隣にいるあたしの弟子ね」
「まさか、アンジェラ姉様を抱え込んだのか」
ジェミニの声音に、ブライトは一つ勘違いをしていたと気がついた。ジェミニは怒っているだけではない。ジェミニとって大切なものが家族というのであれば、今や家を出て王家に嫁いだ家族のことも当然大切な存在なのだ。その家族が脅かされたのではないかと、恐れてもいる。
「あたしは、別にアンジェラ様をどうこうなんてしていないよ」
とはいえ、アンジェラの心を操ることこそしていないものの、計らい自体は事実だ。まず、エドワード経由で相談に行った。そこでブライトなりの覚悟を示すことで、アンジェラを巻き込んだのだ。
白状すると、大勢の人間のいる王城で姿を隠すことができたのは、このためだ。ブライトが天才であることは別に、照明や炎などの光の位置は予め調整してもらっていた。見張りに置かれていた騎士団にも、万が一骨折したブライトの姿を見た場合無視するようにと伝えられていた。
ちなみに敢えてジェミニに天才さを前面に押し出してアピールしたのは、ジェミニを警戒させアンジェラが来るまでの時間を稼ぐためであった。下手に抵抗するよりも、警戒させて慎重になられるほうが勝算があるとみていたのだ。
「ただ、そうだね。アンジェラ様自らたどり着かれただけのことだよ」
ブライトの言葉にエドワードは不審そうな顔を隠さない。けれど、相手にするだけ無駄だと思ったのか、アンジェラを持たせるわけにはいかないと考えたのか、エドワードは従者たちに合図を出した。
途端にブライトたちは、拘束を解かれる。
「せいぜい、そのひどい有り体をお見せすれば良い」
憎々しげなジェミニの言葉は、ブライトにはそよ風のように心地よく感じた。ひとまずは凌いだのだ。後は、ジェミニのあとに続いて、アンジェラの決断を見守るだけである。




