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カルタータ  作者: 希矢
間章 『カタコトノ人生』
884/994

その884 『モウ限界』

 久しぶりの入浴をセラに手伝ってもらいつつすませた後は、セラを帰すことにした。

「今日はありがとう、セラ。明日のことは明日考えることにして、もう休んで」

「ブライト様はどうなさるのですか」

「お母様に挨拶してからあたしも休むよ」

 セラはどこか憂かない顔をしていたが、ブライトの言葉にそれ以上何も言わなかった。


 そうしてセラを見送ってから、ブライトはセラにすっかり見られてしまった自分の腕を改めて確認する。折れているだけではなく、魔術を放った際に焼け爛れてしまいあまりに醜い。そしてよくよく見れば腕の隙間に『愚か者』の文字が残っている。

 反対側の腕はまだ法陣が刻んであるので、もっと鮮明に文字が見えるだろう。

 母の考え次第だが、本当のところは文字を潰しておいたほうが良さそうだ。今回のように母によるものだと思われると、母自身が被害を被ることになる。

 そこまで考えて、残っているなと感じた。魔術による枷がなくとも、ブライトの考え方は変わっていないのだ。それは何度も魔術をかけられた結果によるものなのか、ブライトの考えが元々変わっていないのか、こと今に至っては分からなくなってしまった。

「今からいけば、分かるかな」

 さて、刻む場所がないなと思い悩む。腕が無理なら腹部など目につかない場所だろうかと思案などした。





「お母様。ただいま帰りました。遅くなってしまい、申し訳ございません」

 母の寝室に入ったブライトは、母がまだ起きている気配を感じてそう挨拶をした。

「報告を」

 という文言のメモが投げつけられて、ブライトはいつも通りにこれまでの出来事の説明をはじめる。その間にも既に香が焚かれはじめ、意識が朦朧としてきた。効きやすくなっていると感じつつ、口をこじ開けて報告を続ける。

 恐らくは香を強くされたのではなく、ブライトが弱くなったのだ。フィオナたちの屋敷で焚かれた専用の香の影響が残っているのだろう。

「以上で、報告を……、お、わり、ます」

 足に力が抜けて、膝が床についた。投げつけられた扇に、記憶の確認の前に魔術をかけるのが先と気がついた。すぐに扇を取ろうとしたものの、中々手が言うことを聞かない。

 ようやく扇を手に取ったところで、今度は地面に落ち裏返しになった紙に気がつく。そこまで手を伸ばそうとするが、やたら遠くにあるように感じた。

 定まらない視界の中で、何度も言うことのきかない指で紙をひっくり返そうとする。母の苛々としている気配を感じた。びくりとしながらも、やっとのことで紙がひっくり返る。

『愚か者』。

 そう書かれていた。

「ど、こに、刻みましょう、か」

 続けて投げつけられた紙はすぐ手前で広がった。

『自分で考えなさい』


 正直に言って、扇を使うのも苦労した。折れた腕は動かないので残りの指で掴むようにして使うわけだが、これが法陣を描くときと違い指でどうにかなる重さではなかったのだ。恐らく母の使う扇が特別重く鋭い鉄でできているのだろうと思われた。

 満足に扇さえ持てないブライトに、母は垂幕の向こう側で呆れた様子である。それはブライトに焦りを与えるものの、意識が朦朧としている状態ではすぐに霧散していった。

『救いようもない』

 母の感想が載った紙だけが視界の端でちらついている。




 気づけば、頭から水を被っていた。いつの間にか身体という身体が痛み、苦痛のうめき声が溢れる。自分の手元に細長いクナイがあるのを見ても、理解ができなかった。少しして、いつの間にか腕に無数の刺し傷があったことに気がついた。愚か者の文字が塗りつぶされる形で刺された刺し傷で、ブライトは自分でも全く覚えていないうちにクナイで自身を刺したのだと気がついた。魔術に掛かったのかもよくわからなかったし、クナイをいつどこで受け取ったのかも分からなかった。ただどうしようもない気持ち悪さに、吐きそうになる。部屋を汚してしまうと感じ、無理に堪えて立ち上がった。

「お母様、失礼します」

 返事はなかった。そっと礼をして、部屋から出る。


 そうして廊下に出たブライトは空が白んでいることを知った。よろめきながら、どうにか痛い身体を引きずって部屋まで戻る。途中記憶の確認は良かったのかと思い出したが、戻っても部屋を汚すだけだと感じ断念した。時間厳守というわけではないので明日にでもまとめて差し出すのが良い、ということを結論づけるのに、何度も思考を繰り返した。その間、何度か転び、壁にぶつかった。平衡感覚がおかしくなっているのだろうと思ったが、どうにもできなかった。

 ようやくたどり着いた部屋で、ブライトの足の力は完全に抜けた。気がつくと冷たい床の上で倒れている。起き上がることができずに、ぐるぐると回る世界を感じた。

 何故だかとめどなく涙が流れて仕方がない。

 起きなければと思うのに起きあがれず、もう疲れたと思うのに頭だけはどこか冴えている。せめてベッドまで歩こうと意識し起き上がったはずなのに、気がつけばまだ冷たい床の上にいる。きっと夢だったのだと思い、身体を動かそうとするが意識が先に沈んでいく。


 ――あたしじゃないのかもしれない。


 ふいにそう思った。今ここで倒れているのは、ブライトではない。本当のブライトはセラを返してからベッドで寝て、怪我を治すべく数日休むのだ。だから今ここにいる自分は幻だ。


 ――そう思えたら、きっと楽だ。


 けれど、それはできない。それは逃げだ。ブライトは自身をよく知っている。逃げてしまったら、それこそブライトはもう自分ではなくなる。死んだ命たちに顔向けができない。自分の心が崩れ歪んでいく音を幾ら聞こうとも、動けなくなるまではたった一人で戦い続けるしかないのだと。

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