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カルタータ  作者: 希矢
第五章 『魔術師は信頼に足るか』
83/1035

その83 『(番外)力なき者たち(レンド編10)』

「アグル! 奴のいる方角を教えろ!」

「はい!」

 通信機から聞こえてくるやり取りに耳を澄ませ、レンドは食い入るようにその尾を見つめた。雲に溶け込み、現れを繰り返しているが、見えている部分はまだ尾だけだ。それだけで、噂にたがわぬ大物であろうことは察せられる。これほどの魔物の前では、大砲も扱えないレンドは、何の力にもなれない。せいぜいマストにしがみついて、命運を祈りながら状況判断に勤しむだけだ。

「主船には連絡した。シェイクス船は俺らより十二分先の距離を進んでいるようだ」

 ユアンからの報告を受けて、レンドは考える。シェイクスがどれほどの距離を魔物から引き離して進んでいるかはわからないが、飛行船が十二分で進む距離の間に頭があり、尾があるわけだ。想定より大きいのではないかと、考えている余裕はなかった。

「つっ」

 雲間から突き抜けるように飛んできた黒い塊に、レンドはすかさずナイフを振りかざす。

 真っ二つにその肉を引き裂いた。黒い鳥の魔物は、群れてはいないものの数は多い。しかもこの風に乗ってまっすぐに突き進んでくる。商船のように魔物避けを取り付けたいところだが、魔物狩りギルドがそれをしてしまったら本末転倒となる。だから一々相手にしなくてはならない。

 アグルの元にも魔物はやってきていたらしい。見張り台から魔物の断末魔の声が聞こえたかと思うと、そこから黒い羽根がひらひらと舞った。そして次の瞬間、それは風に煽られて雲へと吸い込まれていく。

「残りの船も、指定位置についた。ここから奴を誘き出すぞ」

 ユアンの報告が入る。尾を見つけてから、ここまでで既に三時間は経過していた。気が立っているおかげで疲れは感じていないが、ここからの長期戦を考えるととてもでないが新入りたちには厳しいだろうと予想された。しかしながら、頑張ってもらうしかない。

「念のため、大砲はいつでも撃てるようにしておいてくれ」

 レンドは通信機器でイグナたちに連絡を入れる。すぐに返事があった。

「了解」


 一体どれぐらいの時間が経ったのだろう。マストにしがみついたままのレンドも、集中力が切れているのを感じている。

 時間の感覚はとうに狂っている。ユアンの指示のもと、携帯食料を二、三回口に入れた。携帯食料なんて聞こえはよいが、ただの飴だ。糖分を定期的に摂取することで気が狂うのを防ぐのだと聞いたことがある。どこまで本当の話かは、レンドの知るところではない。

 空の大蛇(スカイサーペント)は変わらずまっすぐにシェイクス船を追っているようだ。途中で追わなくなる可能性もあったのだが、存外諦めの悪い魔物らしい。そのおかげでしんがりにいるレンドたちの御役目は今のところ、尾行だけですんでいる。

 主船からの連絡によると、今空の大蛇(スカイサーペント)の先頭にいるのがシェイクス、その左右にそれぞれアダルタともう一人の船が、後方にレンドたちが、その上空を追いかける形で主船が走っている。比較的低空を走っているので、雲の層を抜けたすぐ真下は奈落の海に当たる。空の大蛇(スカイサーペント)も海獣を相手にはしないだろうから、大きく下降する可能性は極めて低いと予想された。

「アグル、奴は」

「すみません、見失いました」

 アグルとユースの通信は頻繁に続けられている。見失ったのは尾だが、雲に隠れただけで数分もすればまた出てくるだろうと、アグルの報告を聞いてぼんやりと思った。先ほどから何度もこの手の会話を聞いているのだ。

 だが、今回は違った。ユアンから連絡が届いたのだ。

「シェイクス船から連絡あり! 奴が追ってこなくなったらしい」

 まさかここまできて、急に諦めるとは思いづらい。それにここで逃げられてしまうのは、ごめん被りたいところだ。そうしたことをのんびりと考えるほどには、レンドの頭はまだどこかぼうっとしている。

