その840 『加害者ト被害者』
シーリアの屋敷は惨殺事件があった現場とは思えない程に綺麗で変わりなかった。深緑色を基調にした屋敷は、王立図書館に造りが近く、相変わらず厳かな雰囲気がある。
「ブライト様! ようこそ、いらっしゃいました」
屋敷に着くなり、シーリアが満面の笑みでブライトを出迎える。
「この度は心よりお悔やみ申し上げます」
直ぐに故人を惜しむ挨拶をすると、シーリアは首を横に振った。
「気にしないで下さいまし。今日はなるべく考えないようにしたいのです」
心配していたが、思っていたより元気そうな様子だ。空元気かもしれないが、元気そうに振る舞う余裕があるだけまだ良いだろう。
「では、少しでもシーリア様のご気分が晴れますように」
「有り難いお言葉です。さぁ、早速お部屋までご案内します」
シーリアの執事も弁えていて、すぐにラクダ車とハリーを連れて行く。ブライトもまた、シーリアの後に続くことにした。
「こちらです。どうぞ」
シーリアの屋敷は何度か訪れているものの、変わらぬ大きな扉を開けるガラガラという音に心地よさを感じる。玄関はシックな雰囲気で、敷かれた赤い絨毯はふかふかだ。森の中を歩いているかのような深い香りがして、シーリアも香りには詳しいのだと毎回のことながら思い起こされる。
「本当に今日は来てくださってありがとうございます。実は、ティナリーゼ様だけ呼ばれたと聞いて、羨ましかったのです! お誘いいただけたら行きましたのに」
シーリアの声はどこか弾んでいる。やはり、無理をしているのかもしれない。悲しいときほど明るく振る舞う人間は一定数いるものだ。
「ご家族が亡くなられてそれどころではないかと思いまして」
「そんなことよりブライト様のほうが大事です!」
きらきらとした表情を向けてくるシーリアに何か、違和感が芽生える。けれど、それが何かまでは掴めない。
「こちらです、ブライト様」
シーリアはそう言うと、手前の扉を開けた。今まで入ったことのない部屋だ。中央にテーブルと椅子が置かれたその部屋は広いものの、たくさんの本が並んでいる。
だから、すぐに分かった。
ここは、書庫だ。書庫にそれらしくテーブルと椅子を並べたに過ぎない。家族が亡くなったのは客間なのだろう。案内できないと判断して、急遽用意したのかもしれない。
「質素な部屋ですみません」
「とんでもないです。香りも良くて、落ち着いていると思います」
実際、書庫を改良したとしても、客間として遜色はない。並べられた本には圧迫感があるものの、時折隙間に飾られた黄色の花が、本棚をインテリアのように引き立てている。置かれた装飾品も、見た限り年代物の高価なものだ。
「これは、オルゴールですか」
木彫りの箱に目を留めると、シーリアは肯定した。
「そうです。私は詳しくないので、どういう謂れのあるオルゴールかは説明できませんが」
きっとタタラーナなら分かっただろう。ブライトでも見ただけでは、どういうものかは分からない。
「では、はじめましょう」
席につき、令嬢二人だけのお茶会が始まる。ミミルのときと違い、給仕や執事は惨殺事件には巻き込まれていないようで、人は一通りいる。だからか、運ばれてきた料理もすぐに手の込んだ高価なものだと気がついた。
「ですが、本当に良かったのですか? まだいろいろとばたばたしているのでしょう? 心の整理もございますし」
挨拶の後、ブライトは口を開いた。さすがに、こうも呑気にお茶会をしていてよいのかという気になったのである。
「構いません。私がブライト様を招待したのです。無理なら最初からお誘いしていません」
確かに道理である。しかし、さみしいというだけでブライトを呼んだとも思えない。何か理由があるのではと疑ってしまう。特にシーリアの家族はワイズ派だ。ブライトに復讐したくて呼びつけた可能性もある。
解毒剤は思いつくものはいつでも飲めるようにしてあった。ただ、お茶会というのははじめに危険がないことを知らせるために、主催者から茶を口にするものだ。あまりにも苦かった前回のお茶会では思わず疑ったものだが、普通は毒を盛られる心配はないのである。
故に警戒すべきは毒ではなく魔術だ。ましてや、書庫は本の何処かに法陣が書いた紙を隠すことができる。
「それより、私はブライト様にお見せしたいものがたくさんあるのです」
シーリアが合図をすると、召使いの一人が書類を持ってきた。召使いの手つきは怪しく、
「あの、本当に良いのですか」
などと確認を取っている。
「良いのです。早くお渡しなさい」
シーリアが叱責の声を強くするのは、召使いが意見したからだろう。ブライトもミヤンを連れ歩いているが、ミヤンは無言を貫いている。いることを感じさせないことこそ、優秀な証だ。故に、召使いが主に話しかけることは本来あってはならない光景なのである。
「私、ブライト様のお手伝いができるかもしれないのです」
召使いからブライトへと視線を向けたシーリアは、頬を紅くさせていた。
書類が先にミヤンに渡り、安全が確認されてからブライトへと渡される。
随分分厚い書類だが、魔術は掛けられてはいなさそうだと判断する。そうして、一枚目を見た途端、思わず目が見開くのを止められなかった。
シーリアはブライトの微かな反応を逃さず、嬉しそうに告げる。
「そうです。これは、ワイズ派の資料です」
中立派と思っていた人物の名前も、その家族構成も全て書かれている。派閥に入った理由も書かれ、驚くほどに纏まっている。そして、いくつかの名前の手前には後書きしたようなバツ印が入れられている。
次のページにはジェミニの行動予定表まである始末だ。
「これは、こんなものが、何故?」
確かにたくさんの情報が書かれていたものの、頭には入っていかなかった。そんなことよりも、これを渡された理由が知りたかったのだ。
「私の家に元々あったものです。書類整理をしていたら出てきたんです。少しでもブライト様のお役に立てるのではないかと思いまして」
確かに役に立つ。これが事実ならば、いつでも直接ジェミニの元へと行くことが出来る。
しかし、心の何処かで警鐘が鳴っている。何かがおかしいと、気付きはじめている。
「あたしのために動いてくださったのは感謝します。しかし、ご家族のことは本当に良いのですか?」
「良いとは、どういう意味ですか?」
伝わらなかったとみえて、ブライトは丁寧に言い換える。
「恐ろしいことですが、ご両親が亡くなられたのはあたしの派閥についた誰かの仕業かもしれません。だから、この資料を、あたしに渡して良いのか確認したいのです」
おかしいだろうと、言いたかったのだ。家族が死んでいるのだ。書類整理で出てきたからというが、その家族はブライトに書類が渡ることを望んではいないはずである。そして、それがわからないシーリアでもない。
シーリアは気を悪くした様子もなく、むしろにこりと笑った。
「さすが、ブライト様はお優しいですね。ですが、一つ勘違いをしておられます」
シーリアの手には注がれたばかりの紅茶があり、若干の湯気がシーリアの顔を歪めている。
そうして、その歪んだ口のままで、告げた。
「順番が違うのです。何故なら、私が家族を殺したのですから」




