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カルタータ  作者: 希矢
間章 『カタコトノ人生』
837/992

その837 『令嬢ノ武器』

 あっと思ったときにはもう遅かった。針の穴から通る冷たい液体の感覚が、ブライトを襲う。

 逃げようと腕で押しのけようとしたはずなのに、ヘンデルの余った手で両手を握りしめられてしまった。そのまま胸元まで寄せられて逃げ場がない。

「全く、舞踏会にほいほいと招かれるこんな愚かしい女に一家揃って何年間振り回されているのか」

 耳元の声は先程とまるで変わらない。驚くほど甘い口調のままだ。なのに、聞かされる内容は冷え切っている。

「う……」

 言葉を返すこともできなかった。刺された背中から力が抜けていく。ぐにゃりと視界が歪み、意識が飛びかける。身体が言うことを聞かず、まるで鉛になったみたいである。当然ダンスなどできるわけもない。逃げることも押しのけることも結局できずに、敵であるヘンデルの腕の中に収まり続けている。

 唯一思考だけは動いていたようで、針だと気がつけた。ヘンデルの指の合間に針が隠れているのである。恐らくは毒針だ。

 それで、刺されたのだ。効きの早い毒のせいで、抵抗する暇もない。それにまさか、こんな目立つところで堂々と狙われるとは思わなかった。

 身体が軽々と持ち上げられる感覚がある。

「失礼。ご令嬢の体調が少々慮しくないようで」

 ヘンデルの声が遠くに聞こえる。明滅する視界をどうにかしようと必死に目を凝らすと、警備らしい男の一人をヘンデルの後ろに見つけた。その男の顔が、『またか』と告げている。ヘンデルはこの手口をよく使うらしい。

「ではお願いします」

 などと警備がヘンデルに鍵を渡している。

 そうして運ばれていく。なすすべもない。何をするつもりか問いただしたくとも声も出ない。気持ち悪さに耐えるだけで必死だ。同時に意識だけは失わないように気をつける。指も痺れて言うことをきかないが、どうにか動かそうと意識する。そうしないと、ブライトは気を失い、その間に殺されるかもしれない。


 ヘンデルの『愚かしい女』という言葉が今頃頭に入ってきて、確かに愚かだったなと納得しかけた。クルド家の舞踏会などという見え見えの罠に引っかかった。そのうえダンスに誘われてすんなりと同意してしまった。お蔭で今のブライトはヘンデルの腕の中で何もできずにいる。ヘンデルが時折指でとんとんとブライトの背中を押すのを感じていることしかできない。

「どうぞ」

 しかもクルド家の屋敷なので使用人たち全員がヘンデルの味方だ。扉を開けられて中に入ったヘンデルはブライトを抱えたまま鍵を掛けようとしている。ガチャッという音を聞いて、ブライトは瞼を無理に動かした。

「ん? まさかもう意識が戻ったのか?」

 残念ながら、ブライトはそれに返事をすることはできない。ぴくぴくと震わせた瞼で合図したつもりで精一杯だ。

「念の為、早めに終わらせるか」

 ヘンデルの体が扉から離れ、部屋の中を進む。恐らくそこまで広くはない。瞼に明かりの眩しさが届かないため、暗い部屋なのだろうとは伝わる。

 ゆっくりとブライトの体が下ろされる感覚がある。そうしていやらしい指から開放されたと思ったところで、身体が沈んだ。ベッドだと感触だけで気がつく。

「やはりちょろい女だ。何、寝ている間に終わらせてやる」

 ヘンデルの指がブライトの頬に触れる。そこを狙って瞼をこじ開けた。

 ぎょっとしたヘンデルが一歩下がる。その隙を利用して無理やり起き上がったブライトは、口から吐いた。


「いやだなぁ、何をするつもりなのかな?」


 ゴホゴホむせながらもそれだけは聞いてみる。敬語を取っ払ったのは、親しさの表れではなく単に気持ち悪さでそれどころではないからだ。

 明滅する視界で相手の顔もろくにみえないが、虚勢を張ってヘンデルの方を見やる。

 暗がりに白い顔がようやくぼんやりと浮かんできた。

 口を赤く染めたブライトを見てか、ヘンデルは悪魔にでも出会ったかのような顔をしている。

「お前、意識が」

 なるほど、素はお前呼びらしいと呑気に考える。

「体はこれ以上動かないけどね。意識だけは舌を噛みまくってどうにか」

 感覚がないせいで思いの外強く噛んでしまったのだ。口の中に血がたくさん出てきてしまったせいで、ろくに話せなかった。


「血染めの令嬢は嫌い?」


 ヘンデルはそれには答えなかった。どちらかというと衝撃的すぎて答えられなかったようだ。

「あらら? お子様には刺激が強すぎたかな?」

 ヘンデルのほうがブライトよりも年上に見えたが、わざとそう言う。

 ヘンデルの思考は戻ってきたようで、ブライトに告げた。

「血染めだろうが、身体が動かないなら問題はない。もう一回刺すだけだ」

 針を取り出されるとさすがに分が悪い。ブライトにはまだ起き上がってヘンデルから逃げるだけの余裕はない。そもそもヘンデルはブライトよりも体つきがしっかりしている。元気なブライトが逃げたとしても、すぐに追いつかれて背中にもう一針刺されるだろう。そうして動けなくされたら、抵抗ができない。

