その864 『記憶ヲ覗イタラ』
素直に答えると、レイドが素っ頓狂な声を上げた。
「は?」
おかしいなぁと、ブライトはぽりぽり頬を掻く。
「あたしは、繋がるとも調べて欲しいとも言っていないよ?」
「だが、お前の弟子が……」
言い掛けたレイドは顔色を変えた。
「俺を謀ったのか?」
腰の剣に手を当てて、今にも抜刀しそうである。すぐに血が頭にのぼるのだから、分かりやすい。故に一歩下がった。
「嫌だなぁ。謀ることなんて何もないよ。むしろ、いろいろ聞きたいんだよね」
「聞きたいだと? 何を抜かす」
そのとき、かたんとレイドの手から剣が抜け落ちた。抜刀したのだ。そうしてブライトを脅しつけるべく剣を突き出そうとした。それが引き金であった。
「剣って意外と反射しやすくてね」
予め少し早く来て描いておいた法陣がある。小さく薄くレイドの足元から少しだけ離れたところに描いてある。しかし、それは光っていない。レイドは警戒心が強い男だ。ブライトがそこに法陣を仕込んでいることに気付いていた。
だからこそ、レイドは信じられない顔をして固まっているのだろう。動きを封じる魔術を警戒して、目を凝らせば気をつけられる範囲にある法陣を踏まないようにと気を取られた。なんてことはない、本当は別の箇所に用意された法陣に気づかなかったのだ。
――それは、見かけ上焼かれた形跡にしか見えなくなっている。あるところは壁に、あるところは薄汚れた地面まで伝いながら、狭い視界で見ては決して気付けない、大きすぎる法陣が描き込んであるのだ。そうして最後の一筋、ほんの少しの範囲にだけ切れ目が用意されている。ちょうどそこに、剣筋から零れた光が反射し刻まれたことで法陣が発動して、レイドの自由を奪ったのである。
「お前、……やはり!」
動きを封じられて絞り出すのも辛いはずの声を上げるレイドに、ブライトはにこりと微笑んだ。聞かなくとも言いたいことは分かる。
――――本性を現したな! やはり、お前がシエリを殺したのか。
「だから、シエリを殺したのはあたしじゃないってば」
お母様だとは言わずそう答えると、ブライトは念には念を入れ法陣を確実なものにする。レイドは会話の間もブライトの手元や足元を絶えず確認していた。だからこそ、途中まで描かれた法陣の最後の一手をまさか自らが刻むことになるとは思っていなかったらしい。最も、抜刀の角度がほんの少しずれれば、或いは外部の光が遮られるなどで計算が狂えば、絶対に成功しない法陣だ。これは掛かったらいいやぐらいに設置しておいたものに過ぎない。きっとレイドならばブライトにいつか刀を突きつけてくるだろうと思っていた。そのときにさりげなくブライトが移動して嵌めるつもりだっただけである。月の光が弱ければ、最悪魔法石を使うことも考えてはいたが、出番はなかった。というより、怪しい動きになるぐらいなら、普通に会話を続けて次の機会でも窺おうと思っていたぐらいなのだ。
故に、自ら掛かりにいったレイドは単に運が悪いともいえた。
法陣を強化して絶対に動けないようにしつつ、レイドの目の前へと近づいた。その目が憎悪に燃えている。
「覚えて、いない……の、か? 俺、が死ん……、だら」
途切れ途切れの脅迫まで、想像のとおりだ。
「言ったでしょ? 別にあたしは殺さないって。ただ、騎士団は魔術には疎いみたいだからね」
もし、ブライトに掛けられた魔術に気づけるならば、ガインたちはブライトを何度も呼びたてないだろうという確信があった。騎士団とはいえ他の『魔術師』の助力はあるだろうが、痕跡に気づける程優秀な人間はいないようである。最も今のところブライトに掛けられた魔術に気づいたのは、三人だけだ。そのレベルを求めるのは、酷というものだろう。
