その836 『舞踏会ニハ危険ガイッパイ』
ドレスに身を通したブライトは、クルド家の別邸を見上げた。夜空に浮かんだ屋敷は、透き通った魔法石の光に包まれてきらきらと光っている。まるで御伽話に出てくる硝子でできた城のようだ。砂漠の熱にやられてぐらぐらに溶けてしまえば良いのにと思いつつ、前方のラクダの鳴き声を聞く。普段は大人しいラクダだが、発情期でもないのに時折こうして鳴くのだ。何かの合図のようである。
「お越しいただきありがとうございます」
「こちらこそお招きいただきましてありがとうございます」
ハリーが誰かとやり取りをしている声が聞こえ、やがてラクダ車の扉が開けられた。外にいたのは見慣れない男だ。召使いの格好をしている。
「クルド家の屋敷へようこそ。お一人でございますか」
「はい」
舞踏会には本来一人ではいかないものだ。大抵は身内の女とともに出掛けることが多い。しかし、まさか唯一の身内である母を敵地に連れて行くことなどできない。
「友人と合流する手筈ですので」
「左様でしたか。では、中へご案内致します」
手を借りて下りると、屋敷前にいる人々の話し声が耳に届いた。貴族らしく騒がしくはないものの、声の多さから大勢の人間が招待されていることが伝わってくる。
今回の舞踏会の主催者であるライゼル・クルドは無類のパーティー好きだと聞いている。どこの派閥であろうとも関係なく、日夜パーティーを開いてはどんちゃん騒ぎをする。しかも女好きで、女なら誰でも歓迎するらしい。キャンセルした令嬢の代わりとしてブライトが参加する旨を連絡したのだが、なんと通ってしまった。
駄目元でクルド家と渡りをつけようとしていたブライトに今更断る理由もなく、今に至るわけである。
「こちらでございます」
案内役の男について歩いていくと、大きな玄関に出迎えられた。クルド家は別邸をたくさん持っているが、今回は中でもかなり大きい部類だろう。クルド家でも遠縁と聞いていたから小規模な別邸しか使わないものと思っていたので、少々意外だった。
「恐れ入りますが、安全のため杖をお持ちの場合は預からせていただきます」
玄関で立っている男にそう声をかけられる。当然、杖だけでなく書き物の類も持ち込み禁止らしい。目に付くノートも持ち込めない為、紙を破って目立たぬところに隠すのがせいぜいだ。事件は起こさせないという意思は感じられた。
「持ってきておりません」
「承知しました」
意外とすんなりと通されたのは、ブライトの格好のせいだろう。この舞踏会、なんとミニドレス着用という指定があるのだ。こうした会場でのドレスというと長めのボリュームのあるドレスになりがちだが、そこに過去杖を仕込んだ令嬢がいたようである。また、そもそも堅苦しいものは求めないという思考もあるらしい。それなら仮面舞踏会にすれば良いのに、そうはしないあたりがライゼルだ。ただのパーティーではなく、上位の『魔術師』を中心に仲間に引き込むため声を掛ける目的もあるのだろう。
どちらにせよ、それ故に杖を持ってきても、隠すところがないのである。
ちなみにブライトが着ているのはフリルが少し入った白いミニドレスだ。子供っぽくなるのを防ぐため一部に黒を入れてレースも編み込んである。わざわざこの舞踏会のために用意したものだ。またしても発生した出費を思い出し、頭を抱えたくなるが、致し方ない。
「ご令嬢がいらっしゃいました」
案内役の男の声とともに、舞踏会の会場と思しき扉が開く。舞踏会は無礼講ということで、名前も読み上げられないらしいとほっとする。成人の儀とはさすがに違うようだ。
それにしても、はじめての舞踏会は恐ろしいほどきらきらとしていた。シャンデリアの光だけではなく、ライトによる明かりが舞台を舞っているせいだ。そこから流れる音楽は優雅で、男女が既に踊りを始めていた。
「なにかございましたら、お声掛け下さい」
