その848 『疑惑ニ吐息』
セセリアが連行されたことで、その日はお開きになった。帰路に着く為王城の廊下を歩いていると、皆の囁きが嫌でも耳に入ってくる。
「セセリア様、ミドフ様に毒を盛られたそうよ」
「幾ら振りむいてもらえないからって、そんな大逸れたこと」
「私、セセリア様が針でミドフ様を刺したのを見ましたの。なんて恐ろしい」
「わたくし、怖いわ。ルルメカ家なんて小さな家、ミドフ様に声を掛けていただけるだけでありがたいというのに」
既に噂話には、好き勝手な解釈を付け加えたものも多々ある。しかし、セセリアがミドフに積極的に話しかけたものの相手にされなかったのは本当であろう。それで、無理に媚薬を摂取させようとしたに違いない。
ブライトの読みでは、セセリアはミドフを会場の外まで連れ出そうとするものだと考えていた。媚薬はそこでミドフに飲ませるものと思っていたのだ。けれど、実際には連れ出すことさえできなかったようだ。それで、小瓶とは別に注射針などで直接投与しようとしたのだろう。
本当はセセリアが事を犯す前に見つけられたら、さりげなくミドフを連れ出す手伝いをしようと思っていた。それができなかったことで、余計に大騒ぎになった。お陰で目撃者はたくさんいるものの、調査も念入りにされることになるだろう。
「ヴァ―ル様、ここまでありがとうございます」
ラクダ車に乗ったハリーが来たのを確認して、ブライトは礼を言った。ヴァ―ルは気を利かせてついてきてくれていたのだ。
ちなみに、敬語に戻しているのは周囲に『魔術師』たちが大勢いるからである。
「どうかあまり思いつめられませんよう」
「はい」
噂話に耳を傾けながらじっと考えるブライトに、ヴァ―ルはブライトが動揺していると思ったようだ。ブライトも先日舞踏会で薬を盛られたばかりなのだ。確かにそう考えるのが普通だろう。
「では、失礼します」
ラクダ車に乗って、がたがたと揺られる。振り返った王城は嘘みたいに煌びやかで、『魔術師』の汚いところなど見事に覆い隠しているように見えた。
セセリアが起こした騒ぎは、非常に大きいものだった。シーリアの虐殺のときも大問題であったが、今回は王城で起きた事件だ。王家の威信に関わるという話もあり、セセリアだけでなくルルメカ家全員が処罰の対象になる可能性もあるという。
「しかもその薬がとんでもない劇薬でした。ミドフ様ははじめこそ意識があったのですが、直ぐに意識を喪失、そのまま亡くなったとのことです」
ガインの説明を聞きながら、ブライトは首を傾げてみせた。
「セセリア様がそんなことをしたなんていまだに信じられません。ですが、それで何故あたしが呼ばれたのですか」
今、ブライトは王城で、もはや定番となったガインたちが用意した部屋にて聞き取り調査を受けている。大騒ぎになったあの日から既に数日間が経ってからの取り調べなので、ある程度の情報は漏れているとみている。セセリアが口を割った可能性もあるが、どちらかというと罪人として記憶を読まれた可能性が高い。
「薬を盛ったのはセセリアですが、調薬はブライト様とされたということでしたので」
ガインの言葉に、ブライトは首を横に振る。当然予想できた展開だ。
「一緒に劇薬を作ることなどしません。もし気になるのであれば、あたしの薬を確認されますか」
「残っているのであれば、いただきましょう。ですが、調薬しているものによっては今回の件とは別に取り締まることになるかもしれませんよ」
ガインは、ブライトを疑っている。それもそうだろう。ここ最近で、派閥絡みと思われる事件が多発している。シーリアのことで尻尾を掴み損ねたと悔しがっている可能性もある。
「セセリアの話の通りであれば、なんと媚薬をお作りしていたとか?」
くすくすと、ブライトは笑った。
「御冗談を。あたし自身は媚薬など必要としません。あたしの成人の儀は、貴族の間では盛り上がったようなのですが……、ご存知ではありませんか?」
ブライトの立場を鑑みれば媚薬など不要であることは明白だ。しかし、セセリアの記憶が読まれているのであれば、ブライトが女の嗜み程度に媚薬を使っていることになっている。
「あたしが作った薬は、媚薬になる前の出来損ないです。何も効果はございません」
セセリアとの調薬では、敢えて調合手段を間違えることで媚薬になる前の出来損ないの薬を作っていた。それをガインに手渡しながら断言してみせる。ガインからは戸惑いの表情を向けられた。
「セセリアに嘘をついたということでしょうか?」
「人付き合いのために、興味のないものにも興味があるよう振る舞うことは、令嬢ならばままあることです」
嘘は言っていない。実際、ブライトの知る女は、媚薬など必要としない。
「そのためにわざわざ怪しげなサロンにまで参加をして?」
「怪しげなどと、モナサ様がお聞きしたら怒ってしまいます。それに元々あたしは、同じ家庭教師のモナサ様とお話したかったのです」
改めて、ブライトは決して嘘は言っていない。だからモナサに確認をとれば、すぐに事実とわかるだろう。
「同じ王家の家庭教師として、モナサ様がどうなされているのかお聞きしたかったのです。王城にいても、中々お声を掛ける機会が得られませんので」
そして、ガインはブライトの言葉に嘘がないと読んでいる。意味のない言葉を口にして、役に立たない時間稼ぎをするはずはないはずだと、把握している。
状況だけでいえば、ブライトは限りなく怪しいのだ。敵対する勢力であるミドフに惚れたセセリアと突然仲良くし始めて、一緒に調薬までした。そこで作った薬でミドフは亡くなっている。
けれど、最後の一歩、ブライトがやったという証拠は出てこない。殺したのはあくまでセセリアだ。怪しいはずの調薬ではセセリアとブライト以外誰もいないため、ブライトが薬を盛るところは見られていない。聞き耳を立てるような魔術も用意されていなかったことは確認済みだ。そしてセセリアには惚れているがために逆恨みでミドフを殺す動機もある。
「その口が貴女の武器ですか?」
また捕え損ねたと、諦めた声音で確認するように質問をされる。
「令嬢は武器などと野蛮なものは持ちません。失礼ながら、お勉強が必要かと」
「貴女にはぴったりだと思いますがね」
皮肉られたが、ブライトが持つ武器など本当にない。ただ、調薬の勉強の過程で、濃縮すれば数滴で人を殺せる劇薬の存在を知っただけだ。そして、調薬の勉強もセラの痛みを和らげるためと自衛のため解毒剤を用意するために学んだことだ。更にいえば、毒と薬は紙一重なのである。今回の劇薬のために特別に材料を用意する必要はなかった。
だから、シーリアのように、叩けば埃が出てくるものでもない。幾らブライトを調べても、ブライトの記憶を覗かない限りは何も出てこないはずである。
ガインは吐息をついた。今回の件でもまた、アイリオール家の騒動を終わらせられなかった。そう思ったことへの吐息だろう。
「……本当にあなたはシロなのですよね?」
「あたしが悪人に見えますか?」
にこりと笑って尋ね返すと、恐らくは聞こえないように小声で
「とても」
と返ってきた。何とも失礼なことである。