 少しして、ユアンから再びの連絡が入った。

「気を付けろ! アダルタの船がやられた!」

 レンドの頭の中が一気に覚醒した。そのレンドの頭に浮かんだのは、ヴェインの生意気な顔だった。それから、何故という疑問が浮かぶ。アダルタは魔物の左右にいたはずだ。

 レンドの嗅覚が危険を訴えた。

「大砲を構えろ! 急げ!」

 自身と同じく長時間の航空による疲れから鈍くなっていた三人が、慌てたように大砲を構え直した。

「奴です! 現れました!」

 アグルの声を通信機器越しに聞くまでもなかった。

 あっ、とレンドは声をあげる。

 雲の合間から蛇の目がじろりとこちらを見据えたのだ。一瞬雲に呑まれたそいつは、突き抜けるように水色の体を一行の前に現した。

 大きかった。顔だけでこの船ぐらいの大きさがあった。その黄色の瞳だけでレンドの身長ほどはあった。これほど大きな魔物の前に立ちふさがろうとしている人間が、なんてちっぽけなのだろうと思わされた。

 そいつが口を開けた。そこから吐き出された息が、大嵐にも負けない勢いで、レンドたちを襲った。必死にマストにしがみつく以外、何も思いつかなかった。辛うじて目を開けると、そいつの顎が迫ってくるところだった。


 ――――食われる。


 レンドはまず、そう思った。それから、ヴェインたちもこの魔物に食べられてしまっただろうかと考えた。そして、ここにいるジェディバやシリエ、イグナにアグルの顔が浮かんだ。


 新入りたちなんぞ、なんと不幸なことだろう。初めての戦にしていきなり空の大蛇(スカイサーペント)の腹に収まることになろうとは。


「イグナ、撃てぇ!」

 気づいたとき、レンドはそう指示を出していた。いくら狂暴な魔物を前に無力を実感したとしても、ただ食われるだけの人生にさせたくはない。その無意識が、レンドに叫ぶ余力を与えた。

 そして、イグナがそれを受けて、大砲を撃ちこんだ。

 砲撃が、空の大蛇(スカイサーペント)のすぐ目の前で炸裂する。

 さすがに、眼前で砲弾を受け止めることはいかに巨大な魔物でも痛みを感じるものらしい。レンドたちを乗せた船に食らいつこうとした顎が、僅かに反れる。

 そこに、

「イグナさん、次弾装填しました!」

 シリエの声が響く。

「狙いは真上だ!」

 レンドは間髪いれず叫ぶ。

 すぐ真上で空の大蛇(スカイサーペント)の顎が、腹が、通っていくところだった。

 イグナがそこに躊躇いなく砲弾を撃ち込む。

 幸い距離が近いのだ。外すことなくその砲弾は、空の大蛇(スカイサーペント)に命中した。

 叫び声が、空気中に振動する。


 どうだ、痛いか。


 レンドは心の中で語りかけた。人間を、船を、次から次へと食らい続けた魔物に、無力な人間の一撃は響くかと。




 空の大蛇(スカイサーペント)は痛みに耐えかねたように、そこで体を曲げた。雲間へと消えていく。

 それらを見送ったレンドたちは、暫く何も動けないでいた。身体が震えていたことは認める。桁違いな大きさの魔物を前に、生きていられることはそれだけで奇跡だ。

 少しして、通信機から現状を伝える声が入った。

 どうも、レンドたちが乗っている船を追い越してギルドの包囲網から抜け出そうとしていた魔物が、九の字に折り返したようだ。再び中央へと向かう形を取ったということで、作戦は継続されることになった。

