その854 『期待ヲ受ケテ』
「おかしいとは思いませんか?」
ミラベルはそこで不意に言い寄る。
「女は出てはいけない裁判。よほど大事な審議をしているかと思えば、彼らは皆殆ど意味のない神任せになる裁判をしているのです。その癖、顔だけはしっかり隠して誰が反対したか分からないようにしておく始末」
ミラベルの言いたいことは分かった。結局運であれば、裁判の意味はない。そして、これではセセリアも生き残る可能性が出てくる。
「王家はこれを知っているのでしょうか」
「分かりません。知っていても変えられないのかと」
ミラベルは吐き捨てるように述べた。
「変えられない、ですか」
「ご存知でしょうが、王家とて好きなことを好きなだけ自由にできるわけではありません。過去には領土を貴族に配分することで地位を得てきたのでしょうが、今となっては……」
敢えてミラベルはその先を言わなかったが、言いたいことは伝わる。もう分け与える領土もない今、王家がその地位を維持していられるのは『魔術師』の支えがあるからだ。彼らが手のひらを返せば、簡単に転覆する。今の王家が持っているのは、騎士団にシェイレスタの都の半分、そして王城だけだ。異能者施設の管理でさえ『魔術師』の家を頼っている。つまるところ、『魔術師』たちのほうが、多くの力を持っているといえてしまう。
故に、アイリオール家のお家騒動一つままならないのだろう。
「ですから、ブライト様に託したいのです!」
「あたし、ですか」
突然振られて、戸惑う。
「ブライト様は女の身でありながら、深い魔術への造詣がありアイリオール家をまとめ上げようとされています。女を捨てたわけではなく、女として戦い続けられている、その姿勢は、旧態然としたシェイレスタに光を与えられると思うのです」
そして、とミラベルは続ける。
「裁判はまさに旧態然の象徴です。この無意味な裁判をブライト様に是非変えていただきたいと存じます」
ミラベルのきらきらとした目は、まっすぐにブライトを見据えている。確かに、ミラベルは嘘を言っていない。紛れもなく本音と分かる表情だ。
だからこそ、重なった。
場所が裁判所というのも悪かったのだろう。どうしても、シーリアと、ミラベルが同じに見えて仕方がないのだ。
少し考えて、これが期待だと気がついた。彼女たちはブライトに多大な期待を寄せている。
「分かりました。あたしのできる範囲で協力させて下さい」
当たり障りのない言葉を掛けたつもりだった。それで、ミラベルの期待に答えたことにする気でいた。
「私はこんな裁判で亡くなった友人を助けたいのです」
ミラベルにはきっと見透かされていた。
「だからブライト様、お願いします」
手を握られ、詰め寄られてぎょっとする。眼鏡越しでも真剣に縋っていると分かる、眼力の強さに当惑する。ミラベルの友人とやらはもう故人であり助けようもないのだろうに、とは言葉にもできまい。ミラベルは、ブライトのてきとうな返しを許さない。確実にブライトに約束をしてほしいとそう告げている。
「分かり、ました」
途端に手が離され、ミラベルは、
「失礼しました」
と謝る。途端に、声音は優しくなり、先程までの真剣さは鳴りを潜める。
「急にお手をとってしまって、さぞ驚かれたことでしょう」
そうして距離を少し取ったミラベルは扉を示した。小部屋から出る道だ。
「すみません。私から『いきましょう』と言っておきながら、つい引き留めてしまいました」
ミラベルはドアノブを開けると同時に、ブライトへと顔を向ける。僅かに開いた扉の隙間から光が零れ、ミラベルの顔をくっきりと浮かび上がらせる。その目はぎょっとするほどギロギロと光っていて、まるで獲物を追い詰める獣のようであった。
「ですが、よろしくお願いしますね」
なんて重い一言なのだろう。ブライトは嫌でも頷くしかなかった。
裁判は結局、ミラベルの言う通りになった。シーリアは火刑に決まり、準備ができ次第実行されるという。さすがに、彼女が燃えるところを見せるわけにはいかないと言われ、ブライトは帰された。結果は、必ず手紙に書くとのことだが、事件が事件なので噂としても流れてくることだろう。
とりあえずと帰りのラクダ車に乗ったブライトは、すぐに疲労を意識した。
腕に触れて、鳥肌が立っていることに気がつく。ぞっとしてしまったのだ。ミラベルの思いも、シーリアの狂った熱意もきっと変わらない。彼女たちはブライトに変えてほしい世界があり、それをブライトに期待している。
――――人間は皆、勝手ばかりな生き物なのだろう。
ブライトは、ただ自分たちの幸せを望んでいただけなのに、いつの間にかいろいろな期待を背負わされている。
良いように利用しようと、仲間に引き込もうとしたのは確かにブライトだ。だから責任はブライトにある。けれどいつしかブライトの想像の範囲を飛び越えて彼女たちの良いように理由にされ、縋り、そして動かれていると感じるのだ。
ましてやミラベルなど裁判所の関係者であればブライトより力がある。自分の夢なのだから、自分自身で勝手にやり遂げて欲しかった。
しかし、彼女たちはどうしてか、自分自身でやろうとせず、ブライトという名前の人形の手足に糸をかけて好きに動かそうとしている。糸を引っ張っていた側が、引っ張られる側になってしまったと自覚した。
「期待だけなら、まだ良いんだけどさ」
上に立つ者の責務として、背負うだけならばまだ良かったが、今はそれだけではないのだ。理想を押し付けたうえで、独自に動く者がいるのが一番厄介だ。それはシーリアが行った勝手な惨殺のことだけではない。
ブライトはここまでの流れで察していた。おかしいということをだ。ブライトの知らないところで、いつの間にかいろいろな人たちが不審な死を遂げているのである。ミドフだけがブライト派の人間を殺しているわけではない。先日のアメヒアも、誰が何の目的で殺したのかが謎なのだ。ブライト派かワイズ派か、誰かが何かをしている。それをブライトたちという人形を動かす裏で、こっそりとだ。一体全体何が起きているのかと問いかけたかった。
「いや、起きているのはわかっているんだっけ」
起きているのは、ただの醜い政争だ。昔から理想を押し付け合っていた人々が、都合のよい存在であるブライトたちを見つけてゲームをしだしたに過ぎないのだろう。それがワイズ派ブライト派という形で表に現れたのだ。
ただ、それだけで片付く話でもない気がしていた。少なくともこれは、無視しておけるものでもない。ブライトはその中心にいるのだから無責任ではいられない。
しかし、止めたくとも、自分の手を超えて起き始めた政争に対し、何をしたら止められるのか皆目検討がつかなくなっている。
仮に、筆頭であるジェミニがどうにかなれば解決するのだろうか。それとも、ワイズ派がなくなれば良いのだろうか。わかるのは、非常に愚かしいことが今シェイレスタに起きているということだ。
国内でそんな悠長なことをしている場合でもないのにである。
「そう、まずはシェパングだよ」
この後、ブライトはタタラーナと会う予定になっている。サロンを通して少しずつ交流を進めていたが、シェパングは相当にきな臭いのだ。




