その89 『魔術師は信頼に足るか』
「……どういうことかな」
警戒を帯びたレヴァスの声は、レパードの代弁をしている。
「どうしたも何も、暗示がかかっているかもってイユを疑ったのが始まりじゃん」
ブライトは答え、レパードへと視線を向けてくる。その目が、そう発言をしたのはレパードだと訴えている。
「それがどうしたんだ」
だが、それだけでは話は繋がらない。
「なんで言ってあげなかったのかな。レパードは気づいてなかったんだからいいや。リュイス、わかっていたんだよね?」
ブライトに名指しされたリュイスの動揺が、横にいても伝わった。
「一体、何を言って……」
だからこそ、警戒心を露わにレパードは口にする。それを無視したブライトの、
「一言言ってあげればよかったんだよ。変にはぐらかさずに」
という言葉に、
「だから何の話をしている」
声を荒くした。危機感が、レパードに警鐘を鳴らしている。リュイスにつけこもうとするやり方には、覚えがあった。
そこに、ブライトがまた、
「しーっ」
と合図を入れてくる。
「だから、暗示の話だよ。リュイスは察していたんだって。イユがかかっていた暗示に」
ブライトの言葉に惑わされないつもりでいたが、さすがに耳を疑った。
「おい、イユは暗示にかかって……。しかも、リュイスが察していただと?」
リュイスはまたしてもだんまりを決め込んでいたことになる。そうと知って、思わずリュイスへと視線をやる。
「……で、ですが、本当に、その……」
どこか呆然とした様子で呟くリュイスに、芝居かどうかは見抜けなかった。長年の付き合いであっても、それは変わらない。だから代わりにブライトへと向き直る。ちょうどブライトは首を傾げたところだった。
「ん? ということは自信があったわけじゃないんだ」
「ええと……、はい」
「だったら、直ぐに聞いてくれても良かったのに。あっ、でもイユに聞かせたくないとすると、どの道あたしに会いにくるタイミングがなかったのかな」
レパードは自分が話に置いていかれているのを感じた。レヴァスも同じだろうが、彼は特に口を挟まないつもりのようだ。部屋の片隅で壁に背中を預けている。
「どちらでもいいから、説明してくれ。イユが暗示にかかっているのは確定なのか?」
レパードのなかで、イユは暗示にかかっている可能性があるという位置づけは今の今まで何も変化がなかった。ただそれ以前に厄介な魔術師がやってきたために、イユへの注意はおざなりになりつつあるのも事実だった。故に、まずはそこから白黒つけたいと考える。
「そうだよ。けれど、別に害のある暗示じゃなかったんだ。だよね?」
観念したように頷くリュイスに、視線をやった。
「ブライトは、暗示がかかっているかどうかの見分け方について教えてくれたんです」
ブライトに確認を入れるリュイスは、どこか慎重だ。反省しているかどうかは読めない。
「それが、暗示によって書き換えた内容は本人の心の中を大きく占める傾向があるというものでした。……そうですよね」
「たとえば、『あたしの好物は?』って聞かれたら『リンゴ』って答える。それ以外にも、美味しいものはあるよ。さくらんぼとか、パイナップルとか。でも『好物は?』って聞かれたら『リンゴ』って答える。それが暗示の対象になっているものなんだ」
ブライトの話は全て、レパードには初耳だった。
「今のブライトの例でいうと、『リンゴ』が暗示の対象ってことか?」
頷くブライトにおかしな例だと笑い飛ばす気にはなれなかった。それに、これだけではリュイスが何に気づいたかが分からない。レパードが視線を再度向けると、気づいたリュイスにぽつりと告げられた。
「……僕の予想ですが、イユさんは『生きる』ことに執着しているように見えました」
「まさかそれが……?」
こくんとブライトが頷く。
暗示を知っているレパードには、唖然しかない。それにそれが事実だとしたら、イユは全く害のない暗示に苦しめられたことになる。
「……ですがイユさんは、ロック鳥の件で死にかけたにも関わらず僕らを見捨てませんでした。『生きる』という暗示に背いているようにも感じたんです」
リュイスの言いたいことが分かったらしく、ブライトは納得した顔をみせた。
