その826 『相談ノ範囲』
「大赤字に見えますが」
帳簿確認後の第一声、セラはそう感想を述べた。
「ええと、そう見える?」
認識はしている。
だが、そこまではっきり口にされると確認したくなる思いもある。
「はい。仮にも貴族の家がここまで資金に余裕がないとは思いませんでした」
トドメの言葉に、ブライトはがくっと項垂れた。
仮にも貴族の家というが、アイリオール家はシェイレスタ一の大貴族である。王家の右腕と称される程の家柄を持つ、天辺のなかの天辺なのである。
実際、セラのいう大赤字でも今すぐにやっていけなくなるほどの損失ではないところが強みだ。そう反論すれば、セラには渋々認められた。
「確かに私の家でしたら、一生どころか数代は遊んで暮らせるだけのお金が余っていると思います」
ところが、セラは続けるのだ。
「ですが、支出が大きいのでよろしくはないでしょう。よくこれで私を買いましたね?」
挙句の果てに、セラ自身のことまで持ち出されてしまった。
「セラは良い買い物だと思うけど」
実際、初日から成果を出してもらっている。正直にそう言うが、セラにはどうも取り合うつもりはないようだ。
「私は、人がいないにもかかわらず出費が大きいことが気になります」
人がいないことは挨拶周りで悟ったらしい。挨拶周りで会ったのがハリーにミヤンにレナードにウィリアムではそれもそうなるだろう。一応門番二人と臨時の庭師、ミヤンの手伝いに数名のメイド、日雇いの料理人を雇っているときもあるが、それを差し置いてもこの規模の屋敷ではあり得ない数だ。
「やっぱり保全費かな」
思い当たる節を挙げる。屋敷の手入れが行き滞っているので、余計に諸々が壊れやすいのである。実際、先月は修理代だけで結構な額がとんでいる。
「それにしても高い気がしますが。これは何ですか」
セラの指摘は黒塗りになっている部分だ。
「あぁ、お母様の出費。あたしも何かは知らなくて」
恐らくは魔術書の入手か、母の『手』の活動資金か何かだろう。馬鹿にならない金額だが、ブライトには何も言えない内容だ。
「確か、病を持たれているのですよね。薬代ですか」
誰の情報かは知らないが、セラはそう聞かされているらしい。また、すぐに気がついたようで帳簿に指をなぞらせる。
「けれど、薬代はこちらにありますね」
セラに指摘されたブライトは、頬を掻いた。
「それはあたしが用意した分。結局あんまり飲んでいただけていないけど」
ブライトの声から何か悟ったらしい。セラはそれ以上追求してこない。代わりに話を切り替えた。
「となると、あとは収入ですか。少なくないですか」
ブライトはちょうどセラに会った日の午前に訪ねてきていた官吏の顔を思い浮かべる。
「実は、こないだ官吏の人に税金を減らさないとご飯が食べられないって嘆かれてさ。……減らしちゃった」
セラは呆れ顔だ。
「それ、甘すぎませんか? こちらにも事情はあるのです。常に納税しろとは言いませんので、特例には専用のルールがいるのでは」
「例えば?」
「免除した分、後で余分に払わせるというのは」
「うーん、あり、なのかな」
ブライトにはどうもぴんとこない。如何せん、食べられないと言われても深刻ぶりが分からない。だから言われたまま認めてしまう。むしろ、本当に飢え死にしそうだというのであれば、余っているご飯を分けたいというのが本音だ。それをやると屋敷の経営状況がばれるので、黙るしかないのが残念である。
「一度お忍びで都を見てみては如何でしょう。実情が見えてくるのでは?」
セラの提案が市民にとって辛いものなのかどうかも、実態を知らなければ判断ができない。確かにと、ブライトは頷いた。
「そうだね。今までは忙しさを理由にあまり見ていなかったけれど、優先順位を見直すのはありかも」
というより、いつの間にか都を視察するという考え自体破棄してしまっていた。ハリーに住民の声を聞くように頼んだぐらいである。母からは、まずは貴族としての関係を築くことに重きを置くように言われていたが、幾ら何でもここまで優先度を傾ける必要はないだろう。
「まぁ、そういう経営状況もあるから、人を雇うのも大変でね」
人が来ないことだけが問題ではないのだと、弁明しておく。
「なるほど、理解しました。もう少し勉学を進めたうえで、何かできることはないか考えてみます」
「いや、充分心強いよ」
そもそも、当初の目的である愚痴を聞いてもらったことで、充分である。ようやくのんびり泣いている場合でもないと意識を切り替えられた気がしたのだ。
それに帳簿を相談する気になったのは、他ならぬセラが期待値よりもずっとよく動いてくれたためなのである。
「とりあえず、明日のことだよね!」
詳しくセラの優秀ぶりを話したところで、取り合ってもらえないことは見えている。その為、話を変えることにした。
「あたしは家庭教師とお茶会が入っているから、セラと次会えるのが夜になりそうなんだけど」
朝食は王子の希望で一緒にとることになっている。珍しい話だが、王妃の許可も出ているらしい。よほど、何か話したいことがあるのかもしれない。
「構いません。ご昼食はご用意しておきますか」
「お茶会で出るからね。少しで良いよ。時間がないから、移動中に食べられるもので」
「承知しました」
セラは既に自分のやることを決めているようだ。今日の報告から察するに、明日は届いた書類や手紙の整理をしつつ、余らせている食材を日持ちさせるべく加工するのだろう。食材は結構な量なので、それだけで時間が掛かりそうだ。加えてミヤンがお茶会に付き添いで出ることになる分、掃除や洗濯の量も増える。あっという間に夜になることだろう。
そもそも、ブライトの屋敷は換気のために窓を開けるだけで日が暮れかねない程の広さはある。ミヤンは早々に換気を諦め使う部屋だけを掃除しているようなので、気をつけないと部屋によっては埃だらけだ。そう考えると、セラに追加の仕事を頼む余裕はない。
「何かあれば、お手伝いしますが」
と思っていたのだが、ブライトの表情を読んだようでセラにはそう問われた。
「余裕あればで良いんだけど、古代語の勉強も進めておいてくれないかな。読めないよね?」
一応弟子の立場になるセラだ。全く魔術の勉強をしないのでは、おかしい。
「承知しました。ウィリアムさんにお聞きして勉強します」
素直に頷くセラに、ブライトは改めて頼もしさを感じた。こんな気持ちになったのは初めてかもしれないと感慨深くなる。
「うん、助かるよ」




