その838 『持チ出サレタ話』
目が覚めたら自室の温かいベッド、ということにはならなかった。むかむかとした吐き気とともに目を覚ましたブライトは、見知らぬ部屋にいることに気がつく。どうも灰色の冷たいソファで倒れているようだ。ソファは固く、なんだか臭う。そのうえ、今いる部屋は薄暗く視界が効きにくい。
「ええと、ここは?」
「騎士団の詰め所だ。目立つので運び込んだ」
部屋には誰もいないと思っていたのだが、意外なところから答えが返る。
頭上だ。がたがたと脚立を下りる音とともに、レイドの足がブライトの視界に映った。
クルド家の屋敷で意識を失ったままでいたら、どさくさで他のクルド家の人間に殺されていてもおかしくなかった。どうやら、レイドにはまだブライトを見殺しにしないだけの親切心があるようだ。
「舌が動くということは解毒剤は打ってもらえたと」
「ヘンデルがポケットに持っていた。あの毒で人が死ぬことはないと言っていたが、一針で全身麻痺させる類の猛毒だ。呼吸困難を起こす可能性もあったし、痙攣も起こしていた」
とても恐ろしい話をされてしまった。何よりも怖いのは、痙攣と言われてもまるで覚えがないことである。意識がとうの昔に彷徨っていたとみえる。
「無駄に気持ち悪さはあるんだけど、とりあえずありがとう?」
「礼を言われる筋合いはない。どちらかというと、もう一針打つか悩んだところだ」
それは本当に死んでしまいそうなので、やめてくれて良かった。
そう考えてから、レイドの口調が公とは違っていることを意識する。ブライトも同じように敬語をやめて返しているものの、レイドのそれは親しさからではなくブライトへの敵意からきていることはよく伝わってきていた。
「ちなみに、そうしなかった理由は?」
警戒しながら、口を動かす。会話もいつ中断されるものか分からない。何せ、脚立を下りたレイドの手には剣がある。鞘に収まったままではあるものの、それがいつ抜かれるか分からない気配がある。
「見殺しにしたら、ヘンデルを拘束したときにばれる。あの坊っちゃんは、記憶を公開されるレベルの不祥事を起こしている」
レイドの言い方だと、やはりヘンデルのやらかしを前々から知っていたようだ。だから、騎士団が舞踏会に忍び込む手筈も用意してあったのだろう。
「分かっていて飛び込んだな?」
逆にレイドにそう確認されてしまった。
「それは、こっちの台詞なんだけど」
不満さが伝わるように気持ちを込めて発言する。
そもそもレイドは、クルド家の別邸に騎士団が潜入していたことを利用したと言いたいのであろう。あたかも被害者面をすることで、クルド家の不祥事を発覚させる。それが、ブライトの狙いだとみていたようだ。
じっと見つめていても何も言いそうにないレイドに、ブライトは諦めて答える。
「騎士団が潜入していることはなんとなく。だから、多少危ない目にあっても助けてもらえるとは思っていたよ」
実際には、寸前まで助けてくれなかったわけだ。危ないところだった。
「にしても、あたしたち二人だけ? 騎士団って忙しいんだ」
詰め所ということだが、他の人間がいる気配がない。だからブライトは余計にレイドから視線を外せない。仮に剣を振りかざしてこられたところで大した抵抗はできないだろうが、命を簡単に投げ出すのは違うと考える。それでは、母に合わせる顔が無い。
「お前には聞きたいことがある」
レイドの言葉に、ブライトはすぐに返した。
「奇遇だね。あたしも聞きたかったんだよ」
毒の影響で気持ち悪すぎるが、そうもいっていられない。何せレイドはとうとう腰の剣を引き抜いたからだ。剣先は当然のようにブライトへと向いている。一つ答えを間違えれば、刺されそうである。
「ご家族の病気はもういいの?」
だから、先に質問をした。治療費が足りずに苦労していたはずの、シエリの弟の病について確認したのだ。
レイドの剣先が少しぶれた気がきた。
「義弟は死んだ。俺が王城勤務になる少し前だ」
悔いるような声は、王城勤務になるのがもう少し早かったらと告げていた。元々王族付きの兵士であっても立場は低かったのだろう。それが家族が死んでから上がった。無意味な昇進に、さぞ心が荒んだに違いない。
「そっか」
「お前が、妻を、シエリを殺したのは間違いないな?」
断定する言い方をされて、ブライトは驚いてみせる。
「いやいや、なんでそうなるのかな」