「なるほど。あの問いかけは確認していたわけなんだ。けれど、こういうのは本人の考え方次第だからね。実際、見捨てるか悩んで、暗示と良心の間で苦しんでいたみたいだけど」
そこまでの会話で、レパードはブライトの言葉のおかしさに気づいた。
「お前、イユの記憶を読んだんだな」
ブライトにはあっさりと頷かれる。
「そんなことを……」
リュイスからの非難の声を遮って、ブライトは逆に鋭く詰め寄った。
「記憶を見られるのを嫌がっていたのは知っていたからね。だからこそ、リュイスには言ってほしかったよ。あそこまで核心に近づいていたなら特に」
そこまで言われてリュイスが傷つかないわけがない。今までのは、記憶を見たということに対するブライトなりの反発かもしれないと思った。好きで見たわけではないとそう訴えたいのだろう。
しかし、そう訴えるということは、訴えるだけの根拠があるわけだ。
「イユが言い出したのか」
レパードが問うと、ブライトには案の定頷かれた。
「暗示にかかったせいで、セーレの皆を傷つけることはしたくないって」
――――馬鹿なことを。
イユが暗示に掛かっている可能性がある以上、白か黒かはっきりするまでは安心できない。他でもなくそう思っていたのはレパードだ。
だが、そのためにブライトを信頼したイユを止められていたらと後悔した。
イユの記憶がどのようなものなのかレパードには想像がつかない。しかし、記憶を他人に見せたいと思う人間が世の中にどれほどいることだろう。少なくとも、レパードは自身の過去をブライトに見せたいとは微塵も思わない。故に、子供に無理強いをしてしまった、という思いがある。
同時に、無駄なことをさせたと考えていた。イユはこれで納得したかもしれないが、本当にブライトを信じてよいかどうかは別問題なのだ。レパードはまだブライトを信用していない。年相応な仕草を見せたというだけでは、不十分だと考えている。ブライトがアグルを無償で助けたのには、セーレの船員を信頼させる魂胆があったのだろうと、推察できなくもないからだ。
レパードの思考を知ってか知らずか、ブライトはころころと笑ってとどめを刺す。
「イユを疑ったままだったらよかったんだよ。中途半端にみんなが優しいから余計苦しんだんでしょ?」
「そんな言い方……」
リュイスはそう言いつつも蒼白だった。セーレのなかでイユに一番親切にしていたのがリュイスだ。ブライトにこう言われては動揺しないわけがない。
嫌な性格だと、ブライトを非難したくなった。リュイスのこともイユのことも全て分かっていて誘導してやしないかと、疑いたい。ただ、ここでリュイスを非難したところで、ブライトに得られるものがあるのかと問われたらない気がしたのだ。
むしろ、ブライトもどこか感傷的になっているような気配があった。
記憶を見られることばかり考えていたが、さて他人の記憶を知った人間はどう思うのだろうと、レパードはふと考える。
イユの場合、魔術師に虐げられた過去を持っていることは十分に察せられる。同じ魔術師の行為を覗き見て、思うところがあったのかもしれない。そう思えるだけの罪悪感をブライトが持ち合わせているかどうかは未知数であったが、全く何も感じない人間は礼を言われて泣き出すことなどしないだろうと思いたい。
「……待てよ。一つだけ気になることがある」
回らない頭で現状を整理する。イユはブライトに記憶をみてもらうことで暗示にかかっているか確認してほしいといった。ブライトはそれを承諾しイユが害のない暗示にかかっていることを知った。
「イユは何故そんな暗示にかかっていたんだ」
かけられるのは魔術師しかいない。わからないのは、何故イユに『生きる』ことを指示する必要があったのかということだ。
「……あたしはイユの記憶を見たけれど、レパードたちの知らない記憶をぺらぺら話すつもりはないよ」
そうブライトは前置きする。そのうえで、恐らくは言える範囲で語った。
「まず大前提として、イユの暗示は異能者施設にいる魔術師たちの仕業じゃない。だからイユを生かすことで彼らの利になることは何も無い。そして、暗示をかけられたときのことはイユ自身も覚えていない。ううん。それどころか、イユは異能者施設に入る前の記憶を覚えていないんだよ」
