その859 『孤児トギルド』
飛行ボードに乗るときには、ぼろぼろの羽織を被った。頭からすっぽり被ると、途端に暑苦しくなる。しかし、セラ曰くブライトの髪は庶民の中に溶け込むには目立つのだと言う。髪艶の良いセラに言われても説得力はないが、下手に『魔術師』がお忍びで都にいることがばれても問題だ。言われたことは全て信じることにして、大人しく言うことを聞く。何より、また荷台の下にいることになるよりは数段良い。自由に街を行き来できる方法を考えてくれたセラには感謝である。
「では、参りましょう」
セラが先に飛行ボードを始動させる。その後をブライトも追った。
熱気が肌に触れて、チリチリと痛む。砂埃の合間、セラから離れないように速度を上げる。
はじめはセラもブライトも大変苦労したものだが、セラの飛行技術は大したものでみるみるうちに上達していった。ブライトはあまり練習時間がとれないこともあっておいていかれるばかりである。挙げ句、セラには自分の背中に捕まってはどうかと提案されることさえあった。生憎セラの背中は細いため、昔父とともに飛行ボードに乗ったときほどの安定感はない。丁重にお断りさせてもらった。
町中に入ると、喧騒が凄かった。その隙間を縫うように飛び、目的の建物へと向かう。あまり低空を飛ぶと、人にぶつかりかねないのでそこそこの高さを維持しつつ、高速で飛行する。飛行ボードは貴族がよく使う乗り物のため目立つ。だから庶民には追いつけない速度で航行する必要があるのだ。
少しすると、目的の建物が見えてきた。開けた屋上には、白い線で幾つか枠が用意されている。そのうちの一つを選んで、下り立った。途端、風が止み熱気がブライトを包み込む。暑さにげんなりする前に、冷たい水飛沫が顔に掛かった。暑さ避けである。ほっと息を吐きつつ、周囲を見渡す。既にセラは着地しており、建物の中からやってきた使いの者と会話を始めているところだ。
「数時間の予定です。よろしくお願いします」
などというセラの声が聞こえてくる。
セラにやり取りは任せつつ、ブライトは建物内へと逃げ込む。幾ら涼しくなるようにと水を撒いていても限界があるものだ。
ちなみに、贅沢な水をこのようにふんだんに使うことができているのはこの建物が、飛行ボードを預かる貴族御用達の専門店だからである。本棚を整理したときにこの店の領収書が出てきたらしく、セラから提案があった。よく父が利用していたと判断し、ブライトたちも使うことにしたのだ。
建物のなかは外と打って変わって涼しい。こじんまりとはしているものの、貴族たちが寛ぐためのソファやテーブルは用意されていた。そのうちの一つに座ると、少ししてセラがやってきた。
立ち上がったブライトはセラの案内のまま歩き始める。
「どうぞ、いってらっしゃいませ」
部屋のところどころに滞在する男たちはブライトが近づくと、恭しく礼をする。貴族相手の商売というだけあってさすがにそれらの動作に卒がない。感心しながらも隣を通り過ぎて、階段を降りる。
階下では複数の出口があり好きなところからでられるようになっていた。そうすることで少しでも民衆に見つからないようにするという配慮がある。貴族の動向一つで流行が変わるような世界だ。貴族は庶民に見つからないに限るのである。
出口を出れば、魔法石による霧によって周囲の様子が見えなくなっていた。おまけにしっとりと涼しい。この間にと、セラとギルドに向かって歩きだす。
「ここだと思います」
ギルドまでは思いの外、遠かった。すっかり霧の恩恵もなくなって汗だくになったブライトは、進んで白い建物の中へと駆け込む。扉を開けると同時に聞こえる鈴の音が、耳に心地よい。涼しい風が肌をなでて、生き返る心地がした。
「凄い人数だね」
同時に、目を見張る程の人の数に驚く。床に敷かれた赤絨毯の面積が狭まって見えるほどに、人で埋め尽くされている。木製のカウンターには受付と思われる人々がいて、応対に忙しくしていた。
「私もはじめは驚きましたが、これが当たり前のようです」
仮にも、シェイレスタはイクシウスやシェパングから表立って人を受け入れていないはずだ。故にギルドも小規模な活動しかできないと思っていた。実態は違うようだ。
「ギルドには奥に部屋が用意されています。孤児は、そこにいると聞いています。少々お待ち下さい」
セラが受付に近づくと、カウンターの裏にある扉から金髪の男が出てきた。恭しく礼をしたその男がカウンターを外す。そうしてセラとともに金髪の男がブライトの元にやってきた。