案内役は一礼すると、直ぐに下がっていく。取り残されたブライトは周囲を見回した。先程は舞台に目が奪われたが、近くには複数のテーブルがあり、そこに男女がちらほらといる。踊る相手をここで探すのだろう。立食形式にもなっていて、鮮やかな料理がテーブルのあちらこちらに並んでいた。
さて、ここからどうしたものかとブライトは思い悩む。友人というのは、でっち上げだ。下手に令嬢を連れてきても動きにくいので、ここは一人が良かった。
しかしあまり一人でうろうろするのも浮いてしまって、よろしくない。早く目的を達成したいところである。
見回す限りでは、ジェミニらしき男は不在だ。クルド家には今回の舞踏会を主催したライゼル以外にも参加者がいるはずだから、せめてそこには声を掛けたいところである。
しかし、今のところは見つからない。ライゼルらしき男もいない。まだ主役は出ないということかもしれない。
「今宵は如何ですか」
声に振り返ると、そこには白銀の髪の優男がいた。若干金髪にも見えるのは、室内の光線の関係だろう。赤黒の服は色合いだけならば派手なのだが、男が着ると落ち着いてみえた。
「パーティーははじめてのご様子ですが」
「お分かりに?」
にこりと笑って返し、記憶を探る。外見の特徴に覚えがある。まさか向こうから声をかけてくるとは思わなかった。
「慣れていないものでどうしたら良いのかよく分かっていないのです。良ければお誘い下さらない? ヘンデル・クルド様?」
ライゼルの息子の名前を告げると、ふっと目の前の男が笑った。
「これはこれは。では、私と一緒に踊っていただけませんか、ブライト嬢?」
周りの貴族たちの視線が、ブライトたちに向かう。初対面のはずなのに互いに名前を告げ合う二人を見て、ただのダンスの誘いには到底思えなかったからだろう。そこだけ明らかに緊迫した空気が満ちている。
ヘンデルの手を取ったブライトは舞台まで誘われるように上がっていく。ちょうど音楽が鳴り止み、次の音楽へと切り替わろうとしていた。
「エスコートをお願いしますね」
にこりと笑うブライトにヘンデルは笑みを返す。その目がまるで笑っていない。整い過ぎた顔に張り付いた笑みは、普通の人間ならば背筋を凍らせていただろう程に凄みがある。
「では、失礼して」
そうして、激しい音楽とともにダンスが始まった。苦手な自覚はあったものの、なんだかんだ教養として叩き込まれていたのが役に立った。ステップを踏みながらも、ヘンデルと会話するだけの余裕はあったからだ。
「まさか、クルド家の方があたしに声を掛けて下さるとは思いませんでした」
耳元に近づいたタイミングでそう声を掛けてにこりと笑う。そうして身体が束の間離れ再び近づくと、囁かれた。
「あなたがとても可愛らしかったもので」
どのクチが言うのだと思った。そんなものは微塵も思っていないだろうことは、ヘンデルの顔を見てわかっていたからだ。ブライトを上から見下ろしているのは、決して身長差だけが原因ではない。冷ややかな目は確かにブライトを疎んでいる。
「まぁ、お上手ですね」
そう返し、くるりと身体を回す。再びヘンデルの腕に戻ってくると、更に告げた。
「あたしはてっきり、憐れに思われているものかと」
「女一人が何をそんなに意気がっているのかと?」
すぐに返された言葉に頷く。
「確かに成人の儀で男装を着たあなたはとても憐れだと噂されていますね」
どうやらクルド家の中では、そのように通っているらしい。
「まぁ、それは納得です。不相応ですから」
優男の顔つきをしつつも、意外とはっきりという男だなとブライトは感想を抱く。
「それに」
ここで、ヘンデルの言葉が途切れた。
「それに?」
ヘンデルの手がブライトの腰に触れる。その手へと倒れるように身体を倒し、そうして引き寄せられる。
「あなたをやたらと警戒する親戚家族たちも何とも愚かに見えて仕方がありませんでした」
そのとき、チクリと背中に痛みを感じた。




