その844 『場違イデシタ』
シーリアはあの後連行された。その知らせは、貴族中で騒がれた。本人が罪を認めたとは、ガインから聞いた。ブライトのことは伏せ、証拠が見つかったと本人に問い詰めたらしいが、聡いシーリアのことだ。ブライトの裏切りも気がついたのかもしれない。
いずれにせよ、シーリアについては今後貴族裁判で詳細が明らかになると言う。それまでは、何も動けない。嬉しいことがあるとすれば、ようやく騎士団の尾行の気配がなくなったことだろう。
故にブライトは早速、調薬サロンに参加すべくラクダ車に乗っていた。約束の通りに、セセリアが参加できるよう手配してくれていたのだ。
サロンは、モナサ・サイローンという、ブライトも知っている令嬢の別邸で開催された。サイローン家は調薬に力を入れている家で、立ち位置としては中立派に当たる。仲間にできる気配は今までなかった。
というのも、サイローン家は少々風変わりな家だ。養子をたくさん雇い、医療を中心に学ばせたあと、国中に輩出するということを繰り返している。モナサもその一人で、それ故にお茶会には基本的に参加しない。だから、これまで話す機会が得られなかったのである。
とはいえ、モナサはブライトと同じエドワード王子の家庭教師なのである。会おうと思えば会えたはずだ。それができないのは、相手がブライトを避けているからに他ならないだろう。
ガタンガタンと、大きくラクダ車が揺れたので、サイローン家の別邸が近いことに気がついた。
石畳に変わった地面を窓から確認し、別邸の姿を探す。すぐに飾り気のない白い建物が見つかった。貴族区域の片隅にあるだけあって、限りなく小さい。庭もただ広いだけで、殆ど飾られていないので驚いた。あれで良いのならば是非見習いたいぐらいである。
感心している間に、門に近づいたらしい。ラクダ車が止まった。門番とハリーが挨拶を交わす声が聞こえてくる。ブライトもラクダ車を下り、そこで待っていたモナサと貴族同士の挨拶をした。
「ご機嫌麗しゅう、ブライト様」
モナサは長身をなるべく控えて見せるように、ドレスの裾を持ち上げて身体を折る。その仕草はこなれていて、年上としての貫禄が滲み出ている。
「ご機嫌麗しゅう、モナサ様」
同様に返すブライトに、モナサはにこりと微笑んだ。深緑の理知的な瞳が僅かに細められ、小麦色の肌に朱が差す。その笑みからはブライトをこれまで避けていた人物とは微塵も感じられない。
「お話はセセリア様からお聞きしています。どうしても参加されたいと」
――――さて、セセリアがどのようにブライトのことをお願いしたのか聞いてみたいものだ。
内心そうした事を考えながら、淀みなく考えておいた理由を告げる。
「最近、薬学に興味がありまして。このような機会滅多にないもので、悪いと思いながらもお頼みした次第です」
「ブライト様は相変わらず広く勉強をされておられますよね。まさか、今回の薬にもご興味がおありとは。さぁ、こちらへどうぞ。セセリア様ももうお越しになっていますわ」
モナサは豊かな桃色の髪をゆさゆさと揺らしながら、屋敷に入っていく。ブライトも後ろをついていきながら、おやと気がついた。何故か、血の匂いがしたのだ。
「すみません。薬の材料が独特で鼻につくかもしれませんわ」
たじろいだ気配に気がついたのか、モナサからそう謝罪がある。
「大丈夫です。気になるほどでは」
答えながらも、薬の材料に血を使うとは思えず、不信感が湧く。ないとは言えないのだ。セセリアが標的となる以上、彼女は何かしらアイリオール家に不利なことをしている。それにサイローン家も絡んでいて、のこのこサロンにやってきたブライトをついでに捕らえようとしていることは、十分に考えられる。
先日の苦いお茶会のこともあるので、考え過ぎかもしれないが、警戒するに越したことはない。前回の舞踏会だけが例外とは言い切れまい。
「こちらです」
部屋の前にいた執事によって扉が開かれる。中は待合室になっていた。五人ほどの令嬢がいる。すぐに、セセリアに視線をやった。にこりと笑みを向けられる。
「ブライト・アイリオール様がいらっしゃいました。皆様、これで全員になります。すぐに先生をお呼びしますね」
モナサが出ていったので、その間にセセリアへと向かった。今のうちに少しでも会話をしておこうと考えたのである。
「セセリア様、ありがとうございます」
「とんでもないですよ。またお会いできて良かったです」
そうして軽く雑談をする間に、令嬢たちを確認する。身分が低いのか、あまり見たことのない令嬢が多かった。ブライトのことが気になるらしく、ちらりと視線を向けられる。微笑み返すと視線をそらされ口を扇で隠されたので、あまり会話はしたくなさそうである。
「失礼します。キキラ先生が参られました」
サロンに呼ばれた専門家は、なんと妙齢に見える女だった。見えるというのは、実のところかなり高齢と思われたからだ。つややかな肌に、スタイルの良さを主張するような露出度の高い服装をしているものの、よく見ると首周りや瞼のあたりに小皺が浮かんでいる。よく観察しなければ気付かない程度なので、相当に気をつけているのは伝わってきた。
「相変わらず美しいわ!」
セセリアは感動を口にする。どうも、セセリアはキキラに憧れを感じているらしい。頬を朱に染めている。
確かにキキラを見ると、女としてよく磨いてきたのが伝わってくる。ネックレスやイヤリングも良い品を使っていて、足の爪まで全てネイルで塗られている。それに、元も良いのだろう。つややかでふっくらとした唇に、ばっちりと開いた大きな眼。豊かな胸に細くて長い手足。まさに、美を体現しているような女だ。
「皆様、こんにちは。今日のサロンに呼ばれましたキキラと言います」
声はハキハキとしていて、聞き取りやすい。ちょうど耳に入りやすい速度の話し方は、かなりの練習の上にあるものだと感じさせられる。
「今日は皆様の要望にお答えし、殿方をその気にさせる甘い薬の作り方をお教えします」
それを聞いた途端、ブライトの中で合点がいった。同時に帰りたくなった。
このサロンは、薬は薬でも媚薬の調薬をするのだ。




