その846 『予定ドオリ』
「では、これにてサロンはお開きとなります」
キキラに拍手をし、彼女の退場を見送ってから、ブライトたちも立ち上がる。ラクダ車の都合で順に呼ばれた令嬢たちが徐々に帰っていく。どの令嬢たちも、帰ったら薬の材料を集め始めるつもりなのか頭を働かせることに必死で話どころではなさそうだ。
それはセセリアも例外でなく、一人でぶつぶつと薬の材料を呟いている。さすがに声を掛けられる雰囲気でもなく困っていたところで、ブライトの順になった。
「今日はお招きいただきまして、改めてありがとうございました」
モナサの案内を受けて廊下を進みながら、ブライトはまず礼を言う。
「とても勉強になりました」
「それは良かったですわ」
モナサはにこにこと笑みを振りまいているものの、ブライトにこれ以上話しかけるつもりはなさそうだ。
であればと、ブライトから話を振る。
「モナサ様は、エドワード王子に薬学を教えていらっしゃいますよね」
「はい」
「エドワード王子はモナサ様からみて、いかがですか」
モナサの顔は当惑に変わった。何を言いたいのか読めないのだろう。
「あの、いかがとは? エドワード王子は非常に優秀だと思いますが」
ブライトは敢えて不安そうな表情をつくる。
「同意見です。ですから、あたしが用意する講義では少し簡単すぎないかと不安に感じておりまして。モナサ様はどうなされているのかお聞きしたいのです」
これについてはなんと言われようが、モナサの発言に同意するつもりだった。そのうえで、提案に持っていくまでがブライトの頭にある。
モナサは納得した様子を見せたものの、困った顔をする。
「難易度のことでしたらかなり専門的でして、中々お話しにくいのです」
それもそうだろう。分かっていてわざと聞いているのだ。
「モナサ様さえ良ければ、今度何処かでお時間をとって話し合うことはできないでしょうか。参考にしたいのです」
ブライトの依頼に、モナサは頷いた。王家の為にという建前がある時点で、断る理由はないだろう。
「承知しましたわ。私も他の家庭教師のやり方が気になってはいたので、共有いただけると助かります」
そこで、玄関に辿り着いた。挨拶をして、ラクダ車に乗り込む。
ゆっくりと進むラクダ車に揺られると、どっと疲労感があった。ただ疲れただけはあっで、今日の収穫は上々だ。これでモナサと上手いこと、今後会うという話をとりつけることができた。ここから話をつなげていけば、仲間に引き込むこともできるかもしれない。それに、セセリアと調薬する機会も持てた。これは、大きな一歩だ。
いつも通りに帰宅すると、セラが待っていた。早めの夕食を取りながら、セラに今日の話をする。セラからは変身しても苦でなくなったという話を聞き、ブライトも何気なく今度舞踏会に出るという話をしたときだった。
「待ってください。また参加されるのですか? 先日死にかけたことをよもやお忘れでは」
と、反対を受けてしまったのである。
「えっと、駄目かな?」
「駄目です。危険です」
しかも、即答されてしまった。
「いや、あのね、セラ。さすがに貴族に舞踏会は避けて通れないからね? ましてや、次の舞踏会は規模が規模だし」
今度の舞踏会は王家の主催なのである。断ると角が立つというものだ。
「それならば、私がブライト様になりすまします」
その為にセラに薬をあげたわけではないのだが、無理のある発言をされてしまった。
「見た目だけでどうにかなるものでもないからね? それに、セラがばれたときのほうが大変だし。お留守番してて」
舞踏会のなかに『異能者』が混じっていたら、それこそ騒ぎになる。想像して、ぞっとした。
「しかし」
まだ言い淀むセラに、ブライトは吐息をつく。
「気持ちは有り難いけれど、そこはあたしの役割だから退けないよ」
ブライトの意思が伝わったのか、セラは渋々と頷いた。
それで、話は決着する。確かに、その身を案じてもらえるのは良いことだが、こればかりは譲れないのである。
――――何故ならば、ブライトの予定では舞踏会でことが起きるからだ。確認のためにも出席したいのである。
舞踏会の前日には、セセリアとの約束通りに調薬をしに出掛けた。場所は予め手紙のやり取りで決めておいた通りに、セセリアに確保してもらっている。材料も無理を言って、セセリアに頼んだ。代わりに費用は持つことにしている。
「まぁ、いらっしゃいませ」
セセリアは早速屋敷まで訪れたブライトに、そう挨拶をした。