「とりあえず、凌いだってところか」

「あぁ、けれど気をつけろよ? どうもこいつは、人様の不意をつくことを知っている」

 レンドの感想に、ユアンからの嫌な発言がある。

「勘弁してくれ」

 そう返しながらも、レンドにもこのままでは終わらないだろうという予感があった。

 しかし、空の大蛇(スカイサーペント)は確かに狙いの方角に向かっているはずなのだ。レンドたちのいる飛行船を狙うことはもうない。

 そこまで考えて、気がついた。そしてその時には、既に遅かった。


 雲間から突然、空色の鱗が現れる。


 つい数時間前までずっと追い続けていた尾が、翻して船へと迫ってきていたのだ。その出現が、狙ったかのように最悪だ。

 このままでは尾にマストがへし折られる位置なのである。つまり、見張り台にいるアグルが、危ない。

 レンドは屈みながら、思わず叫んだ。

「アグル、逃げろ!」

 アグルが尾に気付いて、見張り台から身を投げ出すのが見えた。

「アグル!」

 シリエが叫び声をあげる。

 全ては一瞬の出来事だ。

 アグルは必死の形相で、前へと体を預ける。

 身を投げ出したアグルのすぐ後ろを、尾がマストをへし折りながら進んでいく。見張り台をがりがりと削り倒し、その衝撃で周囲に木くずが飛んでいく。帆は飛んでいき、マストの上部もあっという間に雲に吸い込まれていく。

 アグルは痛みに顔をしかめた。尾に打たれたのか、木くずが当たったのかは定かではない。だがそのときにはまだ痛みに顔を歪ませられるほどに生きているのだとレンドには分かった。

 しかし、見張り台から甲板までは結構の高さがある。そのうえ、強風だ。

 アグルの体はあっという間に風に吹かれて飛ばされていく。甲板を乗り越え、そして――――、

「アグル!」

 レンドは甲板から身を乗り出した。辛うじてその手をつかみ取る。

「レンドさん!」

 アグルの驚愕の表情に、レンドは叫びたくなった。


 助けられたのだから喜べばよいのに、何故そうも驚いた表情をしているのだ、と。


「クソっ」

 強風に、一人分の体重。長時間の尾行がなければレンドの体力だけで十分に支えられたかもしれない。

 だが、レンド自身も疲労困憊だった。その状態でアグルを引き上げるだけの体力が、レンドにはない。ずるずると落ちていきそうになる体に、レンドの顔が歪む。

「今、助ける!」

 大砲にいた三人が駆け付けた。それまでの時間は、まるで永遠のように長かった。レンド共々アグルも引き上げられ、ようやくレンドは痺れきった自身の腕に感覚を取り戻す。

「あ、ありがとうございます」

 アグルの礼を聞きながらも、息を整えるのに忙しかった。

空の大蛇(スカイサーペント)は?」

 シリエがほっとしてから気づいたように声をあげる。彼女の言葉にようやく甲板員たちは周囲を見回した。中心のマストがぽっきりと折られている。見張り台は見る影もない。そして、空に魔物はいなかった。遥か遠くの雲に、尾を見つけた気がしてレンドは慌てて立ち上がる。

 中央へと向かう風に乗って、その尾が雲へと溶け込んでいった。

「大丈夫か? 応答しろ」

 何度か通信をしていたのだろう、ユアンの焦る声が聞こえた。

「マストをやられた。見張り台もダメだ。船員は無事だ」

 イグナが必要なことだけユアンに伝えていく。空の大蛇(スカイサーペント)の進路が元に戻ったのは確実のようだと、ユアンはすぐに主船に連絡を入れた。

「とにかくこのままでは航行に支障が出る。どうにかしないとなぁ」

「どうにかって、どうにかなるものなんですか」

 ジュディバの言葉に、シリエが驚いた顔をする。

 幸い今は逆風で、帆で風を受けるどころか、風を防ぎたい状況だ。帆走の機会はない。

 だが中央に出たらそうもいかない。対空の大蛇(スカイサーペント)戦では、帆を広げての戦いも想定された。

「飛行石をいじって羽を出せばいい。そうはいっても、この状況でその手のことができるのは……」

 レンドが答えを引き取って、ジュディバを見やる。砲手であるイグナを飛行石のもとにやるわけにもいかない。レンドでは残念ながらその手の技術は持っていない。そうなると答えは一つだけだ。

