その849 『施設長ニ会イニ』
聞き取りが一通り終わりようやく事件が静まってきた頃、ブライトはヴァ―ルに呼ばれた。舞踏会で相談を受けていた、イクシウスの異能者施設の施設長との顔合わせがあるからである。
ひとまず、ヴァ―ルの指示通りにヴァ―ルの屋敷に出向いたブライトは、早速出迎えたヴァ―ルから詳細を聞く。本当はセラを連れて行きたかったが、イクシウスには特別な石があるとかで『異能者』を間違えても連れて行かないようにとヴァ―ルから前もって注意を受けていた。あくまで『魔術師』だけで赴くのだという。
「顔合わせには、三角館と呼ばれる施設を使う。イクシウスでもシェイレスタでもない地点だ。都から外へ出ることになるが、幸いにしてシェイレスタの都からそこまで距離はない」
三国の中間地点というが、正確にはその三国にシェイレスタは入っていない。シェイレスタが興る前、それも遥か昔にあったという国とイクシウスとシェパングの三国の中間地点。それが三角館になる。
故にシェイレスタの都からはそこまで離れていない。小型飛行船で休息無しでいける距離なのだという。逆にイクシウスの異能者施設は、遥か遠方にあるということなので、施設長は自ら長旅をしてくるということになる。今度の施設長は、中々に行動派のようだというのが、ヴァールの意見である。
「ということは飛行船に乗るんだね」
ヴァ―ルの説明に確認をとると、ヴァ―ルから肯定の頷きが返った。
「小型飛行船になる。乗ったことは?」
「あるよ、一度だけ」
父の遺骨を思い出して答えると、ヴァ―ルも気づいたようでそっと顔を伏せた。
「こちらから搭乗します。さぁ、どうぞ」
執事の一人がそうブライトに声をかけて、中庭に続く扉を開けた。ヴァ―ルの後について中庭へと出たブライトは、一隻の小型飛行船に出迎えられる。葬儀のときと同じ小型飛行船という話だったが、あのときよりもずっと大きい。白いシルエットは見栄えが良く、船尾には家紋が描かれている。その為、ヴァ―ル自身が所持している機体と思われた。
機体は近づいてみると、扉が開いていてそこから階段が掛かっている。以前の飛行船では、外の空気が直に肌に当たったが、この飛行船は機体の内部に席があるのだ。飛行船にもいろいろあるのだと感心しながら、ヴァ―ルに続いて内部に入る。途端、涼しい風が肌をなでた。水と風の魔法石が壁付近に括り付けられているのを見て、快適な空の旅が約束されているようだと感じる。
船内も意外と広く、四席ある座席以外にも飲み物が飲める小さなカウンターや簡易なベッドまで用意されている。カウンターと操縦席には既に人が座っていた。
「お好きなところへどうぞ」
操縦士の男にそう声を掛けられて、ブライトは後部座席を選ぶ。革の椅子はブライトが座っても、きゅきゅっと音を立てるだけであまり凹まない。
「では、出発します」
操縦士はそう声掛けすると、手慣れた操作で席の前にあるボタンを弄った。ヴァールにブライト、付き人を数人乗せて飛行船が浮かび上がっていく。貴族の私物というだけあってか、音が静かで衝撃も少ない。感心しながら観察していると、操縦桿に目がいった。
「飛行船の操縦というのはやはり難しいものかな」
ブライトの問いかけに前の席に座るヴァールが驚いたように振り返る。
「興味が?」
「うん。楽しそうだから」
ブライトの発言に気を良くしたのだろう、
「それはそれは」
と操縦席の男が声を弾ませた。
「嬉しいことです。幸いにして、小型程度あれば難しくはございませんよ。興味があるようでしたら今度、操縦について書いた御本でもお渡ししましょうか」
ヴァールは途端に眉間を深くする。
「勝手なことを。お前の書いた本なら字が下手すぎて読めたものではないだろう」
「いやいや、ヴァール様? 一応王立図書館にもおかれているんですよ?」
意外と、ヴァールと操縦者の仲は良さそうだ。微笑ましい侍従関係につい口元が緩む。
「是非下さい」
とお願いもしておいた。
「ヴァール様のお客人は素直でいらっしゃる。良ければカウンターにいる男にドリンクを頼んでは? チェリーとかライチとか変わったものを揃えていますよ」
気分が良くなった操縦席の男に勧められて、カウンターに向かう。ぴしっとしたスーツを着た面長の男がカウンターの前に立っていた。にこりと笑みを向けられる。
「ご注文は?」
「おすすめの……、ライチのほうで」
毒を警戒すべきか悩んだが、さすがに男は心得ているようだ。手際よく用意したライチジュースを小さいグラスと大きいグラスに分け、その片方、小さいグラスで毒見をしてみせる。
「どうぞ」
そうしてブライト用に大きなグラスを渡された。グラスには、果実が埋められた氷がめいいっぱい入っていて、とてもお洒落だ。
「美味しい」
甘酸っぱさを堪能する。美味しいドリンクを飲みながら飛行を楽しむ。なんという贅沢な飛行船だろう。
「ヴァールはよくこの飛行船に?」
尋ねると頷きが返った。
「勿論。私物だ」
「中々良いね」
「君も買えば良い。君の父上はあまり遠くには行かなかったから飛行ボードで済ませていたようだが、ドレスで飛行ボードも使いにくいだろう」
確かに、それが問題でいつもラクダ車だった。ここまでの規模でなくとも小型飛行船なら庭にも止められるし、何より速い。資金面と運転技能さえどうにかなればありだろう。
「考えてみようかな」
そうしてブライトは束の間の優雅な空の旅を満喫した。
飛行船に乗って向かった三角館は、上空からみると確かに見事な三角形をしていた。
飛行船が三角館の一辺に近づき着陸すると、ブライトは操縦者に礼を述べて、下り立つ。
都の外に出たのはこれで数えるほどだが、いつも空気が違うと感じる。屋敷を意識させる造りの建物であるが、新しいところにきたという印象のほうが強かった。
ヴァールのあとをついて歩きながら、
「なにか注意したほうがよいことはある?」
と聞いてみる。
「特には。相手の出方を見てみない限りには何とも言えない」
その発言で、ヴァールも殆ど新しい施設長と面識がないと気付かされる。
長い廊下を淡々と歩いていくと、目の前に扉が見えた。目的の待合場所らしく、ヴァールが襟元を正す。少々緊張しているようだ。
付き人が扉を開くと、その先は広間になっていた。階段を下りた先、広間の中央に男が一人立っている。
あれが、イクシウスの施設長だろうかと訝しむ。必ずいるはずの付き人の姿が見えなかったからだ。むしろ大剣を携帯していることといい、どちらかというと迷い込んだ用心棒の一人のようである。まさか施設長程の人物が顔合わせとはいえ一人で赴くはずもあるまいし……、と考えたところで、男が振り向いた。
濁った目に、ぎょっとした。まるで死を背負ったような暗い顔をしていたからだ。




