その855 『シェパングノ脅威カラ』
「シェパングがシェイレスタに戦争を仕掛けようとしている、と」
タタラーナと会ったのは、王立図書館の一室だ。例のごとく、バタフライティーを口にして待っていた彼女は、はっきりと告げる。
「正確には和平派と主戦派がいるようですわ」
他国全般の知識については乏しくとも、シェパングの国政はだいぶ勉強してきたつもりだ。簡単に言うと、シェパングは王政のシェイレスタとは大きく違い、代表者は固定ではない。タタラーナが言うのは、その代表者が和平派と主戦派に分かれており、後者が力を握るとシェイレスタとしてはよろしくないということであった。
「密偵が相当数、入り込んでいるようでしてよ」
シェパングの密偵の話はこれまでにも度々出ていた。最近だとミドフが捕らえ、それにより恩賞を受けることになっていた。その密偵は主戦派、抗輝によるものだとされている。
「どうも抗輝という人物は、相当に好戦的のようですわね」
サロンでシェパングの有識者を招く際にタタラーナは抗輝の情報を集めている。最近知ったのだが、それを王家に伝えているらしい。見返りに何を貰っているかまでは分からない。
「密偵の目的は、戦争を仕掛ける為の理由づくりということでしょうか」
「或いは、和平派の弱みを握るつもりでしょう。どちらにせよ、シェイレスタには不利に運びますわね」
タタラーナのサロンに参加しているのは、あくまで有識者。そこに和平派も主戦派もない。だが、実際にはどちらかの『魔術師』の息が掛かったものがいるかもしれないのも事実である。むしろそうでなければ抗輝の情報など手に入らないだろう。
「実際のところ、サロンに来ているのはどちらの派閥ですか」
ブライトの問いに、タタラーナはとても不機嫌そうな顔をした。
「わたくしが主戦派をサロンに入れるとでも仰るのかしら? そもそも、あの者が主戦派に見えまして?」
あの者と言われただけで、誰を指しているかはすぐに分かった。そこには、大変同意する。ブライトも何度か会っているが、研究一筋でとてもそうはみえなかったからだ。
「海凪は確かにあり得なさそうです。さすがに突飛過ぎます」
「まぁ、それもわたくしたちの目を引くための演技だと言われればそれまでですけれど?」
話題に挙がっている海凪とは、タタラーナが開いている未知に関するサロンで会った。シェパングの文化人との交流を持つことは何回かあったが、海凪はその中でも驚くほどの変わり者だ。まず見た目がとても浮いている。砂漠生活が長いらしくこんがりと日焼けした肌でよくインドアの学者が好む丸眼鏡に白衣を着ているのだ。そこに何故かいつも派手なネクタイをしていてちぐはぐなのである。おまけに研究以外には無沈着で、髭も髪もぼさぼさだ。身支度を整えてくるのが当たり前の貴族たちのなかでは、これがとても目立っている。
外見だけではない。見知らぬことを探求することに精力的であるが為に、特異な発想もよくした。
「私は、この世界は元々空ではなく真の海の上にあったと仮定しています」
彼がブライトの気を特に引いたのが、この言葉だった。
「飛行石は有限であり、人工的に作られたものだと分かっています。では、飛行石がある前は何だったのか? 簡単です。今いる地面。それが、海に浮いていたと考えます」
この理屈をブライトは面白いと感じたが、如何せん突飛過ぎた。サロンの皆は否定的で、反論が相次いだ。反論の内容は、こうである。
「それはさすがにないだろう。海に大地があれば普通は沈む。それとも、浮くほど大地は軽いとでもいうのか。そんなことはあるまい。バケツに水を浮かべて、適当にそこら辺の石をいれてみたまえ。石一つでさえ沈むのだ。石の塊の大地など、沈むに決まっている」
海凪は、当然としてそれに答える。
「大地は、海の底まで繫がっているとしたらどうでしょう?」
けれどそれもまた、中々突飛な言い分なのである。
立ちどころに反論が挙がった。それらを纏めると以下になる。
「そんなに長い大地があるなら、今でもその多くを観測できるはずだ。空に浮かぶ大地の殆どは海面に届くほどではない。それに、大地が海にあったとして、どうやって海獣から身を守っていたというのか」
最後の質問部分について海凪はこう答えている。
「私は海獣は当時いなかったのではないかと推測しています。海獣から逃れるために、我々の祖先は飛行石を開発したのでは無いでしょうか」
ブライトたちは当時の人間ではないから、事実を推し量ることしかできない。故に、卵が先か鶏が先か理論はいつも答えが見つからないで終わる。
「どうも先程からあなたの口からは新しい可能性ばかりがでてくるようだ。それは信憑性にかけるだろう。学問は思いつきではない」
といった反対意見がでた。それでサロンは閉じたものの、ブライトとしては言いたいことがあった。だから、個人的に海凪に話してみたのだ。
「机上の空論にしかならないとはいえ、面白いです。もしその説が正しいならば奈落の海は当時危険ではなく、我々はそこに生きていたということですし、夢があります」
元々未知に関するサロンなのだ。多少の想像もあるだろうというのは、ブライトの意見だ。
「私は文字としての歴史はいまや残っておらず、口頭で伝わっている程度だと考えております。そして、口頭で伝わるものの一つに唄があるのです」
海凪は、ブライトの感想に淡々とそう返した。
「唄、ですか?」
少し考えて思いつく。
「死者を弔う唄に、真の海について述べられています。このことでしょうか」
海凪には小さく頷かれた。
「実際の唄にございますれば、決して夢ではございません。私は夢物語を語ったわけではないのでございます。ゆめゆめお忘れなきよう」
それで、海凪の機嫌を損ねていることにブライトは気がついたのであった。
「海凪に限ってはまず、あり得ないと断言しても良いです。派閥に絡むのであれば、あたしに媚びを売ることはあっても、不機嫌を露わにはしないでしょう。あの者はああいう方です」
演技かと問われたタタラーナの問いにブライトははっきりと述べる。
「同意見ですわ。そもそも、身近なことを何でも繋げて考えたがるのが人間の悪いところというものです。同じシェパングだからといって、全てが敵というわけではありませんわ」
尤もだ。我が道を行くタタラーナだが、時折驚くほどの正論が飛んでくる。
「とにかく、わたくしのサロンは問題ないとして、他の可能性ですわ。特にあなたはぼけっとしていますから出し抜かれないように気をつけてくださいまし」
「ぼけっと、ですか? はじめて言われました」
そんな自覚はなかったし、どちらかというと常にばたばたしているのがブライトだ。
「それは他の者の見る目がないからでしょう」
タタラーナは強気にそう言って、立ち上がった。そのまま部屋を出ていく。話はこれで終わりらしい。長話に発展しないのが、いつものタタラーナとの距離感だ。タタラーナとは敵であり、味方であるような不思議な関係がずっと続いている。