「本日はよろしくお願いします」
ブライトがぺこりと挨拶をすると、セセリアはにこにこと笑う。
「こちらこそ、助かります。では、どうぞ」
そうして、セセリアの案内に従い、屋敷へと入る。以前と違い出迎えもなくティナリーゼさえいないのは、セセリアの配慮であろう。さすがに屋敷総員で媚薬づくりを応援されても困ると考えたようである。
それはブライトとしても大変好都合なことであった。
「場所の提供まで、ありがとうございます」
話題が尽きぬように、再度礼を述べる。
「材料までご用意いただいてしまって」
そう付け足すと、セセリアには胸を張って答えられた。
「これぐらいはどうってことないですよ。さぁ、ここが厨房です。早速作りましょうか」
セセリア自らが扉を開けた先は厨房になっていた。少し心配していた、シェフたちの姿はなかった。さすがに一緒に媚薬を作ることはしないようだ。違法すれすれで違法ではないとはいえ、ブライトの立場で行うのは大変よろしくない。こればかりは騎士団の尾行がなくなったことにほっとするし、セセリアの配慮にも安堵した。
「こちらにそれぞれの小瓶があります。お使いください」
小瓶はサロンのときと同じ大きさだ。持ち運びには非常に便利である。見た目は香水瓶と変わらないので、もし舞踏会で検査をされてもほぼ気づかれないだろう。
「ありがとうございます」
小瓶を受け取ってから、マスクをしメガネまで用意すると、ブライトたちは互いに向き合った。あまりの不格好さに、二人して笑ってしまう。
「失礼しました。では最初の工程に移りましょうか」
セセリアの発言によって、ようやくセセリアとブライトの調薬が始まった。
まずは、キキラがやっていたようにすり鉢などの道具や基本の材料を用意する。生き血だけは寸前まで冷やさないといけない為、それ以外の材料を一通り用意した。
「確か、このあとは」
「木の実をすり潰して入れるのだったかと」
セセリアが早速自分で書いたメモを前に戸惑った声を上げるので、記憶を引っ張って答える。そうすると途端に、セセリアにほっとした顔をされた。
「ブライト様がいてくれて良かったですわ。私一人だと間違えそうで」
間違えて作られた薬を飲まされる殿方というものに若干同情しつつ、にこりと笑みを貼り付ける。
「あたしも、セセリア様がいてくれて良かったです」
「まぁ、お世辞でも嬉しいわ」
ブライトは敢えて語尾を強くして言い切った。
「お世辞だなんて。本当に心強いです」
セセリアはそれを受けて、とても嬉しそうな顔をしている。
すり鉢で木の実をすり潰すというのは、意外と大変だった。すり鉢に夢中になっているセセリアの横で、開いたままになっている小瓶へと手を伸ばす。
「これは大変ね」
という声が掛かって引っ込めた。
「そうですね。力が要ります」
そう言いつつも、ブライトの分は殆ど終わっている。慣れている人間との差だ。結果として、セセリアの分を手伝うことにもなった。
「さて、気を取り直して、次は動物の血よね。冷蔵庫に保管してあったから、ブライト様の分も用意するわね」
セセリアは誰かに手伝ってもらうことに慣れているらしい。すり潰された木の実に納得した様子で、早速冷蔵庫に向かっていく。
「ありがとうございます」
お礼を言っている間にも、セセリアは厨房の奥へと歩く。冷蔵庫は少し離れたところにあるのだ。
「そういえば」
今が機会と手が伸びたところだったので、慌てて引っ込めた。
「ブライト様は今回のサロン、どこでお聞きになったのかしら」
セセリアは後ろを振り返らない。冷蔵庫を開けて、材料を探している。ほっとしつつ、セセリアの瓶の中に数滴の液体を垂らした。透明なので、見た限りでは全く分からない。
「それは、あたしにもいろいろあるということで」
はぐらかして答える。余裕があったので、ついでに差し替えられた薬を飲むことになる殿方に更に同情しておいた。
「あら、内緒なのですね」
セセリアが両手に生き血の入った瓶を持って戻ってくる。
「はい。秘密があったほうが、女は魅力があると聞きました」
瓶から数滴小瓶へと生き血を垂らす。どす黒い赤い色が小瓶のなかに広がっていく。
「まぁまぁ、それはそうですね」
くすくすと笑うセセリアは、残りの材料も入れていく。そうして小瓶をよく振ると、途端に鮮やかな桃色へと瓶の中の液体が変わっていった。
「可愛らしい色」
セセリアの感想が、ぽつりと零れる。




