その870 『手紙ニ』
家庭教師が終わったあとは屋敷に戻った。少しして約束の時間にやってきた官吏とは話をし、情報収集がまだ途中とのことだったので続きを頼んだ。
このあとは執務だ。山のように溜まった書類に印を押しながら、ブライトはただ押すだけの仕事に意味があるのだろうかと考えるようになった。その余裕が出てきたのだと意識しつつ、より円滑に回るようにするには権限を渡すしかないかと思案する。
「これとこれは別に良いと思うんだよね。纏めて報告させれば充分。官吏に検討を頼むかな」
そうやってやりたいことを考えながらも、手は動く。そのうちに扉を叩く音がした。
「失礼します」
レナードの声だ。
「どうぞ」
入ってきたレナードは恭しく礼をした。
「例の件ですが、考えていただけましたでしょうか」
レナードにはずっと頼まれていることがある。それを無視し続けてきたのはブライトだ。
「代わりがいないからね」
「代わりの候補は挙げたはずですが」
「……ちょっといまいちかな」
レナードは何故かと問うた。
「彼女に比べたら皆遥かにしっかりしているかと」
「じゃあ実際口説き落とせる? 連れてきてよ」
レナードは簡単には頷けない。一度連れてきたら最後、代わりの者とやらがどうなるかを知っている。
「ミヤンを助けてやってほしいって、まさかレナードから打診されるとは思わなかったけれどさ」
ブライトはぽりぽりと頭を掻く。行儀の悪い仕草だが、ここでいちいち指摘してくるほどにレナードの心はもはやブライトに向いていない。
もう何年も前からだ。仕事はするものの、レナードはブライトに敵意をもっている。原因はミヤンの様子がおかしくなったからだろう。ミヤンに掛けた魔術を解いて欲しいというのだ。
けれど、ブライトの見立てでは仮にミヤンに掛けた魔術を解いたところで、もう手遅れだ。
「代わりの犠牲者をレナードの手で出すのは、嫌なんでしょ?」
レナードは何も答えない。以前は自分が代わりをするといったこともある。ミヤンの代わりとなるとお茶会の付き合いが特に厄介だ。連れて行くのは女と決まっている以上それは無理だとブライトは断ったが、意外と決意が硬いのだ。
「失礼します」
トントンというノック音がしてセラが入ってきた。それを見たレナードは何か言いたげな視線をセラに向けてから去っていく。
「すみません、お話中でしたか」
「大丈夫、いつものお話だよ」
セラは眦を下げた。
「ミヤンさんをやめさせたいんでしたっけ」
概要はセラにも話してある。さすがにミヤンに魔術をかけてある話はしていないが、レナードがミヤンを案じるがあまり首にしたがっているということを伝えてあった。
「ミヤンさんはレナードさんのことも怖がっている節があるのに、どうしてなのでしょうね」
「こればかりはねぇ。レナードが意外とミヤンのことを心配してたってことなんだろうけれど」
レナードの言う通りにはできない。メイドが一人もいなくなったら困るというのもあるし、ミヤンがアイリオール家にいられなくなったときはハレンたちと同じ運命を辿ることになるというのもある。というのも、ミヤンは長い間ブライトたちといて、秘密を知りすぎている。記憶を消したところで、その矛盾を『魔術師』に見つけられたら復元されかねない。故にその危険性を母が許容するとは思えないのだ。
それに、ミヤンに掛けられた恐怖はきっと解いてもミヤンの心に定着している。今は恐怖がミヤンにブライトたちの指示を守らせているが、中途半端に魔術での強制がなくなると心が壊れることになるかもしれない。
「そういえば、セラは何か用があった?」
「そうでした。お手紙が来ています」
届けられた手紙の一番上にあったものは、サロウからのものであった。
「来たんだね!」
これが早く見たくて、セラも急いで届けにきたのだろう。念の為危険がないか確認してから開くと、達筆な字がつらつらと書き連ねてあった。
「な、ながい」
数十枚にわたる手紙を纏めると、こうだ。
まず、セラの家族を捜させたが見つからなかった。記録では前任の異能者施設長のときに何らかの作戦で、ある『龍族』のいる飛行船に乗っているらしい。その為、生きている可能性はあるが詳細は不明だとのことだ。
「『龍族』、ですか」
セラは、『龍族』は確か絶滅したのではないかという顔をしている。
「あたしも意味不明だなと思うけれど、逆にこんなことをわざわざ書かないと思うから信憑性は高いかも」
「同意見です。少なくとも娘が生きている可能性があると知って、安心できました。異能者施設にいないだけでも良かったと」
よほど酷い施設なのだろう。『龍族』のほうがマシだと考えているようである。
「もう少し情報をもらうには、こっちもそれなりのものを渡さないといけないかも。考えてみるね」
『異能者』に否定的だったサロウだ。調査結果をまとめて送ってくれたのは、かなりの譲歩である。
「ありがとうございます」
セラの礼を聞きながらも、ブライトは更に読み進める。
「なるほど、鍵が開いたんだ。思ったより早いかも」
お願いされていた鍵を開く魔術は、ブライトの解説書のおかげで想定より早く習得できたらしい。エドワードの魔術の習得と比較してもかなり早い印象だ。何か理由があるかもしれない。
とにかく、そうして開けた扉の先に何があったのかも、手紙には書かれていた。
「『龍族』の実験記録?」
大量に出てきたという。前任の異能者施設長の指示らしいということまで分かっているようだ。一体ずつ魔術をかけて心を操作し、異能と魔法の違いについて徹底的に調べていたという。その結果だが、
「ほぼ変わりがないと」
異能と魔法の違いがないと分かったところで何があるのかは、ブライトにはよく分からない。ただ、既にその『龍族』は一体残らずいなかったとある。無意味に思える研究の非道な実験の末に、前任の異能者施設長が何をしたのかがみえるようで、ぞっとした。
――――それにしても、そのような重大な機密情報を何故ブライトに知らせるのだろう。
そう考えてから、理由に気がついた。
「鍵はまだあるんだ」
異能者施設ではなく、別の場所の鍵が開かないとあった。他の魔術を知りたいらしい。ヒントになるか分からないかと、何やら見たことのない紋章を描いてきている。
「セラはこれ分かる?」
問われたセラは首を横に振る。
「わかったら良かったのですが」
「まぁ、そうだよね。どうもすぐには解決しなさそうかも」
だが、覚えておく価値はありそうだ。ブライトは覚えたばかりの魔術を使うことにした。今はまだ合図しかできないが、手紙を媒介にすれば先方へとすぐに届くはずだ。
「何をされているんですか?」
「えっと、郵便魔術?」
セラに答えたが、よくわからないという顔をされた。




