その880 『決着シ』
風により切りつけられるその瞬間に、塀が自ら崩れていく。故に、その風はブライトの狙い通りにブライトの横を通り過ぎていった。
わっと、子供の悲鳴が上がる。振り返ると、フィオナの近くにいた子供の両腕がなくなっていた。
「ぁあ、うぁ、あ、ぁあ……!」
子供はあまりの痛みに金髪をかき乱して、のたうち回っている。
風の異能を扱う子供が、雷の異能を扱う子供の腕を意図せず切ってしまったわけだ。そう仕向けたのはブライトなのだが、あまりにも痛々しい光景であった。
「ごめんなさい!」
風使いの子供がぎょっとして、謝った。そして、恐らくは自らの失態を取り返そうとした。今度こそブライトへと風を向ける。殺すように指示は受けていないから、恐らく狙いは四肢だ。完全に逃げ出せなくするために、寸刻ずらさず狙った風は、ブライトの読み通りに放たれていった。
瞬間、フィオナが蹲った。その腹から血が流れ、膝が崩れる。
「フィオナ? お、おい!」
ヨルダの焦った声が、子供の泣き声に掻き消された。
「ごめんなさい! ごめんなさい!」
それは謝罪というよりは悲鳴だった。主に歯向かってはいけないと強く魔術を施された子供が、意図せず主に手を出したことで心の均衡を大きく崩す音だった。
「一体何を」
セラの疑問の声に、ブライトは答えなかった。動くと風の動きで察知されてしまう。
ただ、やったことはなんてことない。はじめは、風で塀を壊そうとする寸前に、塀をなくしてその先にいた雷を扱う子供に風の異能が当たるように仕向けた。
そしてフィオナについては、予め光でブライトたちの位置をずらしてあっただけだ。それに気づかなかった風使いの子供が、ブライトを狙った結果フィオナに誤射したのである。
これには、フィオナたちが移動していても正確に場所を捉える必要がある。そのため、ブライトはセラに屋敷と同じ窓を塀に設置するよう頼んだ。勿論、窓とわからないように塀と思わせるための光を歪める魔術を発動してあった。
そのうえで、障害になる照明を全て消した。塀の内部はすっかり暗くなり、炎に照らされた外はよく見えた。
位置を正確に捉えたあとは進行方向を予想し、法陣を仕掛けるだけだった。実際には運もついて回ったが、失敗しても自分たちは怪我をしない。可能性をいくつか予想しつつ、持てる時間を駆使して最低限で放った法陣は、実際にはほぼ狙い通りに機能しきった。
勿論、泣き叫ぶ子供をみてしまっては、えげつないやり方だと罪悪感が湧く。けれど、ブライトに打てる手はこれぐらいしかなかった。相手は雷と風の魔術を使うのだ。本来ならば、すぐにでもブライトたちはやられている。風は簡単に人を切るし、その気になれば風圧で動きを封じることもできる。雷に当たれば一撃で意識は飛ぶし、必要があれば相手に触れずともその相手の痛みを自由に操ることさえできるだろう。手加減されているといえども、十分に脅威だ。故にやるならば、誤射に持ち込むしかなかった。
「フィオナ! しっかりしろ!」
「うっ、あぅ、違っ」
動揺する子供をその場に残して、ヨルダが走ってくる。その足元が崩れた。
「分かれよ」
予め仕込んであった法陣は一つではない。元々用意されていたフィオナたちの法陣を増やして、足元に仕掛けることなど動作もない。心を操るための魔術が、ヨルダに向かう。ヨルダの足が止まり、膝が崩れた。立とうとするが、よろめいて立てそうにない。早くも、荒い息をついている。ブライトもこんな様子だったのだろうと改めて意識する。
「さてと。こんな状態なら、操るも何もないけどね」
ブライトは利き手で法陣を描く。すぐに光ったそこから、炎が放たれた。
それがまず、風使いの子供に向かう。小さな炎だったはずだが、子供が慌てて防ごうとして風の勢いを強めたのが失敗だった。火は瞬く間に燃え広がり、濡れた床に赤々と映り込んだ。光に満ちた部屋で、最も近くにいたヨルダに火が燃え移っていく。
「あなた!」
フィオナは声を上げるが、動けないでいる。
「痛い、痛いよぅ!」
雷を使う子供にフィオナは視線を向けるが、腕を切られて泣きじゃくる子供にはそれに気がつく余裕もない。せめてと、ブライトは子供に水の法陣を放った。顔をすっぽり覆われた子供が、息苦しそうに足をばたつかせる。
「さて、フィオナはまだあたしを助けたいの?」
ブライトは光の法陣が切れるのを見越して、フィオナにそう話しかけた。
フィオナの腹の傷は酷く、どくどくと血が流れて地面の水と溶け合っている。これだけの出血量であれば、きっともう、助からないだろう。
「そう、ね。ブライト様は悪くないもの。だから、謝って欲しかったかしら」
一言一言噛み締めるように言われて、
「謝る、かぁ」
と思わず呟いた。
訝しげな表情を向けられて、ブライトは肩を竦める。
「勘違いしているよ。あたしはすっごい極悪党だもの。あたしの指を折りながら何度も楽になれなんて言ってくれたけどさ、あたしはそもそも許されようなんて思っていないよ」
それではフィオナの魔術など掛かるはずがなかったのだと、ブライトは告げた。
「あたしは、どうしたって碌でもない人生を送るんだよ。だから、助けなくて良いよ」
「そう。残念、ね。それなら、……えを、つけるんじゃ、なかった、かしら」
最期の言葉が聞き取れなかった。確認する前に、フィオナはその場に崩れ落ちる。
「フィ、オナ」
名を呼んだのは、半身を焼かれたヨルダだ。炎によって、結果として法陣から解放されたらしい。倒れたフィオナの元に向かおうと、地面を這っていく。波打つ水が炎に反射されてゆらゆらと揺れた。
「逝くな、フィ、オ……、ナ」
きっと、二人の仲は本物だったのだろう。ヨルダが伸ばした手は最期にフィオナに届いた。手と手が重なったところで力尽きたようで、ヨルダが動かなくなる。
赤い血と揺らめく炎を照らす水が、二人を奈落の海へ導くかのようであった。




