その841 『出シタ答エ』
あり得ない言葉に、耳を疑う。
「い、今、なんて?」
こんなことならば、紅茶を口につけておけばよかったと後悔する。喉が渇くあまりに、発した声が掠れてしまっていたのだ。
「ブライト様は、私の家のことをご存知ですよね? 私の家族は、私以外ワイズ派であることを」
頷くので精一杯だった。
「私は何度も家族を説得しようとしたのですが、どうしても頭の硬い彼らを認めさせることはできませんでした。みんな、言うのです。クルド家が裏についているのならば、決して歯向かうことはできないと。私の家のように小さな家は、影で消されてしまうのがオチなのだと」
圧力が掛けられているのだ。クルド家の恩恵を受けてきた家にはよくある話だ。
「だから小心者には、死あるのみと心に決めました」
その強い断定口調に、怖気が走った。それだけの理由で家族を殺したのだ。家族のために生きてきたブライトだからこそ、理解できない価値観だった。
「待って下さい。ミミル様の家は」
同じ惨殺事件。その言葉から、もしやと疑問が浮かび上がる。
そうして疑問を口にしたわけだが、否定してほしいと心の何処かで思っていた。幾ら何でもそれは、突拍子もない発想だろうと言って欲しかった。
シーリアの返答はさっぱりしている。
「それも私です。ブライト様の敵は排除しなくては」
がんと頭を殴られたような衝撃がある。これが、見た目からして強気の女ならば、まだ納得感があった。シーリアは、どこからどうみても美しい令嬢だ。その虫も殺せないような顔で、にこっと笑って言うのである。
「あの、ミミル様があたしの敵だと?」
「はい、そうでしょう?」
シーリアはブライトの気持ちなどまるで知らない様子だ。
「ミミル様はブライト様に近づいて仲良くしながら、陰では散々ブライト様の悪口を広げていたのです。とんでもない裏切り者です」
信奉しているブライトのことを悪く言われて、殺すことにしたのだろう。動機はまるで理解できないが、シーリアのなかで辻褄は合っているようである。
「けれど、無理です」
ブライトは否定した。まだ、話に合わないことがあると気がついたからだ。
「家族どころか召使いまで全員が死んでいたのですから、余程大勢の人間を雇わなければ」
家族ぐるみならば、人を雇えただろう。けれど、シーリアの話では全てシーリアの独断になる。そこまでのことが、シーリアに出来るとは思えなかった。
「まさか。魔術で一帯の空気を熱に変えただけですよ」
シーリアはさらりと述べた。
「……熱に?」
「はい。変換の魔術はブライト様の得意分野でもありますよね。だから、分かるはずです。私もこれぐらいは勉強してできるようになりました」
とんでもないことを言っている。これでも魔術書はよく収集しているつもりだが、何十人もの人間を焼き殺せる魔術書が存在するなど知らなかった。危険な分、余程厳重に暗号化されているのではないかと思ったが、シーリアはそれを解読してのけたらしい。
そして、二度も犯行に及んだのだ。眼の前のにこやかなシーリアとの差に、衝撃的すぎて頭が回らない。
「惨殺ってまさか、火傷で?」
それに、どのような殺され方をしているのかブライトは知らなかった。知らされていなかったからだ。
「騎士団から聞き取り調査があったと思います」
シーリアに言われ、思わず黙り込んだ。
「そこで、ご説明は受けませんでしたか?」
ブライトは容疑者と思われていたから、何の情報も与えられていない。首を横に振ると、シーリアに酷く辛そうな顔をされた。
「可哀想なブライト様! 何の説明もなく、取り調べを受けられていたなんて」
「あの、シーリア様はそこで?」
こくんと、シーリアは頷く。
「はい。騎士様は私の家族と同じ火傷痕なので犯人は同一人物だろうと仰っていましたよ」
ブライトの頭が目まぐるしく動く。まず、シーリアはどこまで本気なのかと考える。
家族さえも殺してブライトを支持すると、シーリアは述べている。これまでシーリアはブライトの情報を得るためブライトの仲間のふりをしているのだとばかりに思っていた。それが、違うと思い知った。
「私、これからもブライト様のために働きます! 邪魔な人がいたら教えてください」
そう言って目の前でハキハキと告げるシーリアに、嘘は微塵も感じられない。
シーリアは本気でブライトのためだけに手を染めたのだ。
それは、非常に恐ろしく理解のできないことだった。勿論今となっては退くつもりはないものの、ブライト自身は当主になるに足る器があるとは実のところ思っていなかった。そこまでカリスマがあるわけでも、仲裁がうまいわけでもない。領地を治める者として、勉強を教わってきたわけでもいない。ただ魔術が少しだけ他人より好きなだけだ。だからこそ、周囲を騙して優れた人物であるふりをしなければならなかった。けれど、そのふりも、実際には陰口が広がっているように上手く行っていないことを痛感していたのだ。
だから、ブライトにはシーリアが何故そこまでブライトを信用するのか分からない。そのせいでどうしても、不気味にしか映らない。
いっそのこと、今のブライトの標的を殺してくれればという思いが掠め、それは目の前の狂気を前に霧散していった。
