その830 『怪シイ手紙』
「お帰りなさいませ」
屋敷に帰ると、セラが出迎えた。ハリーがラクダ車を片付けに行く間に、ブライトは着替えを済まし執務室に向かう。その間、セラから今日の進捗を聞いた。
セラは厨房で余らせていた食材を加工し、掃除について手順を決めていた。一緒にお茶会に出ていたミヤンは、掃除に手をつける時間もない。それが分かった為に、ミヤンの忙しさにも手を入れようとしたという。
「正直、客室でさえ埃まみれの部屋が多くて驚きました」
ミヤンは、お茶会に出ずとも日頃使う限られた部屋しか掃除しない。それはサボっているわけではなく、単に時間がないからだ。
そこで、セラは掃除の頻度を変えることを提案した。厨房など必ず汚れる部屋は今までと同じく毎日掃除をする。しかし、自分たちの部屋や廊下など、不在時間が多かったり人がいない故に使われていなかったりする場所については毎日の掃除をいっそやめてしまい、一日毎に掃除する箇所を変える。
そうすることで全く手がつけられていなかった客室や客間に手を入れていくという。
「確かに、ブライト様の部屋を毎日掃除しないというのは如何かとは思いましたが」
ブライトの部屋も基本的には空けてばかりだ。使用頻度でいうと後回しになる。
「いや、あたしの部屋は危険な魔術書もあるから基本的には掃除無しで良いよ。お母様も今はご自分でなさっているみたいだし」
ミヤンが怯えすぎて掃除にならなかったとは、言わないでおく。はじめのうちはちゃんと掃除に入ろうとしていたのだから、決してサボるつもりがあるわけではないのだ。恐怖に心が挫けただけである。
「実は、玄関が困っていたんだよね」
今まではお茶会に誰かを招く度、大掃除になっている。これで掃除が行き渡るようになれば、毎回必死になって大掃除することもない。
「かしこまりました。玄関は早めに掃除するようにします」
「うん、頼んだよ」
「ただ、中庭だけは考えものです。廊下を歩けば目に付くというのに、水やりをするにも広すぎます」
指摘のとおりで、水やりが大変すぎて基本的に花は枯らしている。いつもはお茶会に招く前に庭師を雇って大々的に整備をしていた。
「確かにね。毎回雇うことになる庭師への説明も大変だし、庭の惨状は空から見られるしなぁ」
ブライトには当主になる資格がないなどと悪い噂が絶えない理由の一つには、信憑性があるというのも挙げられる。一々大貴族の屋敷の上を通る者はそれ程いないとはいえ、ゼロではない。空から庭の惨状が見えてしまえば、噂は出回る。何故か毎回枯れた庭を目にすることになる庭師からも、伝わっているかもしれない。
「なるほど。思っていたより優先度が高そうですね」
セラは考える仕草をしている。
「今度庭師を雇うときは私が要望を述べてもよいですか」
「うん。基本的にはあたしは先方のお任せだし、それでいいよ」
ブライトからしたら庭に拘りはない。ただ、セラには思うところがあるらしい。
セラの頭の中でどんな庭が展開されているのか、ブライトにはよく分からなかったが、どんどん改善されていきそうであった。
執務室につくと、先日のように書類が小分けになっていた。早速執務に取り掛かると、少ししてセラがお茶を持ってくる。
「そういえば、古代語はどう?」
「ウィリアムさんに役立ちそうな本を選定していただきました。今夜から取り掛かろうと思っています」
さすがにもう覚えましたとはいかないようだ。
「了解。そうだ、ここの書類は終わったから、持っていって良いよ。急ぎのやつだもんね」
セラは急ぎと判断した書類を纏めて小山にしていた。ジャンル分けだけでは上手くいかないと昨日の今日で学んだらしい。
「かしこまりました」
「一時間ぐらいしたら教えてくれないかな? ちょっと集中したくて」
執務が終わったら来週以降の予定に手を入れたく、頼んだ。
「かしこまりました」
セラは一時間ぴったりになって、再度部屋に入ってきた。その手には、今日届いたばかりの手紙もある。
「急ぎのもののようです」
「ありがとう。それなら今からは手紙を読もうかな」
そうしてセラから手紙を受け取って順に開けていく。その間にセラから報告の続きを受けた。
「明日、ハリーさんが買い出しに行かれるそうなのでついていくことにしています。先に都の様子を見てみようかと」
「うん、いいと思う。暑さにだけは気をつけてね」
相槌を打ち、一つ目の手紙をしまう。あまり興味のない仮面舞踏会の話だったのだ。そうして、二つ目の手紙を取ろうとして気がついた。
「これ、魔術が掛かっているね。危ないからちょっと下がっていてくれる?」
「はい」
すぐに数歩下がったセラを確認し、改めて手紙を手に取る。白封筒で宛名が書かれていない。そのうえ、『急ぎ』とだけ書かれているので、非常に怪しい。露骨すぎてタタラーナの新しい嫌がらせかと思ったほどだ。