「俺がやるしかないなぁ」

 そうすると、装填手が一人減る。改めての人手不足に、レンドは我知らず唇を噛みしめた。

「ジュディバさん……」

 心配そうに見上げるシリエに、大丈夫だとジュディバが言う。

「さっきの装填は俺より早かった。シリエちゃん一人だけでも、装填手は十分だなぁ」

 確かにと、レンドは同意する。あの魔物を前にして、シリエはきちんと自身の仕事をこなしてみせたのだ。

「それより、アグル。怪我はないのか」

 飛び込んだとき、痛そうに顔を歪めたのをレンドは見ている。それで聞いたのだが、アグルからは、

「はい」

 と返事がある。確かに見たところ、服が破れたり血が流れたりはしていない。

「それならいいが、無理はするなよ」

「はい」


 なんとか態勢を立て直したレンドたちは、再び空の大蛇(スカイサーペント)の尾行を開始した。幸い、あのときを最後に顔を見せて襲ってくることはない。左右には逃げようとしているようだが、どうにか残りの船が凌いでいるようだ。

「主船より連絡。シェイクス船が中央に突入したそうだ」

 いよいよだった。ようやく魔物を狩る時間が始まる。

「頭目から直々にこの場の全員に向けて伝言がある。繋ぐぞ」

「聞いているか、野郎ども!」

 繋げた途端に、頭目の声が響き渡り、レンドは危うく手からナイフを落としそうになった。それほどに大声だったのだ。

「蛇の奴は目の前だ。ぬかるなよ! こいつをやれば、お前たちは英雄だ! そう思ってぶつかっていけ!」

 ――――英雄。

 その言葉をレンドは心の中で繰り返す。不思議だった。どうしてか、その言葉は空しく響いたからだ。

「さぁ、野郎ども! 準備はいいな!」

 掛かれとの合図に、飛行船が唸り声をあげる。

 魔物が速度をあげたのだ。中央の雲一つない場所に向かってまっすぐに突き進んでいく。

 そして、それを追う飛行船もまた、雲の層を突き抜けた。


 唐突に出迎えたのは静寂だ。先程までの強風がぴたりと止んでいる。見上げれば空は青く、そこから眩しいばかりの日の光がレンドたちに降り注ぐ。光を吸い取った雲は奈落の海を隠すように眼下に並び、雲という名の台地の上を歩いているかのような錯覚に捉われる。先程までいた雲の分厚い層が中央から外れたところで、うねりながらその場に留まっている。青い稲妻を時々発する様は、まるで神聖な場所に入るのを禁じられ荒れているかのようであった。

 僅かなそよ風が、レンドの髪をなびかせる。この場に似つかわしい言葉は、平穏。しかしその言葉を破る光景もまた、目の前にあった。

 空の大蛇(スカイサーペント)だった。雲に隠されていないこの場には、その姿がはっきりと見える。空色の鱗に覆われた体はしなやかさを兼ね備えていて、同時に力強さを感じさせる太さがあった。それに巻きとられた途端、船は何も抵抗できずに潰されてしまうだろうと思わせるには十分だ。それなのに尾の付近からは長い毛が生えていて、さらにその大蛇を大きく威厳に満ちた存在へとみせている。それはもはや、魔物ではなく海獣、否、噂にきく龍のようですらあった。

「撃って、撃って、撃ちまくれ!」

 主船から、ティスケルの声が響いた。それに合わせて、四隻の船から砲弾が放たれる。前方のシェイクス船、左翼にはアダルタに代わって主船が、右翼にはもう一隻の船、そして後方にはレンドたちの船が取り囲んでいる。イグナが砲手を務め、シリエが絶えず弾を込めた。一人欠けているのが痛いが、それでも彼女の手際のよさは褒めてしかるべきだ。成績は並だったが、所詮は教育での話だ。実戦でここまで重宝することが大事だった。

 それらの砲撃を受けて、叫び声をあげる空の大蛇(スカイサーペント)を、ただただレンドは見ていた。アグルとともに呆然と突っ立っていることしか、今のレンドにはできない。

 きっとこれが現代の英雄なのだろう。英雄と言われると、無力なはずの人間の中から抜きんでて才能のある者が狂暴な魔物に打ち勝つという印象がレンドの中にはあった。

 だが、実際は違うのだ。現実の魔物は一人の人間がいくらナイフを投げたところで相手にならない。大砲という名の武器を使って複数人でようやく一体の魔物を仕留めることができる。少なくともこのギルドは、それほどまでのことができる規模になっていった。人は確かに言うだろう。『スナメリ』は偉大だと。優れたギルドだと。それは英雄だと言われているともとれる。