前から思っていたことだ。レイドはブライトにやたらと敵意を向けてくる。
「あたしが疑われる理由がさっぱりなんだけど」
「妻が死ぬ前に、手紙を送ってきた」
レイドが渋々と呟くように答えてくる。
「近々自分が死ぬかもしれないと」
「シエリが命の危機を感じていたとして、その犯人があたしになるのは、まだ結びつかないんだけど」
大体の手紙の内容は想像できる。だからこそ、ブライトは警戒を緩められない。
「赤ん坊を匿ったと書かれていた。それが、今のクルド家の問題に発展するだろうとの予想も添えて」
シエリは優秀過ぎたなと、心のなかで呟く。母に目をつけられるわけだ。
「赤ん坊の名前もその証拠となる品も全てその手紙に残っている。俺が死んだらそれは王家に提出される手はずになっている」
まるで、今レイドを殺して口封じに走るのではないかと言わんばかりである。剣先を向けられているのはブライトのはずなのだが、魔術で幾らでも形勢は逆転すると見ているようだ。つまるところ、レイドは全く油断をしていない。シエリの遺品を持ち帰らなかったのも今になって思えばわざとだろう。ブライトや母が遺品の何処かに法陣を描いて発動すれば、レイドをいつでも殺せたはずだ。それを察しての態度だったに違いない。レイドは『魔術師』についてよく調べたうえで接触してきている。
「なるほど、その赤ん坊の名前がワイズ・アイリオールだっていうんだね。今は一部の『魔術師』の記憶の中にしかないアイリオール家の跡取りの存在を、証拠として突き出せると脅しているわけなんだ」
「そして、お前は当然当時、口封じに妻を殺したはずだ」
「言っておくけれど、あたしその頃まだ本当に小さい子供だよ? そんな大それたことできないよ」
ブライトの否定にレイドははっきりと言う。
「魔術の使える『魔術師』に年齢はない。ましてやお前は天才と崇められている」
確かにあの時点で、ブライトは充分な程に魔術を使いこなしていた。実際は違うものの、そのなかに人を殺める魔術があっても何らおかしくはないと考えるのは自然だ。
「才能があるせいで怪しまれるって、残念過ぎるんだけど」
思ったことを口にするが、レイドは反応してこない。
「それに、その話ならあたしに質問する理由が見つからないよ? あたしのことを無視して、直接王家に提出したら良かったのに」
そうはしなかった。或いはできない理由があるのだろう。そのせいで、このように回りくどいことをしてくるのだ。
「クルド家のジェミニがやったことを知っているか」
「あたしと敵対しているはずなのに、何故かのらりくらりとかわしてくるってぐらいかな」
レイドは血を吐くように告げた。
「俺はクルド家も憎い。あの男は、妻が守った命を全て踏みにじって、赤ん坊だけを支配下に置いた」
想像はできる。記憶が流出しているということは、もうワイズの母ミリアの心は壊れているとみて良い。一緒に出ていったメイドたちも、ワイズとはじめて会った夜にはいなかった。偶然いないのではなく、もう生きていないのではないかという気がした。ワイズは改めて思うと、不幸な弟だ。ジェミニに目をつけられて、ブライトに見つからないような小さな屋敷で、誰もいない部屋で一人でいた。大きくなってからはジェミニが王家に取り入るために、エドワードの友人として連れ出されたのだろう。ブライト以上に自由がない、振り回されるだけの存在だ。
「お前への復讐は、あの男を葬ってからだ」
「なるほど、それまでは共同戦線ってことかな」
それならば、理解ができる。そう思ったのだが、レイドは首を横に振った。
「俺がすることに、邪魔をするなというだけだ。そして俺が死んだらどうなるかは先程話した通りだともな」
あっと、ブライトは声を上げた。そんな脅し方があるとは思っていなかった。レイドが誰に殺されようとも、シエリの手紙が王家に提出されるのだ。だから、ブライトはジェミニの手からレイドを守る必要がある。そして、レイドは今の宣言通り、ジェミニを葬る気満々だ。当然、危険を冒すつもりである。
「それ、失敗した場合クルド家が得するわけだけど、良いの?」
「失敗はしないだろう。そうしないように、頑張る奴がいるわけだからな」
これは相当に性格が悪いと、感心してやる。心のなかで思っていたことを言ってやった。
「本当の悪党はレイドじゃないの?」
全く悪びれた様子もなく、淡々と返答がある。
「そう思うなら、少しでも俺に悪運があることを祈るんだな」