「つまりあたしの痕跡が分からない程度ならば、何をしても問題はないわけだよ」
てきとうに理由をつけて、脅し返してみる。そうしてから、いよいよ魔術を強化して声も上げさせないようにした。本当は屋敷の前でなくて中でやりたいところだが、それは諦めた。代わりに光を歪めて姿が見えないようにしておく。
「あたし、あんまり苦しめたくないからさ。なるべく抵抗はしないでほしいかな」
精一杯の優しさを伝えながら、魔術でレイドの記憶を覗き見ようとすると、当然のように抵抗にあった。すぐにでも意識が途絶えるレイドをみて、屋敷の中に連れ込むことにする。重かったが、本人の意識が覚める前に運び終わると、いよいよ本格的に記憶を覗き見る作業が始まった。
時間は、掛けられて夜明けまでだ。中々戻らないレイドを騎士団の仲間が心配する可能性もある。だからこそ、多少の無理は通さないといけない。
レイドが起きた気配を感じて、ブライトは床に転がったまま動けない彼を冷たく見下ろした。
「凄いね、過去最低記録。こんなに早く気を失うなんて根性ないんだね」
レイドには叫ばれても面倒なので、声は出ないようにしてある。そのため、一方的な会話になる。
「これは、弄りがいがあるかもね? いつまで心が壊れずにいられるかな?」
精一杯睨みつけようとしているものの、レイドの目に僅かに怯えが浮かんでいるのをブライトは見逃さない。いつ終わるともしれない拷問を前にして震えているのだ。仮にも最前列で剣を振り回す騎士団の人間が、たかだか小娘のブライトを前にしてそういう反応を示すということに、笑ってしまった。
「そんなんじゃ、ジェミニなんて絶対に倒せないよ」
尾行の腕さえ中途半端だったとブライトは評価していた。セラの格好も初めて見る反応だったから、ブライトの屋敷の中にまでは入り込めなかったのだと確信している。ブライトでさえ、魔術で他の『魔術師』の屋敷に入り込むことができるのに、レイドができるのは予め入り込む準備がされていた舞踏会会場ぐらいなものなのだ。つまりレイドには一緒に組むに値する技量はない。剣の腕があったところで、『魔術師』の前にはこうして無力だ。
「調査能力はあるみたいだから、使い走りさせるのが一番向いてそうかな」
使い勝手なんて考えるふりをしつつ、レイドの記憶を覗いていく。焦らず、ゆっくりと、恐らくは見られたくない思い出を一つずつ引き剥がしていく。
そうして記憶を覗いてみると、レイドは存外に生真面目な人間であった。元々はクルド家に仕えた門番の息子のようで、父親が帰宅するのをいつも楽しみに待っていた。勉強はあまり得意ではなく、代わりに身体を動かして子供仲間とかけっこをして過ごしていた。家に帰ると当然のように夕飯がおいてあって、熱々とそれを頬張ると今度は剣術の練習をしに外に飛び出した。
レイドの誕生日に父が買ってくれた木刀が折れてしまい、泣いたこともある。近所に住む幼馴染が、レイドの母が熱を出したと聞いて食べ物を持ってきてくれた場面も見えた。幼馴染は頭が良くて優秀だったから、早いうちに奉公に出かけたそうだ。その家はとても大きな家なので、将来は安泰だろうと言う噂話を耳にする場面もあった。
あるとき、父の訃報が届いた。クルド家にやってきた不届き者を咎めたところ急に刺されたのだという。元々病を患いがちな母は悲しみ、後を追うように亡くなった。一人呆然とするレイドに声をかけたのがクルド家だ。突然やってきたクルド家の当主に、父の代わりに家に入らないかと言われた。
クルド家に仕えるべきか否か。返答は後日でよいと言われたあと、レイドはあまり悩んだ様子は見せなかった。おそらく受け入れようとしたところで、父の友人という男がやってくる。事態が変わったのはそこからだ。その男は父の死の真相を知っていると告げたのである。




