その853 『神ニ聞ク』
「なぜ、顔を?」
ぞっとしたブライトは、たまらずミラベルに質問した。
「特定されないようにです。もし判決で無罪になった者が、自分のことを裁こうとしている人物を覚えていたらどうなるでしょう?」
ミラベルの答えに、理解はできる。
「なるほど。復讐されないようにですか」
「そういうことです」
しかし、目の前にある不気味な光景は今晩の夢に出てきそうなほどだ。それに、あてが外れた。暗がりを見ることができても、これではワイズ派の『魔術師』がいるかなど判断できるわけがない。
「これであれば、あたしたちがこっそり傍聴席に混じっていてもばれなさそうですね」
ブライトなりの疑問をぶつけると、
「仮面は傍聴席でつけますので、それまでの間に見咎められることと存じます」
というミラベルの答えが返ってきた。やはり、隠れてこそこそ小部屋に忍び込むしか方法はなさそうである。
中央のシーリアは傷だらけのように見えた。顔は見えないが、ドレスがところどころ破れて見えたからだ。それに足をひきずってもいる。何か、折檻のような行為が行われたと想像できた。そうしたなか、顔を上げ姿勢を正して立っているのである。力に屈しない意思のようなものが感じ取れた。
少し離れたところにいる議長と思しき男が声を掛ける。
「よろしい。ではこれより、エンダ家とスフィーユ家の虐殺事件について審理を行います」
はじめはエンダ家の虐殺事件についての話がされた。これは騎士団から一通り説明がある。騎士団は仮面をつけない代わりに、顔を兜で隠しているので、誰なのか分からない。ただ、声の感じからしてブライトの知らない人物のようだ。
大まかな内容はブライトが聞いた話そのままだった。ただし、生々しい内容になっていた。虐殺と聞いただけではピンとこなかった細かな死体の状況や、如何にして危険な魔術書を入手したか、どのように人を殺したのかについて、詳しく述べられていく。あまりの悍ましい行為を聞かされて気持ち悪くなったのか、仮面越しに顔を抑えて蹲る者もいる始末であった。
「一旦はここで区切りましょう。ここまでで、事実と違うことはございますか」
議長は、時折こうして事件についてシーリアに確認をとる。事実に間違いがないかだけではなく、そのときの気持ちを聞いたり、反論はないか意見を求めることもあった。やり方は非常に丁寧に見えた。だから、ボロボロの様子に目さえ瞑ればシーリアにちゃんと配慮された裁判にみえなくもない。
「では、何故このような行為に及んだのでしょう」
「当然、私がエンダ家を疎んでいたからです。特にミミルは令嬢たちと仲良くしながら、影で散々手を回していた。薄汚い根性に辟易したのです」
「それでは、何故ご家族を殺害したのですか」
「勿論、私が自身の家族を嫌っていたからです」
シーリアは議長の問いかけに明朗に答えていく。しかしそれは、自分に有利になる発言ではない。むしろ不利になるような、嘘ばかりが告げられる。ブライトの名前も決して漏らそうとしない。これでは裁判は、不利に運ぶことだろう。
ブライトが自分の話を出されないかとひやひやして様子をみていたのは最初だけだ。そのうち、何故そこまでと疑問が沸いた。ブライトがシーリアを売ったことは少し考えれば分かるはずだ。にもかかわらず、何故ブライトについて悪く言わないのだろうと問い詰めたくなる。
「シーリア様はどうしてこんな不利になるような発言を……」
溜まらず呟けば、
「私にはわかるような気がします」
というミラベルの言葉が返った。思わず彼女を振り返る。
「シーリア様は、ブライト様に希望を託されているように見えるので」
きっと何の根拠もない。ただ、シーリアの姿に思うところを感じたと言うだけのミラベルの発言だ。
けれどそれが的を得ているように思えて、息苦しさを覚えた。
「では、最後に伝えておきたいことはございますか」
「いいえ。何も」
話すまでもない、とシーリアは自身の最後の発言機会をもふいにする。
「では、判決についてです。今までの内容について、シーリア・スフィーユに死刑を望む者は立席を」
がたがたと席に立つ貴族たちの気配がある。身を乗り出して確認したくなった。
「確認しても無駄です」
ミラベルがそれを制する。
「何故、でしょうか」
「結果は分かりきっているからです」
戸惑うブライトの表情に補足が必要と気づいたらしく、ミラベルは説明した。
「ここで満場一致になれば、終わりです。が、シーリア様を守ろうとする者も必ずいるわけです」
ミラベルが当然のように話すので、正直意外だった。あれほど擁護のしようがない内容だ。にもかかわらず、確かに座ったままの者が何人かいる。座ったままの者は、身内かブライト派の人間だろうかとつい訝しんでしまう。
けれど、こうなると満場一致にはならない。多数決で決まるとばかり思っていたのだが、そこで議長の発言があった。
「では神にも聞きましょう」
意外な内容に、耳を疑った。
「えっと、これから何が起きるのですか?」
意味が分からずにミラベルを振り向くと、彼女はどこか諦めた顔をしていた。
「神に聞くのです」
そうして、ミラベルはブライトに向き直る。切り替わったその顔は真剣そのものだ。
「ブライト様は幻滅なさるかもしれませんが、裁判では必ずこの流れになります。簡単な話なのです。誰か一人でも反対がいれば答えが出ないので、神に聞くことにします」
話が読めない。戸惑うブライトの様子を感じ取ってか、ミラベルは続ける。
「刑の内容も議長が何を引き当てるかで変わります。火刑か服毒。或いは魔物の巣へと投げ込まれる。ラクダ車で轢くというものもありますが、その内容を書いた紙を箱に入れて引くのです。そして、引き当てた刑が実行されます。いずれも、一の刻を持って無事かどうかで判断します」
つまり、神に聞くというのは、処刑をしたときに運良く生き延びたかどうかで判断するというのだろう。裁判とは、一体何なのかという疑問がブライトの頭に浮かんだ。あれだけ丁寧に発言を求め、意見を聞いていた議長の行為に意味を見出すことが、どうしてもできない。
「あの、それでは、これはただの運では」
ブライトのその言葉を待っていたようで、ミラベルに強く首肯される。
「神に聞くのですから、そうなります。……さて、いきましょう。これ以上は見る必要はないかと存じます」
小窓から離れたミラベルに手招かれた。更に、結果は後で知らせるからと言われる。大人しく頷くよりなかった。
「淑女が入れない意味がおわかりでしょう? 私も裁判所の関係者ででなければ、知ることはなかったのですが」
「ええ、衝撃的でした」
まさか、処刑が賭博と変わらないとは思わない。
「私がはじめてこれを知ったときも、衝撃を受けました。満場一致の場合は、ギロチンを使った処刑が行われますが、なんと過去一度も起きたことがないというのです。何故か分かりますか?」
そこまで問われれば、ブライトにも答えが見えている。
「責任を取りたくないのでしょう。その人の生死を常に神に委ねたというわけですね」
罪の意識から逃れるためにはそれも一つの手ということだろう。
「そのとおりです。私はこれを変えたいのです」
なるほど、シーリアの書類には確かにミラベルの名前はなかった。それが何故か分かった。
シーリアはブライトに仕組みを変えてほしいのだ。だから、ブライトにつくことにしたのだろう。




