その827 『問イカケニテ』
早朝は予定通り王城に赴き、朝食に同伴した。案内された部屋はさすが王城とあって立派だ。ブライトの屋敷の食卓の倍はある広い部屋で、エドワード王子と給仕たちに囲まれながら、出てきた金縁の皿に乗った料理に口をつける。
「本日はお招きいただき有り難く存じます」
「良い。どの道、一緒に食事する者などはおらぬ」
「左様でございますか」
王妃がいるのではないかと思ったが、口には出さなかった。一度見た国王は元気に見えたが、病は続いているはずだ。王妃が看病に付き添っている可能性は大きい。
「そなたに聞きたいことがあった」
「何でございましょう」
エドワードはそう言いながらも、のんびりと手元のスクランブルエッグを頬張っている。焦らしたいのか、どう話せばよいか思案しているのか、ブライトには想像がつかない。
「そなた、空は好きか」
しかもようやく出てきた質問は、理解に苦しむものだった。
「えと、……そうですね、好きか嫌いかで言えば好きかと」
「何故好きだと?」
はじめて乗った飛行船を思い浮かべる。いつもの空とは打って変わった景色がそこにあった。
「知らない世界が広がっているからです」
それだけでは答えにならないと感じ、補足する。
「父の葬儀ではじめて飛行船に乗りました。空は果てまでずっと広がっていて、そこに可能性を感じました」
「可能性?」
「あまりにも広かったので、そこにはまだあたしの知らないことがたくさんあるように思われたのです」
何やらエドワードは思案顔だ。何が聞きたいのか、いまいちわからない。
「つまり、そなたは未知が好きなのだな」
「そうかもしれません」
確かに知らないことに触れることは好きだ。いろいろなことを想像できる。魔術が好きなのも、きっとそこに見たことのない過去の世界があるからだ。
「そういった手合は変化を好む。そなたもか?」
問われて、首を横に振った。ブライトにはもう戻ってこない場所がある。子供の頃の平穏なままの世界に、いつまでも浸かっていたかった。
グラスに入った水に口をつけて唇を潤す。それから、返答した。
「あたしは、変わらずにいられるのならそれが一番だと考えます」
グラスの水のなかで、氷が音を立てて割れた。
「けれど、この世界に時間という概念がある以上、変わらないものはありません。だから、少しでも良い方向に変わるように頑張らないといけません」
「そうか、そなたなりに頑張った結果が『今』なのだな」
何を思ったのか、エドワードは理解した顔を作った。
「はい」
そう答えながらも、ブライトには結局エドワードが何を聞きたかったのかよく分からなかった。
会話は途切れ、食事が終わって給仕が食器を片付けていく。そのときまで、エドワードは何も話さなかった。
「これからそなたの講義だな」
ようやくぽつりと吐き出された言葉は嘆息にも聞こえた。だから、
「お嫌ですか」
と聞いたところ、エドワードに首を横に振られる。
「いや、そなたの講義はいつも楽しい」
「教える側として、何よりも有り難いお言葉です」
それならば何を憂えているのかと思ったが、口には出さなかった。
いつもどおり家庭教師が終わった後、エドワードは中庭へと出ていった。そこに呼びつけられたらしいワイズの姿を認める。
毎度の流れだ。エドワードは、必ずワイズを呼びつけて、ブライトにみせてくる。そうして、遠くでブライトの反応を窺っている。まるで、お家騒動を抱えるブライトへの当てつけのようである。
当のワイズはというと、ブライトを見ても何の反応も示さない。無表情を装っているのであれば、ブライトよりも上手だ。それとも、命を狙うような姉を見たところで乾いた思いしか湧いてこないということなのかもしれない。
ブライトもなるべく心を平静にして二人を眺めるようにしていた。エドワードか何を考えているかはわからないが、ブライトの表情や動きから情報を得ようとしていることは分かっていたからだ。だとしたら、情報は与えないに限る。ブライトに今出来るのはそれぐらいなのだ。
時間短縮の為、ラクダ車のなかで昼食をすませた。セラに用意してもらっていたクッキーだ。狭くて揺れるラクダ車の中でも、これならば口にできた。はしたないと噂にならないよう、カーテンで車内を隠し、もくもくと頬張る。
お茶会で甘味のものが出ると配慮してか、胡椒とチーズが程よく効いている。サクサクと香ばしい。ピーナッツも入っているのは、飽きたら他の味を楽しめるようにしてあるからだろう。それらを口に含みながら、セラのお菓子は料理長の作るものに似ている気がするなと考える。
屋敷に戻ってからはすぐに身支度をすませた。セラに会うことなく、さくっとすませる。
それから、ミヤンを連れて再びラクダ車に乗り込む。今からはミミルの主催するお茶会に出向くのだ。
今回はミミルの本邸ではなく別邸で行う。
「そういえば、あたしの家は昔から別邸がないよね」
ぽつりと呟いた。向かいのミヤンからは当然のように返事がない。ブライトの独り言だと解釈しているのだろう。
仕方がないのでブライトは口を閉じ、思考する。
アイリオール家と違い、他家は領土にも屋敷があることが多い。むしろ領土を持つ貴族は、統治の都合上、自領にいることのほうが多いだろう。そして一族の代表が都に別邸を作る。そのとき作られる屋敷の数が多いほど財力があるといえる。ミミルの家であるエンダ家の場合は本邸が都にあるようだが、それはミミルの家が領土を持っていないからか近くに自領があるからということになる。
しかしエンダ家程の格式の家でも屋敷が複数あるというのにアイリオール家は、昔から屋敷は増やさない。今住んでいる屋敷だけだ。
元々、豪華絢爛というのはアイリオール家には合わないのだろう。最低限の貴族生活を突き詰め、王家を支える家だ。他の貴族とは考え方か違うようである。
「屋敷の話は置いておくかな」
大体の結論がでたところで、お茶会の内容に思考を切り替えることにした。
今回のお茶会は、香水が主だ。いつも通り香りの種類を当てあうのだろう。ブライトも勉強したので多少は香りに詳しいが、ミミルには遠く及ばない。彼女は香りを当てるどころかその香りが作られた歴史まで語ることができる。ここまで趣味が強いと本格的な学問と変わらないとブライトとしては言いたい。
そして、お茶会にはブライトが会いたいと考えていた令嬢がいる。その人物は、中立派のなかではフィオナの家の次に格式高い家の出身だ。令嬢自身、非常に優秀な人物と聞いている。
なるべく上の立場の人間の賛同を得られれば、下の者は自然と上の人間についていく。そうすれば、ブライトの仲間は多くなるのである。そして、王家がブライトのことを捨てようと考えていたとしても、大勢の貴族を前にしては反対意見は言いにくくなる。
だから、どうにかここで会う令嬢には味方についてほしいのだ。
「ミミル様の別邸に到着しました」
ハリーの声が届き、ブライトは余計なことを考えすぎたなと反省する。あまり復習しておく時間が取れなかった。
仕方ないと割り切り、気持ちを切り替える。ゆっくりとラクダ車が止まるのに合わせて、立ち上がった。