「一体何があなたをそこまでさせたのですか?」
「ブライト様に決まっていますよ?」
すぐにあった返答に、言葉が通じる気がしなかった。けれど、聞かねばならない。
「では、聞かせて下さい。騎士団の取り調べでは何を聞かれたのですか」
「騎士様にですか?」
シーリアは訝しむ顔をした。
「単に、『犯人に心当たりはないか』と聞かれましたよ」
「それで?」
「『ありません』と答えました。『最近、ご友人のことがあったばかりなのにどうしてお茶会に出ていたのか』と聞かれて、『それが淑女の努めです。結果として、家を空けていた私だけが助かるとは思ってもおりませんでした』と返しました」
女の身で家の役に立とうとするならばお茶会や舞踏会などに積極的に参加する必要がある。お茶会では少しでも他家の情報を集め、舞踏会では家柄の高い男性を捕まえる。それが、本来のシェイレスタの『魔術師』の女の生き方だ。例外としては、お茶会慣れしていないエルドナがいるが、彼女は目的の家に嫁いだ後であり、その後無理にその家の役に立つように言われていないのだろう。
「そうしたら、騎士団の方は納得を?」
「はい。『心中お察しします』と。『誰かに恨まれていたということは考えられますか』とは聞かれました。『ありません。何故、皆あんな風に焼かれないといけなかったのでしょう』と答え、取り乱してみせました」
そう言いながら、シーリアは泣き真似をしてみせる。その仕草だけなら可愛らしいが、実際のところシーリアは演技派なのだろうと思われた。手が付けられないガインたちが困る様子が目に浮かぶ。
「騎士団はなんと?」
「『分かりません。ただ、生きた人間を焼くなど酷い仕打ちもあったものです。許せるものではない』と」
正義感溢れる言葉だ。
「そのとき、シーリア様は何も言わなかったのですか?」
「全く何も言わなかったわけではありません。取り乱してみせたので『私の家族を燃やした『魔術師』に遭ったら報いを受けさせたい』とは言ったと思います」
「ミミル様の件はその後、出てきたのですか」
シーリアは、少し思い出そうとする素振りを見せてから頷いた。
「はい。ちょうどそのタイミングで最初に話した通り、『ミミル様の件も、私の家族と同じ火傷痕なので犯人は同一人物だろう』と仰っていました」
ブライトが聞きすぎたのだろう。ミミルに怪訝な顔をされる。
「あの、大丈夫です。何かご心配されてるようですが、騎士様とはそれ以上殆ど話はしませんでしたよ。その後も調査は続けているようですが、特に音沙汰ないですし。だから私のことは騎士団には微塵も疑われていません」
シーリアは自信があるようだ。確かに、屋敷一帯を火傷させるほど熱くする魔術など普通は聞かない。仮に騎士団がその魔術の存在に辿り着いたとしても、シーリアが習得しているかは別だ。ブライトならば幾らでも疑われるだろうが、シーリアは名のある魔術師ではない。シーリアがその魔術を覚えているかどうかが焦点になるはずだ。
「今は混乱しておいでのようですから、今日はここまでにしましょう? また、楽しいひとときをお待ちしています」
ブライトの顔色を心配してか、シーリアはそう提案する。辛うじて頷いてから、早々にブライトはシーリアの屋敷を出ることにした。シーリアはせっかくだからと早速ワイズ派に絡む全ての資料を渡そうとしたが、それは断りを入れた。そうして屋敷を歩いていたところで気がついた。
「どうかされましたか?」
「いえ、何でもありません」
香水に混じって、確かに物が焼けた匂いがする。僅かだがはっきりと感じられた悪意のある臭さに、ブライトは改めてシーリアという存在を知った気になった。
屋敷の玄関まで戻ったところで、シーリアからは声を掛けられる。
「ブライト様を見習って、私、もっともっと、がんばりますね」
その健気な仕草は、あくまで純粋で可愛らしささえある。
「シーリア様は」
たまらず、ブライトは口を開いた。
「あたしの何にそこまで惹かれたのでしょう?」
「全てです」
シーリアの答えは、ブライトにはやはりよく分からない。それが伝わったのか、シーリアは続ける。
「ブライト様はこれからのシェイレスタを変える方です」
「あたしが、シェイレスタを?」
「はい。男社会だったシェイレスタで新しい生き方を歩んでおられる唯一の貴族ですから。だからこそ、お支えしなくてはと考えるのです」
その生き方は、決して望んだものではない。
言いたかったが、そのときちょうどハリーの運ぶラクダ車がやってきていた。
「では、またお会いしましょう」
「お招きいただき、改めてありがとうございました」
礼をしたブライトはラクダ車に乗る。少しして、ハリーがラクダ車を漕ぎ始めた。向かいのミヤンは相変わらず人形のように揺られている。それを眺めてから、シーリアの屋敷が遠ざかったことを確認する。手鏡も使いつつ、窓から覗く景色をよく探り、ここぞというときにブライトは声を掛けた。
「ハリー、王城に向かって」
ハリーは決して口答えしない。すぐにゆるゆるとラクダ車の進路を変えさせる。
その針路は、ブライトがここまでで出した一つの結論だった。