「行きましょう」
セラに問われて、やたらと手際が良いなと思いつつもブライトは頷いた。男の案内で廊下を通り、目的の部屋へと辿りつく。トントンとノックをした男は、扉を開けてブライトたちに向き直った。
「どうぞごゆるりとお過ごし下さい」
部屋は広く、落ち着いた空間になっていた。そこに薄汚れた子供とガラの悪そうな大男がぽつんといる。二人共椅子に座っているが子どもは身体を縄で縛られていた。浅葱色の不揃いの短髪から覗く幼い顔立ちを見るに、六歳ぐらいだろう。頬に一筋血が垂れていた。どうも隣の大男に殴られたようだ。
「はじめまして、ですね」
セラはそう告げると、自身のぼろぼろの羽織をめくった。ブライトも同じようにする。
「まさか、依頼主がこんなお嬢様たちとは」
大男は驚いた顔をしている。
「お嬢様ではなく、ただの使いですが」
ブライトたちはアイリオール家の使いとして、依頼したことにしている。ギルドの依頼には、希望すれば名前もいらない。だからこそ、男には意外だったようだ。
「セラと申します。こちらはライです」
ライはブライトの偽名だ。すぐに反応できるように、自身の名前の一部を取っている。ヒューイのときは本名を名乗ったが、セラ曰く避けたほうが無難ということで、そうした。
「どうも」
セラの視線を受け、にこやかに挨拶をしておく。
「ギツだ」
大男も名乗り返す。
「今回の件、ブライト様がたいへん心を痛めておいででしたので、こうして捕らえていただきありがとうございました」
セラはまず、礼を述べる。
「当主の依頼なら当然報酬は弾むんだろ?」
ギツが既に報酬をもらう気なのを見て、セラの目が険しくなる。セラの視線は時々子供へと向くので、子供相手に暴力を振るう最低の男だという評価をギツにしているようだ。そこに来ての報酬話だった為に、相当に機嫌が悪くなっていた。
「内容次第です。報酬にはその子との会話も含まれます。早速その子とお話してみたいのですが、良いですか?」
ただ、それを言葉に出すようなセラでもない。淡々と述べるセラに、ギツはまるで気がついていない様子でこう答える。
「あぁ、好きにしてくれ。あまり話さないようなら、手伝うこともできる」
手伝う、といって指の関節を鳴らされる。子供がぎょっとしていた。どうも、セラの評価は覆りそうにない男の態度である。
「そうはならないように、頑張ります」
ブライトはすかさず声を上げていた。暴力沙汰になったら、孤児は中々気を許さないだろう。それでは困る。加えてセラの機嫌が更に悪くならないか心配になったというのもある。
男からは何も言い返されなかった。胸をなでおろし、ブライトは子供へと向き直る。
「さてと、名前を聞いてもいい?」
子供には敬語は使わないほうが良いと、セラに事前に聞いていた。
故にその教えに従って質問をしてみたのだが、子供は口を噤んだままだ。ポキっという関節の音が聞こえて、子供の瞳に怯えが浮かぶ。
「あの、だから殴るのはいらないので」
ギツを宥めてから、子供に向き直った。
「お姉さん、君とお話したいんだけど名前がないとやり辛いからさ。あたしは、さっき聞いたと思うけれど、ライ。君は?」
結構歩み寄ったつもりなのだが、子供はまだ口を割らない。相当警戒されているようである。盗みを働いて捕まった身なのだから、想像通りではあった。
仕方ない、とブライトは心のなかで謝る。巻き込むようだが、話が進まないのだから許してくれるだろう。
「じゃあ、君はさ、ヒューイって知ってる?」
子供の表情がそこで初めて変わった。
「おっ、知っているっぽいかな?」
けれど、すぐに俯かれてしまう。
「今どこにいるかな? お姉さん、以前助けてもらったんだけど、その後ちゃんとしたお礼もできてなくって」
「あいつのことなんて、知らない」
ぽつりと押し殺すような低い声だった。その後、まるで自分の言い聞かせるように、子供は続ける。
「あんな奴、知らない」
それはどう考えても、知っている人間の態度に映る。
「君はヒューイのこと、嫌いなの?」
「別に」
そう言いながらも顔を伏せ続ける子供に違和感を覚えた。
「ねぇ、ひょっとして君」
「ライ」
セラに止められたが、止められなかった。嫌な予感が胸中を巡っていたからだ。
「泣いているの?」
その意味に気付けない程に愚かにはなれない。