 レンドは自分の中に沸いた思いに首を捻る。


 いつから自分は、英雄になれると錯覚していたのだろうか。そしていつ、自分を含めた人間の無力さに気付いたのだろうか。そして、何故大きく発展した『スナメリ』に、居場所を感じなくなったのか。


「あっ! 上空に」

 アグルの声に、レンドは現実へと引き戻された。いつしか空の大蛇(スカイサーペント)が撃たれながらも上空へと退避しようとしている。そこを逃がすまいと砲撃が集中する。しかし四門の大砲では所詮数が知れた。

 体中を撃たれながらも、空の大蛇(スカイサーペント)が上空へと飛んでいく。

 そのときだ。

「ヒーローは遅れてやってくるってな」

 通信機器から声が漏れた。はっとする。このお茶らけた口調に聞き覚えがあった。

「ヴェインか!」

 後方を振り返る。雲の層から一発の砲弾が飛び、そのまま空の大蛇(スカイサーペント)へとぶつかった。魔物の悲鳴があがる。

 続けて、雲の層から抜けてきたのは、見間違いようもないアダルタ船だった。

 マストは折れ、船頭は潰されている。その影響でむき出しになったブリッジから、舵を握るヴェインの姿が丸わかりだった。船体からは木の板が絶えずはがれ落ちており、今も残った船員たちが大砲に身を寄せて、飛ばされないようにしがみついている。アダルタは船を直しているらしく、ブリッジにいて管と管を手で繋ぎ合わせているところだった。全く、この状態でよく墜落しなかったのだと言ってやりたくなる。

 ヴェインの操縦する船がそのまま上空を確保する。大蛇の口へと何発も砲弾を放てば、退路はない。実質、空の大蛇(スカイサーペント)は逃げられなくなった。

 それで勝敗は決した。四面楚歌に陥った空の大蛇(スカイサーペント)はもはや大きいだけの的だった。無数の砲弾を浴びてその体がはたから見ても傷だらけになる。叫び声をあげたそれは悲痛さすら背負っていた。

 そして、とうとう空の大蛇(スカイサーペント)の瞳から光が消えた。

 そう思った刹那、眩しいばかりの光がレンドたちを襲った。

「なんだ?」

 光は、空の大蛇(スカイサーペント)からだった。溢れんばかりの光に、砲弾が放てず大砲の音が止む。その代わりに聞こえたのは無数の叫び声だった。

 そう、それは一体ではなかった。空の大蛇(スカイサーペント)の叫び声が霧散し周囲に木霊する。駆けまわるその気配に、レンドは何も反応ができなかった。

 だが最後の一瞬、確かに見えたのだ。黄色い瞳がレンドをまっすぐに見据えていたのを。

「レンドさん、危ない!」

 アグルの声とともに、体を突き飛ばされ、甲板の床へと転がった。思わぬ痛みに受け身を取る暇もなかった。ゆっくりと体を起こそうとし、レンドは自分の体に覆いかぶさっている重みに気付いた。振り返って、絶句する。

 アグルだった。

 はっとして、体を起こす。それに合わせて、アグルの体から暖かいものが流れた。アグルとレンドの間に挟まれる形になっていた手を引いた。

 手が、赤く染まっていた。

「アグル……?」

 アグルにはレンドを見る気力が残っていた。

「レンドさん、無事ですか」

「あ、あぁ。それよりお前……」

 目に涙を溜めて、よかったと呟かれる。

「今度は……、助けられて」

 レンドは動転した。アグルが何を言っているのかわからないが、彼の意識が既にさ迷っていることは明らかだった。

「おい、しっかりしろ! アグル……!」

 改めて傷を見る。脇腹から血がどくどくと流れてくる。それが甲板にまで滴っていくのをみて、レンドはすぐに自分の服を引きちぎった。

 ぼさっとしている暇はなかった。その血が、アグルの命の残滓だ。少しでも逃さないように止血する時間が必要だった。人の手を求めて、レンドは周囲を見やる。それで初めて気が付いた。その地獄は、レンドたちだけを襲ったのではなかったのだ。

「イグナさん! しっかりしてください!」

 ようやく耳に入ってきた音はシリエの涙混じりの悲鳴だった。見えた光景は、大砲のすぐ前で泣き崩れるシリエとその前で倒れるイグナだ。イグナの胸からは血が流れていて、彼はぴくりと動かない。

