その834 『水面下デ』
しかし、間が悪い。
このタイミングでブライトが動いては、ブライトがクロだと騎士団に伝えるようなものだ。
「お母様、お言葉ですが今あたしたちは騎士団に見張られていて」
かたんと、投げつけられたのは扇だ。続けてメモが投げ捨てられる。勢いで開かれたメモにはこう書かれていた。
「二言はない」
こうなっては絶対に覆らないと、これまでの経験から悟らされる。あまり反論すると、母を失望させることになる。ブライトに掛かった魔術のかけ直しも発生するかもしれない。だから、ブライトは幾ら不利になろうと、下された命令を重視しないといけないのだ。そうしなければ、母の思いに反してしまうと分かってしまっている。
「かしこまりました」
そう答えながらも、どうすればよいのだと頭の中で問う。騎士団にバレずに標的を討つ方法が思い浮かばなかった。
「お茶会にお呼びいただきありがとうございます、ブライト様」
ティナリーゼ・ルルメカはラクダ車を下りると、まずはそう礼を述べた。
出迎えたブライトはティナリーゼの礼に合わせて、淑女の礼を返す。挨拶をし、ラクダ車が引かれていくのを見送ってから話を始めた。
「最近立て続けに恐ろしいことが起こっているでしょう? 少しでも気を紛らわせることができたらと」
ブライトの今回の目的はティナリーゼの家族関係を洗うことだ。そもそも母の告げる標的をよく知らないのである。部屋に閉じこもっているはずの母が、いつもどうやって人の名前を挙げられるかは疑問だ。よほど、母の手は優秀なのかもしれない。
「ご配慮有り難く存じます。正直気が滅入っていたので、助かります」
堅苦しくそう答えるティナリーゼに、朗らかに笑みを向ける。玄関前まで来れば、ハリーが扉を開けるところだった。
「どうぞ、こちらです」
玄関の手入れは十分にされていたので、助かった。余計な問題に気を煩わせることなく、ティナリーゼを迎えることができる。
そうして玄関に敷かれた絨毯を踏み進んでいくと、今度は前方に中庭が見えてきた。先日セラの指示を受けて整備されたばかりの中庭だ。枯れにくい植物ばかりで揃えられている。特に目を引くのはアデニウムで、植えられたばかりとは思えないほどの赤い大きな花が無数に咲き誇っていた。
しかし、貴族の中庭は枯れやすい花を大事に育ててこそ、格が上がるというものだ。故に、遠目には綺麗ですませられても花の種類がわかるほどに近づかれると面倒である。
「ミミル様とは確か学友でしたとか」
ティナリーゼの視線が中庭に向かないように、話題を振る。
「はい、同じ学年でして」
「あたしは学校に行ったことがないのでよく分からないのですが、学年というものがあるんですね」
なるべく中庭を見せないようにと廊下を進み、客間に入ったところで、まずは一息つく。
客間は特に念入りにセラとミヤンが手入れをしてくれていたので心配はしていなかった。
「どうぞおかけ下さい」
そうして、ブライトはアイリオール家のお茶会をはじめる。
いつも通りに挨拶を交わすと、すぐにレナードが食事を運んでくる。この日のために用意されたアフタヌーンティースタンドには、丸々とした赤い実がたくさん散りばめられていた。
「見たことのないお料理ですね」
ティナリーゼが不思議そうな顔を見せる。高級感に欠けるものの、手が込んでいることは伝わっている様子だ。
「ティナリーゼ様には確か御兄弟がおられましたか?」
ティナリーゼは首を横に振る。
「そうなのですね。これは兄弟で食すと良いとされるバンカの実を使った料理なのです」
バンカの実は、実のところセラが都で貰ってきた。丸々としている赤い果実は見た目は見事なのだが、どちらかというと食用ではなく観賞用らしい。果物の割に水分量が少ないが、身は程よくつまっている。薄味のため、セラ曰くシェイレスタの人間の好みではないかもしれないとのことだ。
「そんなものがあるのですね」
しかし、薄味のものは加工次第で化ける。特に生クリームとよく合った。バンカの実と混ぜたことで朱色に変わった生クリームは、見た目からして華やかだ。味も邪魔しないため、バンカの実のケーキに、シュークリーム、パンナコッタと淑女の好きなもので揃えられた。
馴染みのないものなので、真新しさという点で優れている。ブライトにとって好ましい料理だ。というのも、勝手にそれらしい話をつけることができる。
「この実はよく見ると、二つあるものをくっつけたような形をしているでしょう? 故に、この実を乾燥させたものと相手の名前を刻んだ紙、そして自分の名前を刻んだ紙とを一緒にすると厄払いになると言われています。よろしければ、ご家族の名前を頂戴してもよいですか? すぐにご用意させます故」
家族背景を知るために聞いているので、実際のところは厄払いどころか厄を寄せ付けかねない提案だ。そうとは知らず、ティナリーゼは素直に礼を述べている。
「まぁ、ありがとうございます」
そうして、ティナリーゼから家族分の名前をいただくことに成功した。しかし目的の名前が出てこない。家族でないならば、親戚なのだろうと当たりをつける。
「御親戚は近場に?」
怪しまれるかと思いつつも尋ねると、素直に頷かれた。
「いいえ。あぁ、でも、一人だけ1ヶ月間勉学のため屋敷に滞在をしているものがいます。あ、そうですね。彼女の分も……、図々しいかしら」
「構いません」
「まぁ、きっと喜びます。彼女はセセリアというんです」
目的の名前が出た。
「セセリア様ですね、かしこまりました」
「ありがとうございます」
名前が出ただけでは、本人にたどり着けない。あとは、少しでも情報を仕入れることにする。
「しかし、勉学で滞在されているのですね。ということは、学校に?」
「いえ。学校に行ける年ではないので。サロンの開催を聞いて駆けつけたのです」
ということは、若くはないのだろう。
「まぁ、わざわざサロンの開催に。遠方からいらしたのでしょう?」
「そうです。ミゼル特区という小さな商業区域を賜っておりまして」
ミゼル特区は、言うほど小さくはない。元々は小さな土地だったが、自警団を中心に栄えた区域のはずだ。シェイレスタの都からはそれなりに離れている。
「まぁ、それでは遠方でしょう。余程気になるサロンだったのですね。失礼ながら、どういったサロンで?」
「薬学を学びたいといっておりました」
ブライトはわっと喜んでみせた。
「まぁ、あたしも嗜んでいるところです!」
「そうなのですか?」
共通な趣味がもてるとは大変ありがたい。これが仮に興味のないダンスと言われても同じ反応は示してみせたが、これから猛特訓になるところであった。
「はい。ただ独学なもので、辛いところもありまして。そうです、もし皆様さえよければ、今度三人でお茶会をお呼びしても? 共通の趣味がある仲間とお話できるのはとても楽しみです」
いきなりサロンへ誘うとは言えないので、お茶会で妥協する。
「そんな、有り難いお言葉です。是非、セセリアにもお声をかけてみます。良ければ、今度はお招きする形で」
こうしてセセリアとのお茶会を取り付けることができた。家の位置も合わせて特定できそうだ。問題は、どうばれずに手を下すかである。