「そうやって、令嬢を襲ってきたんだ? 毎回、お父さんに頼んで開いてもらった舞踏会で?」

 警備や使用人が慣れた顔をしていたことからそう尋ねた。これがブライト狙いならば、慣れた顔をしているのは辻褄が合わない。元々普段からやっていることなのだ。さすがに命を断つ行為は問題になるだろうから、部屋に連れ込んで遊んでいるというところだろう。女好きで評判のライゼルだが、息子もまた同様と見た。

「被害報告がないのは記憶を改変させているのか、感情を書きかえたってところかな」

 しかしそれだけの魔術を掛けるには時間が掛かるはずだ。同伴する身内が気づかないはずがない。

 ブライトの顔からヘンデルは考えを読んだようで、なんと親切なことに答えが返ってくる。

「そんなことしなくとも、令嬢は何もしない。まぁ、下のやつに頼んで、わざと心を壊させることもあるがな。心配しなくともクルド家は大きい。女一人犠牲にすればその家は安泰になるんだ。誰も泣かない」

 中々傲慢な発言に、感心してやるか真剣に悩みかけた。しかし、こうして話す間にもヘンデルはブライトを押し倒し、今度はブライトの首元に毒針を刺そうとしている。逃げたくとも肩をひょいと押されただけでブライトの身体はベッドの上だ。力の差が圧倒的である。

 いつになったら動いてくれるのかと扉へ視線を向けたくなる。仕方ないので、駄目押しをすることにした。なるべく声は大きめになるように、努力する。

「にしても、この毒で身体の麻痺に意識まで奪うんだ。例の惨殺事件の犯人じゃないよね?」

「何を言っている?」

 残念ながら反応が悪い。

「ん、知らなそうな反応。でも、できなくはないよね。()()()()()()()()()()()()()()()()

 騎士団という言葉に目を丸くしたヘンデルの後ろで、扉がこじ開けられる音がした。

「な、なんで! 部屋には鍵を」

「そこは魔術で」

 指先が動けば、十分なのだ。元々手袋の下に描いておいた法陣に爪の跡で無理やり最後の一つを描いたら完成である。法陣が光ったはずだが、それは最悪ばれても良いぐらいに思っていた。ブライトの瞼を見ていたのかヘンデルが全く気付かなかったのは、単にヘンデルの問題だ。

「ま、待て! この令嬢がどうなってもよいのか!」

 ぐいっと首を掴まれ、息が詰まる。

「構いません」

 聞き覚えのある声がした。これは、レイドである。騎士団に付けられているのは知っていたが、まさかレイド自身がブライトを付け回しているとは思わなかった。

「悪党が余分に一人減るだけですから」

 レイドの本音をここで聞けた。人殺しに悪党に、相変わらず酷い思われようである。

「嫌だなぁ、悪党だなんて」

 掴まれているせいで掠れた声で、小さく感想を述べる。どうみても今のブライトは、危ない貴族の男に襲われかけている可哀想な令嬢の立場だろう。

「そんな、あり得ないこと」

 にやりと無理に笑みをつくれば、気配を感じたのかヘンデルの意識が簡単にブライトに向いた。不気味なものでも見るような目で、ブライトの瞳を捉えている。悪党呼ばわりされた血染めの『魔術師』の笑みは、どうもヘンデルの好みではないらしい。おかげでブライトの首を抑える力が緩んでいる。無理やり引き剥がして起き上がったブライトは針が掠るのも無視して、ぺっと残りの血を吐き出した。ヘンデルがその手に血を浴びて、慌ててブライトから離れる。どうも汚らしいと思われているようだ。令嬢としてあるまじき行為であることは認めるものの、これでも女なので一応傷付く。そういう態度をとる男にはお仕置きが必要だなと呑気に考えた。

 同時に悟っている。ここまで離れたら、わざとブライトがやられるのを待っているのでない限り、騎士団はその隙を逃しはしないはずであると。


 実際にレイドは駆け込んで、ブライトから離れたヘンデルを取り押さえにかかる。

 さすが本職の騎士団と貴族のお坊ちゃんでは勝負にならない。幾らレイドが帯剣していなくとも、毒針程度ではヘンデルに勝ち目はない。

「クルド家の人間に楯突くつもりか!」

 などと叫んでいたが、その抵抗も虚しく瞬く間に捕まってしまった。

「私にはもう失って困る立場はありませんので」

 レイドの返答がヘンデルを刺す。どちらかというと、妻を失った今立場などどうでもよいと、そうブライトに当てている言葉にも思われた。

「父上! 父上はいないのか! 誰か父上を呼んで来い!」

 ヘンデルは尚も叫んでいるが、

「無駄です。このあたりの使用人は私が全て気絶させました。残りの騎士団も来る手はずになっています」

 とレイドは冷たく告げる。

「何故だ! なんで騎士団がここにいる! 屋敷の前で確認されるはずだろう!」

「人の心は魔術と権力でしか動かないと思っているうちは分からないでしょうね」

 日頃の行いから、騎士団に告発したい人間はいたのだろう。使用人全員の口留めはできなかったとみた。


 こうなってくると、ヘンデルは何とも憐れに見えた。幾ら見目が整っていても、親頼りの情けないお坊ちゃまだ。ベッドから乗り出したブライトは、尚も床を舐めさせられているヘンデルを見下ろしてやる。

「立場逆転だね? ついでに解毒剤って持ってない?」

 残念ながらヘンデルから答えは聞けなかった。ブライトの意識はそこで落ちたからである。


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