その888 『真ッ暗闇』
手紙は、続く。
――――はじめまして。シェパングからの便りということで驚かせてしまって申し訳ありません。私は海凪の知り合いです。彼の話で、貴方がカルタータについて興味をお持ちであるとお聞きしました。海凪から聞いたことでしょうが、海凪の海に大地が浮かぶ話は、カルタータから着想を受けています。カルタータは七年も前にイクシウスにより滅ぼされ沈没したとされていますが、実のところ沈まずに海に浮かんでいるのだそうです。しかし周囲は海獣の領域のようで、飛行船は皆落とされてしまうといいます。どうでしょう? ご興味がおありでしょうか。もし貴方の持つ情報を提供いただけるのであれば、私から次はカルタータに関連があると噂される『深淵』について記しましょう。
思わず、手紙を読み返した。中々にとんでもない手紙が届いている。一つ間違えればブライトがシェパングの密偵と認定されかねない危険を孕んでいるが、興味を引く内容でもあった。問題は相手が何の情報を欲しがっているかだと思いつつ、手紙の返信先を確認する。返信先は、ギルドになっていた。
――――貴方の新しく発表した論文について読ませていただきましたが、随分幼稚な内容ではありませんこと? そうそう、庭ももう少しどうかしたほうが良いですわ。貧相な庭が上空から垣間見えると噂で持ち切りでしてよ。枯れないからとてきとうな花を植えるなんて、貴族の風上におけませんわ。貴方はどうも人の上に立つ者としての自覚がないとみえますわ。そんなことでは、そのうち振り落とされますわよ? 貴方がもし牢に繋がれて処刑台に担がれても、わたくしは助けませんからね。
珍しく謎解きが載っていないなと思いつつ、手紙をしまう。返答は考えてあったので、それを下手な字で書き起こしセラに渡す。受け取ったセラは意図をすぐ理解した。なるべくブライトの本来の筆跡を真似て、書き起こそうとしてくれる。時々読めないという顔をされるのが少々不本意だが、致し方ない。最も、タタラーナであればブライトの筆跡でないことぐらい気付くだろうが、やむを得ないだろう。文章はブライトが考えたものなのでそれで納得してもらおうなどと考える。
そうしてから、ふっと息をついたブライトは、まだ読めていない手紙が残っていることに気がついた。手紙には警戒が必要かと思ったが、危険な魔術は掛かっていなかった。だから、後は開けるだけだ。気が重いながらも、そのまま捨てるのも気が引けて渋々その手紙を開けた。
――――ご無沙汰しております。先日お腹の子が生まれました。女の子でしたから、貴女の名前をもじってブライナと名付けました。勝手に名前をとってしまって、驚かれたかしら? ですが、貴女のような根っこが素直な子になって欲しくて、つい名付けてしまったの。許してくださる? 最近お声掛けできなかったけれど、また今度遊びにきてくださいね。その時にはブライナのことも是非見ていって下さい。……赤ちゃんはもちもちしていて可愛いわよ? フィオナ・シェイラス。
残念ながら赤ん坊は見なかったなと、思った。バチバチと燃える炎のなか、その声さえも耳にしなかった。生き残ったと見るべきか早々に亡くなったと見るべきか、判断もつかない。ブライトが読んだ手紙を受け取ったセラの表情も暗い。同じ場所にいたのだから、思うこともあるのだろう。
そこでふと、外が騒がしいことに気がついた。
「ウィリアムさんでしょうか? 見てまいります」
セラが一礼して下がっていく。
セラがいなくなると、途端に部屋が静かだ。目を閉じて休もうとしたものの、逆に外の騒がしさが気になってしまう。諦めた結果、窓を覗くことにした。今日も暑いのだろう、変わらず外は揺らいで見える。耳を澄ませば、あちらこちらからラクダ車の駆け込む音が聞こえてきた。
騎士団がブライトの元へやってきた、という想像が浮かんだ。セラが追い返してくれると思うが、内心穏やかでは居られない。
長い時間に感じた。ようやく外が静かになり、セラが廊下を歩く音が聞こえてきた。ノック音を聞きながら、ブライトは素知らぬ顔をしてベッドに戻る。
「ブライト様。新たな書簡をいただきました」
騎士団からの出頭命令かと思ったが、違った。その手紙は訃報を知らせるものであったのだ。だから今度は、フィオナたちのことかと考えたが、それにしてはあまりに豪華な作りをしていた。
「これには、さすがに魔術は掛かっていないと思います」
手紙を受け取ったセラの断言に、嫌な予感を抱く。ブライトの不調にも関わらず、世界は動いているのだと思わずにはいられない。
言われたとおり、魔術はかかっていなかった。渡された手紙を開ける。エドワードの焦った顔が頭に思い浮かんだ。文字を読まなくとも、それが何を示すものか分かってしまった。
――――国王の崩御。
確かに、ずっと病であったとは聞いていた。だが、こうしてみると、それは静かな驚きとなってブライトを揺さぶった。
「それと、こちらも届いていました」
受け取った手紙はエドワードからのものであった。はじめは家庭教師であるブライトが休みを取り続けていることに対し、体調を心配する内容であった。
けれど、読み続けるとそれは宣告に変わった。
――――もし、父が亡くなった暁には葬儀が終わり次第速やかに即位式が行われることだろう。余はその即位式の後、長年放置されていた貴族の跡取り争いに終止符を打つ。それが、そなたの刻限だ。
指が震えて止まらなかった。エドワードはブライトを助けようとはしていた。だから以前ワイズを使いブライトに掛けられた魔術を解かせたのだ。けれど、ブライトはそのエドワードの好意を断った。こうなった今、エドワードにできる選択は少ないのだろうと分かっていた。
死の宣告に近いこの手紙は、エドワードなりの優しさだ。国王の死こそがブライトの刻限だと伝えることで、ブライトに選択肢を与えている。恐らくは逃げてほしいのだ。ギルドにいるという手に頼れば、その方法さえも繋いでもらえるかもしれない。
けれど、それはブライトにとって完全な終わりを意味する。アイリオール家の当主の座を譲ることになり、ブライトのこれまでの努力は全て無に帰す。エドワードが母を助けてくれるかもまだ分からない。
せめて何か手が打てたら良い。しかし今のブライトと来たら声も出ないうえ骨折しており、メイドにまで逃げられているのだ。もう尽くせる手はない。どこをどう考えても詰んでいる。
「ブライト様! しっかりしてください」
セラの声がどこか遠くに聞こえた。大丈夫だと答えようとして、やはり声は出なかった。意識だけが重く暗い世界へと沈んでいく感じがした。




