その868 『レイドノ前提』
「よく考えてごらんよ。人にあたる前にさ」
ブライトは指を一本立てた。
「まず、お父さんのことだけどさ。本当に調べたの? お父さんの友人が言っていることを鵜呑みにしちゃったけど、本当にそれでよかったの? だって、その友人は他の『魔術師』に吹き込まれただけかもしれないよ」
「ひ、ゴホッ……、人の、記憶を読んで……、ゴボゴボッ、好き勝手言ってい、ゴホッ、お前に言われたくない。コホコホッ……、だ、大体、お前はどっちの、味方だ……!」
確かにブライトのこの言葉だけでは、ブライトがクルド家の味方のようにも聞こえるだろう。レイドは思わず突っ込んだわけである。
けれどこれでレイドは聞く耳を持っていることがわかる。本来ならばブライトの話すことが誘導とわかっているはずで、魔術を掛けられないように一切合切話を聞かないという選択肢もある。それを、今のレイドはできない。その思考にたどり着けていない。
「あたしはただ事実を挙げているだけだよ? 明らかに魔術の痕跡があるなって」
故に、そう宣言した。
「な、なん、だと?」
話は多少誇張しても問題ないと、ブライトは見ている。
「直接見てないから断定はできないけれど、様子が普通じゃなかったもん。しかもそのお父さんのお友達とやら、以降は一切会ってないよね?」
続けるブライトに、レイドは反論した。
「連絡が、ゴホゴホッ、つかない、ゴホ……、だけだ。俺も、家を、引き……、払った」
「そうかな。あたしはこうみてるんだけど、言ってみても良い?」
敢えて勿体ぶってブライトは告げる。レイドの承諾はなかったが、レイドが言葉を聞いていることは確信していた。
「この件、クルド家の自作自演じゃないかな」
「は?」
突拍子もないことで、頭の中に空白が生まれたようだ。それこそ、レイドに魔術をかけるのであれば相当にかけやすい状況だ。
「普通、わざわざ当主自ら従者の家になんか来ないよ。まるで下見にきているみたい」
怪しいところをまずは挙げる。
「下見の後で、お父さんの友人を行かせたんだよね、きっと」
「ゴホゴホッ……いや、あり得ないだろう。……それだと、わ、わざと俺に、ゴホッ、不信感を抱かせることになる。そんなメリットはない……ゴホッ……」
心はボロボロのはずだが、存分口が回るものだ。
「それがあり得るんだよね。魔術があれば」
だから否定をして、さぞ勿体ぶってレイドに揺さぶりをかける。
「気づいてない? レイドはさ、とうに被検体になっているんだよ」
――――それは処刑宣告に等しい言葉だろう。
「な、何を、言って」
実際にそうなってもおかしくはない。そういう未来を知っているからこそ、レイドには効く。
「おかしいと思わないかな? なんで、ミリアたちを家に連れて行こうとしたのがバレたのか」
疑問を感じるところに答えを用意していけば、信用させるのは容易い。
「シエリのせい? でも、シエリがレイドを怪しんだとして、わざわざ自分の家を教える程ジェミニを信じてたのかな」
シエリも魔術に掛かっていたのだから、本当は簡単に吐露しただろう。けれど、そこには言及しない。それよりも、考えられる説得力のある提案をする。
「あたしはこう考えるよ。レイドは自分の知らないところで、クルド家に使われている」
そして、その提案は誰よりもレイドにとって悍ましいもののはずだ。自分のことなのにまるで自分ではないかのように感じる恐怖は、ブライトには理解できる。
「し、しかし、痕跡がない……! ゴホッゴホッ! き、騎士団にいれば……、検査が入、る……」
否定の材料を探し当てたのは、まだ完全な魔術の影響下にはないからだ。もう一押しいる。
「仮に痕跡があっても、本人に伝えると思う? レイドは、ガインたちにも泳がされているんだよ」
そうして疑惑を植え付ければ、レイドを支えていたものも全て崩れていく。
「な、に?」
レイドにとって騎士団は信用に足る存在らしい。反論が口に出た。
「うるさい。人殺しのお前に、何を言われようと……、ゴホッゴホッ!」
あまりここに言及しすぎると、気が付かれる。そう思ったから、ブライトは話を変えた。声の調子も改め、怒りを込める。
「それも話したいと思っていたんだよ。ハレンが死んじゃったのさ、ずっとおかしいと思っていたんだ。家を継ぐ関係で家庭教師を切るしかなくてさ、でもお父様のことがどうしても苦しくて、シエリのこともあって不安だったから、あの夜こそっと連絡を取ったんだよね。それで久しぶりに会えたっていうのに、後から死んだって聞かされてさ。……ずっと犯人を探していたんだよ」