それは物心つく前には異能者施設にいたということか、子供には施設の環境が厳しすぎて幸せだった頃の記憶を消さねば生きていけなかったということかは、判断できなかった。
「ねぇ、覚えているかな? 前にイユに出身はどこだって聞いたことあったでしょ」
それはブライトに会う前に、イユと会話した内容だ。
「イユは答えられなかった。だって、イユが故郷と呼べる場所は異能者施設しかないんだもん」
あのときレパードは確かに、自分の本当の名前も答えられないのかと聞いた。それさえもイユは覚えていなかったのだ。
ここまで話を聞けば、気づくことがある。ブライトはイユが何も知らないことを強調している。そして異能者施設に入る前のことを持ち出した。異能者施設で暗示にかけられた訳では無いとも宣言している。つまり、イユは異能者施設に入る前に暗示をかけられていたということになる。
その事実は何を意味するのか。考えられることはいろいろある。だが、『生きる』という暗示が何の悪意も持たないものだとすると、導き出せる答えは一つ。
「……わかったよ。この話は持ち出さない」
イユは、魔術師の家の出の可能性が高い。ブライトが感傷的なのは仲間意識を抱いたからかもしれない。少なくともブライトはレパードにそう思わせたいようだ。
そして、イユはそのことを覚えていないのだ。覚えていないことで魔術師に関わりのあるイユを信用できないと、切り捨てる気にはなれなかった。むしろ、憐れみを感じる。イユが魔術師に怯え同時に強く憎んでいることは、同じ立場にある者同士、感じることがあった。もし自分も同じ魔術師だと知ったら、レパードならば発狂しそうだ。
「ところで、結局暗示は解いたのかい」
聞き役に徹していたレヴァスから、質問がされる。
「うん、イユの希望だったから」
ブライトはそう返すものの、本当にそうした会話があったかどうかもレパードたちには確認する術がなかった。
「その……、どうなるのですか。暗示がなくなったということは……」
リュイスの問いに、ブライトは
「さぁ?」
と首を傾げてみせた。
「暗示に考えが縛られなくなったけれど、どうなるのかはわからない。暗示を解いた瞬間に精神的に不安定になる人もいれば、普通にしている人もいるよ」
「そんなこと……」
無責任な物言いだと感じたらしい、リュイスの声が震えていた。
「言ったでしょ、他でもない本人の希望だったんだって。あとは本人次第だよ」
ブライトは少し疲れた顔を見せた。いつまでも地べたに座り込むのもどうかと思ったらしい。ベッドに移動する。それまでの歩き方がふらふらしていて、消耗していることはわかった。
「イユの話は分かった。アグルの近くにある法陣はなんだ」
アグルにも何かしたのは間違いない。疑いの目を向けると、ブライトは何でもなさそうに言った。
「ああ、それ? 眠りの法陣だよ。記憶をみている最中に起きられるとびっくりされそうだから、少し寝てもらったの。どのみち怪我を治すために寝ていないといけないし、良かったよね?」
確認は医者であるレヴァスにする。
「本当にそれだけなら問題ない」
「本当にそれだけだから大丈夫だよぉ」
レヴァスの念入りな言い方に、ブライトは欠伸を交えながら返す。
「ということは、扉が開かなかったのもか?」
同じ理由だとブライトは言う。
「いきなり勘違いされて魔法を放たれたら怖いもん」
ここまでくると、ブライトはもうそれらしいことしか言わない。数日の付き合いだが、レパードにはわかってきている。
「イユさんが眠っているのは……」
「疲れでしょ。あたしも、もう少し寝かせて……」
あろうことか、ブライトはその場で寝息を立ててみせた。まさかと思って近づく。
「……おい、本当に寝ているぞ」
この空気の中、本人が寝てしまうという現状にレパードは呆然とするしかない。図太い神経には呆れを通り越して感心するほどだ。
無理やり起こすか悩んだが、何よりもまず確認したいことがある。
「イユは大丈夫なんだろうな」
寝息を立てて時折寝返りすらうってみせるイユを見ながら、レパードたちは答えのない疑問に頭を悩ませることになった。
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