その857 『魔術ノ講義カラ』
「本日は、魔術書を保管する施設についてお話します」
「そういう観点での話は初だな、頼む」
家庭教師では、いつも通り王城の一室で講義を行った。王家がセセリアたちを殺す指示を出したならば、エドワードも何か知っているのではと思ったが、いつもと変わらない様子だ。それが演技なのか素なのか、ブライトには区別がつかなかった。
「最も世界的にも有名なのが、ダンタリオンです。これは、イクシウスにあり、その蔵書数はシェイレスタの王立図書館の十倍にはなると言われています」
イクシウスについて縁遠くとも、ダンタリオンについて話せるのは、魔術書が関わるからだ。魔術書集めに苦労した誰もが、ダンタリオンのことはよく知っている。エドワードに話す内容もあくまで常識の範囲内だ。
「しかし、その殆どは封印されていると言います」
「よくある『魔術師』の魔術で、というわけではないのか」
魔術書には『魔術師』により暗号化されていたり、簡単に開けられないよう魔術が掛かっていたりすることがある。それをエドワードは言っているのだろう。
「それで間違いではありませんが、強力すぎるのです。恐らく複数人で掛けたような、複合魔術を使っていると思われます」
複数人で掛ける魔術は、今の時代ではまず見掛けない。一人が魔術を習得するのにも長い年月が掛かるのである。複合魔術は、その魔術を一人では行わず複数人でやることになるから、難易度が高いのだ。代わりに、一人では発動しきれないような複雑な魔術を生成できる。
例えば、ブライトならば鳥の形をした水の塊を魔術で生成できる。そこに風を起こして、あたかも鳥が飛んでいるように見せるのは二つ目の法陣によるものだ。ブライトは一人で発動しているが、その二つ目の法陣を別の相手に発動してもらう。そうすることで、一つ目と二つ目の発動時間のラグを大幅に短縮できる。となると、鳥が生まれると同時に蝶の形に変形させることもできるかもしれない。
これが攻撃手段になると、次のような恐ろしいことさえも実現できてしまう。
誰にも気づかない程度の小さな炎を都の何処かに生み出し、同時にその炎を風で拡大させる。拡大には複数人用意する。そうすると、どんどん炎は大きくなる。その気になれば、シェイレスタの都を一瞬で全て燃やせてしまうのだ。
「ずっと疑問だったのだが、『魔術師』は魔術を習得するのに非常に時間が掛かるだろう? それなのに魔術書には大体魔術が掛けられて簡単に開けられないようになっている。その封印の魔術にも数年間かけて習得しているものなのか?」
エドワードの指摘にブライトは首を横に振った。
「現実的ではないでしょう。あたしは鍵屋がいたと仮説を立てています」
「鍵屋?」
「魔術による封印を行う専門家です。時代毎に複数人いたと想定しています」
そこまでいえば、勉強熱心なエドワードは直ぐにぴんときたようだ。
「そなたの論文にあったな、魔術書の封印方法はさまざまだが、何故か傾向が似通っている書物があると」
先日ワイズに対抗して出した論文だ。タタラーナからは面白くなかったらしく話にも触れてもらえなかったが、エドワードはさすがによく見てくれている。
「左様でございます。その為、解読も傾向が読めれば難しくないと書きました」
「そなたならば、ダンタリオンの蔵書の封印を全て破ることさえできそうだな」
事実として、ブライトはできないとは答えなかった。
講義は、語り合う形で進んでいく。生き生きとしたエドワードを見ていると、本当に魔術の講義は好きなのだなと実感させられる。表情こそ変わらないのだが、それだけは自然と感じ取れたのだ。
「王子はかなりの魔術を習得されましたよね」
数年掛けてようやく一つ覚えられたら十分な魔術を、ブライトほどの速度ではないとはいえ既にこの年で幾つか習得しきった。これは、紛れもない快挙だ。
「そなたの教え方が良いからな」
「恐悦至極でございます」
そうではない、とはつくづく感じていた。エドワードはブライトが教える以外にもかなりの勉強をしている。その頑張りがあっての結果だ。こうして、魔術にかなりのリソースを割いているのは、余程魔術が好きなのかもしれない。
「そう、実は王子に聞いてみたいことがございまして」
「なんだ、申してみよ」
エドワードに、セラと約束していた宿題について聞いてみることにした。優秀なエドワードは統治者としての知識も学んでいる。無知でよくわからずに統治しているブライトとはまるで違うはずだ。だから、ヒントが得られるはずと考えたのである。
「実は……」
一通り話したことで、それは実際にはっきりとした。エドワードはすぐに渋い顔をして告げたのだ。
「もし、孤児に働き先をやったところで事態は変わらないだろう。恐らくは薄給になる」
働いたことのないブライトには思いもよらぬ発想であった。
「薄給、ですか?」
「ただ同然で雇うことを商人が覚える。孤児は弱者だ。故に働き先に文句は言えまい。そして薄給が当たり前になるとそれまで働けていた者は不要になる。ならず者が増えて、治安は益々悪化する」
エドワードの最悪な仮説にぞっとする。それでは、ブライトは都の状況を余計に悪化させるということだ。
「それならエドワード王子はどうするのが良いとお考えになりますか」
少しでも情報を得たくて、聞いていた。エドワードはどこか悩むような顔をした後で、あろうことかこう口にする。
「難しい質問だ。こういうのは、ワイズに聞くと的確に返ってくる。問題なければ聞いてみるが?」
「いいえ、結構です!」
ふざけているのかと思った。それに後悔した。これでは、ブライトは領主として未熟だと王家に告げたようなものだと気がついたからだ。
「あたしは、王子のお考えを知りたかっただけでごさいますから」
そう付け加えつつも、内心やひやとしていた。
「そうか。そなたならばワイズの考えも知りたいかと思ったのだがな」
「どうしてそのような?」
エドワードは試すような視線を向ける。いつも、ブライトはそれを見ると心が揺さぶられる気がした。まだ子供だ。敬語を使うようにと執事が幾ら注意をしても無視しているような、図々しい少年に過ぎないのだ。にも関わらず、エドワードにはどこか全てを把握しているかのような末恐ろしさがある。相当な食わせ者とは思っていたが、それだけでは足りない。ブライトの理解の及ばないところで、エドワードは何かブライトについて思考を巡らせている。そうでなければ、こうも観察される気分にはならないだろう。
「当然であろう? そなたにとっては、ただの教え子のお友達ではすむまい」
それは勿論だ。
「まぁ、良い。察するに、そなたは恐らくまだ真実に辿り着けていないのだろう」
エドワードにそう付け加えられて、ブライトは思わず反復した。
「真実、ですか」
「まだ表面でしか物事を捉えていないということだ」
中々に厳しい指摘だ。
「そなたは、孤児が何故生まれるか分かるか?」
「それは……、魔物被害で親を亡くすことがあるからでは」
「全員が全員、そうか? そもそも、孤児は全体でどれほどいる? 被害があるというが、孤児の全員が盗みを働いているのか?」
言葉が出なかっただけに、よく言い当てていると感じた。よほど、エドワードには良い家庭教師がついているのだろう。
「もう少し探ってみます」
「それが良い」