 一体何が起こったのか。レンドは改めて疑問を抱いた。さらに遠くを見やって気付く。甲板から中へと入る扉が破られていた。

 穴の開き方は明らかに魔物によるものだった。その大きさはアグルの脇腹、イグナの胸を貫通するぐらいの、空の大蛇(スカイサーペント)と比べれば小さな類のものだ。

 レンドは一瞬見えた光景を思い出す。黄色い瞳をした魔物がレンドを食らおうとしたところを。あの魔物が空の大蛇(スカイサーペント)に連なる何かなのが分かった。今、船が囲んでいた光の大元には何もない。だが恐らくあの光とともに、空の大蛇(スカイサーペント)が何かをしたのだ。


 ひょっとして、子供か……?


 複数いて、小さい。その可能性に思い当たりぞっとした。他の船も似たような事態になっているとみるべきだ。

「シリエ、泣いていないで応急処置を急げ! 教育で習ったことを生かすんだ!」

 止まっている場合ではなかった。レンドは止血を進める。アグルの唇は青白く、既に意識はない。だがまだ死んでいない。死なせてなるものかと思った。

 本当ならもう一人ここにいてほしかった。扉に開いた大穴は、船内にいる三人のもとに魔物が駆け付けた証だ。彼らはまさか魔物が襲ってくるなんて思ってもいないだろう。それでは完全に不意打ちになる。

 そこまで考えて通信機器の存在を思い出した。既に遅いかもしれない。だがないよりはましだと声を張る。

「全員、小型の魔物に注意しろ! 船内にいる奴もだ!」

 だが通信機器から何も応答がない。もう遅かったのだろうか。既に彼らは全員魔物に食われたのか、そう思ってから気が付いた。

「クソっ、壊れてやがる」

 恐らくアグルにかばわれたときに地面に強く打ったのだ。

「全員、小型の魔物に注意してください! 船内にいる人もです!」

 気づいたシリエが自身の通信機器を取り出した。しかし、返事はない。今度は壊れていないはずだ。

 絶望が掠める現状で、レンドはシリエの後ろからやってくる魔物の存在に気付いた。

 小型の白い蛇のような魔物。黄色い蛇特有の瞳に、口を開ければ長い舌が垣間見える。

「シリエ、伏せろ!」

 驚いたシリエが振り返るが、反応はできていない。呆然と魔物が自身を食らおうとするその光景を見ている。

 せめて伏せてくれれば、ナイフを投擲できた。だがそれは望み薄だ。

 レンドは走った。駆けっこは得意なのだ。いけるはずだ。いや、間に合ってくれないと困る。


 ――――神でも何でもいい。こういう時ぐらい力を貸してくれ!


 ありったけの力をもって走り続ける。

 レンドはただの人間だ。だが、ただの人間にも意地はある。

 蛇がシリエに迫る。その直前、シリエの体が右側に倒れた。

 レンドは魔物にその刃をぶつけた。その口から、体からナイフが走っていく。魔物の断末魔の声が途中で掻き消え、そしてはじけた。

 べっとりとついた血糊をはじき落とすと、レンドは慌てて振り返った。

 先ほどの倒れ方は、避けるとかそういう次元ではなかった。

「シリエ……?」

 シリエの瞳は閉じられていた。だが体のどこも傷はない。魔物にやられると思ったからか、今までの疲れがきたからか、いろいろありすぎたせいか、どうも気絶しているだけのようだ。ようやく一つ安心した。

「やれやれ、いいとこどりか」

 甲板からの声に振り返ると、そこにユアンが立っていた。

「ユアン! お前……」

 大丈夫だったかと声を掛けようとし、そこでその声が途切れる。

 ユアンの片腕からは血が滴っていた。そこから先の、あるはずの右腕がない。

「全く、死人役を入れておけば十分だと思っていたんだが」

 そう言ってアグルを一瞥する。それから痛みが走るだろうに、両腕でやれやれというポーズをとろうとする。片腕がないので、そこだけは血を吸った袖がゆらゆらと揺れていた。

「まさか、俺の腕が逝っちまうとはな」


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