冷静に確認してから、セラに声を掛ける。この程度なら大丈夫そうだと判断した。
「ついでに魔術の勉強になるから、遠目に見てもらえると」
「かしこまりました」
ブライトは手紙に掛けられた魔術の術者を辿れないか試す。魔術があることは確かに分かるものの、術者に通じる痕跡はない。逆に言えば、常に発動された状態の魔術ではないということだ。何かがきっかけで初めて発動する罠のような魔術である。
手紙を透かして見ると、うっすらと法陣が浮かんでいる。それで何か分かった。
「これは、開けると炎を吐き出す魔術かな。絶対に中身が読めないやつ」
ということは中身も白紙だろう。手紙を開けた途端に、開けた人物ごと黒焦げにするものなのだ。一々書く必要もない。それに、魔術の規模からして、殺すつもりで仕掛けてきている。
「まぁ、誰もいないところで燃やす分には害はないからね」
そう言いながら、ブライトはさくさくと法陣を描いた。あまり使う機会がない魔術なので、久しぶりに描けて嬉しいなとさえ思う。腕を鈍らせないように配慮してくれる有り難いイタズラに、感謝してみた。
「何をなさっているんですか?」
「いや、ナムナムって唱えたら、感謝の思いが伝わるかなって」
「ちょっと何を言われているか分かりません」
セラには困惑の表情を向けられたが、分かってほしいわけではないから良しとする。
「まぁ、気にしないで。それより発動するね」
セラに細かい説明はしなかった。元々弟子は設定なのだ。本当に魔術を使えるようになってもらう必要はない。ただ、最低限法陣を描いて光らせると発動するものだということは知っておかないと、怪しまれる。
「まずは水を使って手紙を囲うよ」
水泡が手紙を包む。手紙がびしょ濡れになるが、元々中身は白紙だろうから関係ない。
「次に風を使って無理やり手紙を開けると」
ペーパーナイフでも使ったかのように、ビシッと切ってやる。直ぐに手紙が開かれ眩く光を放った。あっと思った途端に、水泡の中で赤黒い煙がもくもくと上がっていく。
「これは、知らずに開けていたらかなり危険なのでは」
セラが、水のなかでも中々消えない火を見て、そう尋ねた。
「まあね。ただ、露骨に怪しすぎて普通は開けない気がするんだけど」
「……カタラタ様でしょうか」
セラから、特別区域で会った『魔術師』の名前が出る。それで、セラのカタラタに対する印象がよく分かった。
「如何にも程度の低い嫌がらせをしそう? どうかな」
ブライトが煮えきらない返事をしたからか、セラに訝しむ顔を向けられる。だから、答えた。
「単純な話、カタラタがそんなにいろいろな魔術を覚えていると思えないんだよね。それに、特別区域にいる『異能者』を使ったほうが確実だし」
異能ならば痕跡は残らない。知らずに封を切っていただろう。
「そうなると、別の誰かですか」
「うん。まぁ、家のことがあるしあたしのことを邪魔に思う人は多いんだろうね」
カタラタ以外にも容疑者は山程いるのである。気にするだけ無駄だ。
「あの、異能の危険があるということは、ブライト様が自ら手紙を開けるのは如何かと思うのですが」
「いやいや、手紙を読まないと来週の予定さえ立てられないよ」
心配してくれるのは有り難いが、危険だからといってやめられるものでもない。
「でしたら、私が封だけ開けておきましょうか」
「それだとセラが危ないじゃん。良いって。異能の手紙なんて多分出回らないと思うし」
てきとうに言っているわけではない。王家がその辺りはきちんと見ているだろうと判断しての発言だ。カタラタや王家自身は別だが、普通は危険な『異能者』は王家の許可なく出回らない。
「ですが、ゼロではないのですよね?」
セラの指摘どおりだが、それでセラに危険を押し付けるのも違うだろう。
「まぁ、ラクダ車の事故に遭うようなものだよ。そのときはそのとき」
ブライトの結論にセラは不服そうだ。それだけ心配してくれているということになるので、なんだかくすぐったい。そのように真剣に考えてもらえるだけで十分だった。
水泡が自然に消え灰だけが机の上に残ると、セラが直ぐ様片付けに入る。
それに感謝しながら、次の手紙を手に取った。そこにも、急ぎの文字がある。
「開けて大丈夫ですか」
「うん、魔術は掛かっていないね」
異能の話をしていたばかりだからか、セラは警戒しているらしい。ブライトの手のなかの手紙から、視線が外れない。
ブライトはペーパーナイフを手にとって、開けた。そう何度も危険な手紙ばかり届いてたまるかという思いもあった。
手紙を普通に開けることができた。中には一枚の用紙が描かれ、短い文が載っていた。
「これって」
ブライトは呟いた。隣のセラも手紙を前にして目を細めている。
――――そこには、『訃報』とあった。