ブライトは指をレイドヘ突き立てた。
「レイドだったんだね」
「何を、言って」
乾いた声のレイドは、蒼白だ。そうだろう、これで完全に大前提が崩れるのだ。
「ずっと探してたんだよ。ハレンを殺した犯人を」
犯人だと思い込んでいた相手に、犯人扱いされるのだ。レイドの当惑は、発言できないでいるからこそよく伝わった。
「ねぇ、何が狙いだったの? ハレンはただの家庭教師だよ? あたしの魔術が有名なのはハレンのせいだって思ったの? だからクルド家がレイドを使ってハレンを殺させることにしたの?」
敢えて捲し立てるようにいうことで、少しだけレイドに言葉を口にする余裕を与える。
「ゴホッ、お、俺が……、殺していただと?」
それは、想像以上に自身への疑惑に満ちた独り言だった。そもそも、レイドはハレンの死体を確認しただけなのである。だからこそ、殺しの記憶だけをクルド家に消されたかもしれないという疑惑が消せないのだ。
「うん、本当はさ、あたしこそ憎みたいんだよ。でも、レイドは使われているだけ。それに、クルド家を憎んでいるんだもんね。その気持ちは一緒だよ」
寄り添うようにみせかけて、突き落とすのは簡単だ。
「でもそれって単に、憎むことで人のせいにして楽しているだけでしょ。そうしてさ、結局当のクルド家に利用されていることも気づかずに、のうのうと使われているだけなんだ。可哀想だよね。けれど、そんな惨めな人間ってさ」
人の心が軋む音は、不思議と聞こえるものだ。だから、人は人に止めがさせるのだろう。
ブライトは最後にこう、囁いた。
――――生きている価値ってあるんだっけ?
焼け焦げた屋敷の柱がみしみしと折れて倒れていった。いつ崩れてもおかしくなかったから、当然といえば当然だ。脆い柱が近くで倒れ、木片がレイドに当たってもレイドはびくりともしない。
ブライトは背を向けた。崩れていく屋敷で動けずにいるレイドのことなど、振り返りもしなかった。
後日、ガインに呼び出された。レイドが亡くなった数時間前にブライトと会っているのではないかと疑われたからだ。
「レイド様はいつ亡くなられたのですか?」
驚いた顔をしてガインに尋ねると、ガインはいつものようにため息まじりに答えた。
「先日ですよ。真昼間の暑い時分に自ら首をはねました」
「それならあたしは関係ありませんね。確かにお会いしましたが、ただお話をしただけですから」
魔術の痕跡もないのだから、事実である。
「貴女と話してから、明らかに様子がおかしかったのですが?」
ガインは苛立ちを抑えるように声を押し殺している。いつもの態度のブライトにさぞ、腹が立つのだろう。
「それなら、魔術にかかっていないかみてもらったら良かったでしょう?」
首を傾げると、ガインは顔を伏せた。耳まで赤いので、表情を隠してもあまり意味はない気がしたが、突っ込まないでおいた。
「みてもらいましたとも。何もでてこないから、貴女に聞いているのです」
仮にレイドが全てをガインに話したり記憶をみられたりしたところで、ブライトはレイドの記憶を読む行為こそすれ基本的には自身の潔白を訴えているだけだ。痛くも痒くもない。
そして実際には記憶までは見なかったようだが、ちゃんと魔術の痕跡は確認したらしい。恐らくそこでクルド家による魔術の痕跡もないことをレイドは知ったのだろうが、結論から考えるに信じられなかったのかもしれない。一度抱いた疑惑は晴れないものだからだ。
「では、何もなかったのでしょう」
だから、宣言した。
「なんですと?」
思わずといった様子でガインが顔を上げる。
「なにもないから、悟ったんですよ。あたしを憎んでも無駄だと気がついたから、生きる意味を失ったんです」
「貴女は何を」
ガインが睨むが、ブライトはそれをそよ風のごとく受け流す。
「あたしはレイド様に何故かシエリを殺されたと思われていましたから、そうではないと申し上げました。また、クルド家にはレイド様を生かすことで利用価値があったということでしょうと伝えました」
後半は言い方を変えた。事実ではないが嘘ではない程度に、少しでも言いたいことが伝わるように伝えたつもりだ。
「クルド家?」
「あたしにも細かくは。ただ、手紙がどうのと」
ガインは信じていなさそうな顔をしながらも、ブライトの言葉に耳を傾けている。
「もしガイン様が何かを聞いていたとしたら、それはしないことです。それこそがレイド様が生きる希望を失った理由でしょうから」
敢えて手紙を王家に送るなと釘を刺して、ブライトは席を立ったのだ。




