その852 『仮面ノ裁判所』
「ワガママを言って、連れてきていただいてすみません」
ブライトはそう頭を下げた。
今日のブライトは、シーリアの裁判の傾聴のために裁判所へ訪れている。
先日のサロウの件は魔術書を送ってセラにも一通り話してある。セラには礼を述べられたが、実際のところまだどうなるかは未知数だ。
しかし魔術書を送って調査結果が返ってくるのも、距離を考えると相当にかかる。その為に、暫く待ちになっていた。代わりというように、シーリアの裁判の日がやってきた次第である。
ちなみに、セセリアについては王家に関わる問題の為、念入りな調査がされていると聞いている。そちらはブライトの読みでは、王家の威信に関わる事件で軽いはずがない。恐らくは死刑になる。そうでなかったとしても一生外には出られないだろう。だから、敢えて犯人に仕立て上げたことで、当初の目的は達成したも同然とみていた。
ただし、シーリアの件は別だ。言い逃れができないほどに証拠もあり、記憶も読まれていることだろうが、王家とは関係ない。その状況で、どういう判決が下されるのかが読めない。ワイズ派の関係者が潜り込んでいる可能性も考え、見ておこうと思っていたのだ。
「とんでもございません。ブライト様のお気持ちは分かりますから」
ミラベルからそう返答がある。
裁判所は、女の身であるブライトでは見学の許可さえ中々下りない。傾聴などもっての外だ。だから、ブライトはミラベルの手を借りた。ミラベルからは定期的に裁判所しか知らないような情報をこれまで流してもらっている。レインフィート家の力が裁判所まで及んでいる証であった。
故に、無理を承知でお願いしてみたのだ。
「ただ、淑女の身で表立っての傾聴はできないため、このような暗がりから忍ぶ形になってしまいますが」
その結果案内されたのは、傍聴席ではなくその背後にある小部屋であった。声が聞き取りにくいのが厄介だが、致し方ない。おまけに暗がりというように小部屋には照明一つなく、代わりに傍聴席に繋がる小窓が用意されているだけである。そこに顔を近づけて目を凝らしても、残念ながら傍聴席の様子は全く見えなかった。というのも、小窓は元々照明からの光を送るための場所のようで、傍聴席を上から覗く位置取りになる。昏い地面に誰かがいるのは分かるのだが、顔まで特定できそうにないのだ。
「いえ、ここまでしていただいてありがたいです」
けれど、ここまで来られただけでも十分だ。そう思うからこそ、礼を述べた。
先ほどはじめて裁判所の中を見せてもらったが、殆どが牢屋のようだった。手錠をかけられた人々は裁きが下るまで指定の場所に入れられて、聴取を受けるという。ろくに食べ物も与えられない酷い扱いをみてしまうと、特別区域を連想させられる。恐らくは、シェイレスタの二番目の汚点だ。罪人の疑惑を持たれた者の扱いは、『魔術師』であってもすこぶる悪いのである。それを、ミラベルは隠さずにブライトに伝えたのである。
「以前、令嬢が殺人を犯したときには、その令嬢は裁きを受ける間に命を落としました。あまりに酷い扱いだったということだと思うのです」
ミラベルは胸を痛めているようだ。ブライトは敢えてその令嬢の名前を聞かないことにした。知っている人物であったら嫌だと感じたからだ。
「シーリア様やティナリーゼ様は大丈夫でしょうか」
まずはミラベルも知っているお茶会仲間の心配からだ。特にティナリーゼについては完全なとばっちりである。
「今のところお二人とも無事ようです。さすがにブライト様からのお手紙を渡すようなことは私の権限ではできないのですが」
やはりミラベルは裁判所に強い権力を持っているようだと、発言から解釈する。普通はその発想も湧くまい。
「いえ、そのご配慮だけで大変有難いです。こうして我儘も聞いていただいていますし」
「あっ、始まったようです」
ミラベルの言葉に聞き耳を立てる。確かに、ミラベルが言うように、先程まで騒がしかったはずが嘘のように静まっている。
そこから、
「では、はじめます」
と男の声が聞こえてきた。
「まずは名前を名乗りなさい」
「シーリア・スフィーユです」
続けて、質問とはきはきとしたシーリアの声が聞こえた。様子は暗くて見えないが、シーリアは傍聴者たちに取り囲まれるようにして部屋の中央にいるようである。ちょうど三角館の広間のような部屋であった。
「ブライト様、これを」
ミラベルに渡されたのはゴーグルだった。
「これは?」
「暗がりの様子が見えるゴーグルです。『古代遺物』の一種です」
大人しくつけてみると、途端に暗がりの様子がはっきりとした。思ったより多くの人々がシーリアを取り囲んでいる。その誰もが仮面をつけていた。白くのっぺりとした仮面が薄明かりにぼんやりと浮かんでいる様は、何とも不気味であった。




