その891 『歓迎スルヨ』
「おまたせしました。間もなく来るはずです」
戻ってきた従者の話を聞いたジェミニが、そう声を掛ける。言葉のとおりで、少ししてラクダ車がやってきた。アイリオール家のラクダ車と違い二回りも大きい。実際には六人ほどは乗れると思われた。
目の間で止まったラクダ車の扉が開かれて、ジェミニの案内で中に入る。
「どうぞ」
中々動かなかったせいか、そうして促された。頷いてから案内されるままに席に座る。念の為、匂いを確認した。妙な香が焚かれている気配はない。目視で確認する限りでは法陣もなさそうだ。
テーブルを挟んで向かい側、斜めに位置する場所にジェミニが座る。正面でないあたりに警戒が伺えた。尚、ジェミニの奥には従者の男が座る。同じラクダ車の内であっても、自身の席と従者の席まではかなり距離があるように見受けられた。お陰で従者の表情も、その仕草もよく分からない。
「何かお飲みになりますか」
ジェミニが顎だけでテーブルの横にある棚を示す。酒類が多いが、ノンアルコール飲料も並んでいる。ナッツなどの菓子類の準備もあった。
ジェミニが自ら飲み物を用意するとは思えない。従者がいるのは、このためでもあるのだろう。
「いいえ、お構いなく」
何が入っているかも分からない飲料に手を付ける気にはならない。アイリオール家の質素なラクダ車との違いを実感するだけで、十分お腹いっぱいである。
御者の指示で間もなくラクダ車が動き出した。サスペンションが良いのかさっぱり揺れが気にならない。窓から王城の庭を眺めていると、嫌でもアイリオール家のラクダ車との快適さの違いを実感させられた。
今のクルド家には、力があるのだ。かつては右腕と称されたアイリオール家にはもはやない財力である。これが、ヴァールのいたグレイス家であれば、その要因は特別区域にある。『異能者』売買で、儲けが山程あるからだ。しかし、クルド家にはそういう特別な領土はない。代わりにクルド家にあるのは、王家との関わりだ。
たとえば、妃アンジェラはクルド家の出身だ。家を出た時点でクルド家とは縁を切ることになってはいるものの、当然クルド家にも何かしらの恩恵はある。それが、王家の管轄する領土の一部を貸与されることだと聞いたことはある。実態は知らない。ただ事実として、クルド家は栄えていて親戚も多く残っている。
「てっきり何か聞きたいことがあるのかと思いましたが」
ジェミニにちらりと視線をよこされる。ずっと黙っていたせいであろう。
「到着してから、と思いまして」
下手なことを話して、今の段階で会話を切り上げられても困るというものだ。もっともだと思ったのか、ジェミニもそれ以上口を開かなかった。
やがて、ラクダ車は王城を抜け、道を少し行った先クルド家の領地へと入り込んでいく。
クルド家には多くの屋敷があることは知識として知っていた。中でも最も大きいのは、王城から近い当主の住む屋敷だ。昔は、アイリオール家が使っていたという話もある。しかしながら、質実剛健を重んじるがために、豪奢な屋敷から離れることにしたアイリオール家がそれを売ったのだ。
どこまで本当の話かはわからない。だが、恐らくは事実だろう。これは書斎を整理していたら出てきた当時の日記に書かれていたことなのである。しかし、随分愚かなことをしたものだと言いたい。アイリオール家が王城から物理的に離れた結果、その力を失う原因になったように思われたからだ。
こうしてクルド家へと継がれた屋敷だが、これでもかというほど広大な庭が整備されていた。手が一切抜かれていないことがよくわかる花々をみていたら、段々と恥ずかしくなってきた。枯れない花で勝負に出ようとするアイリオール家とはやはり、根本的に違う。
屋敷も、別格だった。王城ほどではないものの、魔法石の光が眩しく浮かぶことで屋敷を美しく見せている。別邸にもあった魔法石とも違い、装飾一つ一つ手が込んでいるのだ。きっと、一つで庶民の家の一つや二つ建てられる程の金額が掛かっていることだろう。
「到着です」
御者の声が外から聞こえ、やがてラクダ車自体が止まる。屋敷のちょうど正門に停められたようだ。
先にジェミニが下り、それに続く。従者が手を差し伸べて手伝った。
降りた途端、落ち着いた香りがした。危険な香ではないかと疑うが、少ししてそうではないと気がついた。高価ではあるが、嗅いだことのある香りだったからだ。
「ん?」
「どうかしたか?」
後方で何か音がしたからか、従者が小首を傾げジェミニが問い質す。
「いえ、何でもありません」
ジェミニがしっかりしろと言わんばかりの視線を従者に向けた。それを受けて従者は慌てたようだ。
「ひとまず、客間にご案内します」
少し声高にそう告げた。
「よろしくお願いします」
返事をし、歩き始める。
高すぎる天井から煌びやかな光が落ちてくる。その長い廊下をゆっくりと歩きながら、なるべく前方のジェミニの影を踏むように意識する。時折、速度を意識してジェミニに遅れない程度に歩いた。
地面は、ふかふかの絨毯だ。焦げ茶色の上品な柄に、時折金糸が混じっている。法陣が描かれていないか警戒したが、それはなさそうだ。
やがて、大きな扉の前に来ると、従者たちによりそれが開かれた。
「どうぞ、おはいりください」
ここが客間にあたるらしい。先ほどまでの廊下に負けず劣らずの豪奢な空気に息を呑む。驚きがばれないようにと、ゆっくりと中に入っていく。
「さぁ、歓迎しますよ」
ジェミニの言葉が、囁かれた。




