その823 『足元デ』
実際にココリコ家の屋敷に案内されたのは、はじめてのことだ。タタラーナの主催するサロンは別荘で行われたので、屋敷に入る機会はこれまでなかった。
だから、ラクダ車に揺られながらも、敷地に入った途端に変わる雰囲気に息を呑む。植えられている木々にはどれも生命力があり、必ずといってよいほど赤や黄色の鮮やかな色の実をわんさかつけている。見て楽しむ花よりも実用的な物を好むのだろうか、いまだにブライトではタタラーナは測りにくい。
特にそう感じたのが、ラクダ車を降りてからだ。
「おめでとうございます。これで晴れて成人ですのね」
まず下りたそこで、タタラーナから賛辞を受け、面食らいかけた。
「……ありがとうございます」
タタラーナから賛辞を受けるなど、明日は槍でも降るかもしれない。
「凄く素敵な屋敷ですね」
とりあえず、賛辞には賛辞で返すと
「当然ですこと」
と鼻で笑われた。
「今日はわたくしが招待したのですから、寛いでいきなさい」
「あ、はい」
タタラーナの後ろを歩きながら、屋敷の構造を頭に入れる。とにかく広くて、背が高い。王城に負けていないのではないかと錯覚する程だ。
同時に、生き物も多くいた。鳥籠に入れられた鮮やかな赤や青の鳥たちが、近づくブライトを警戒して鳴く。これは、魔術で潜入してもすぐにばれそうだ。
「何を考えていらして?」
「綺麗な鳥ですけれど、触れそうにはないなと」
「あら? 鳥に興味がありましたの。確かにこの子達はわたくし以外には警戒心が強いですから触ったら指がなくなりますわよ」
恐ろしい忠告に肩を竦めた。
「手は出さないようにします」
「さて、この部屋ですわ」
タタラーナが扉の前に立つと、そこにいた執事が扉を開けた。ぴかぴかと眩しい部屋が現れる。
「入りなさいまし」
言われて足を進めるものの、竦みそうになった。大きな獅子が口を開けてブライトを待ち受けていたからだ。よく見ると剥製で首から下はない。どうやら、部屋のモチーフらしい。
長机には純白のテーブルクロスが敷かれており、蝋燭が幾つか灯されていた。部屋の中央には大きなシャンデリアがあり、きらきらと雨粒のような硝子を輝かせている。
「どうぞ」
椅子を下げられて大人しく座れば、タタラーナはすぐに給仕が持ってきた水に口をつけた。グラスは大きくて丸く、そこに映る水は蝋燭とシャンデリアからの光を反射してきらきらとしている。
いつも通りの挨拶をして、ブライトたちはお茶会を始める。
「知っていまして? ワイズ・アイリオールの論文のこと」
いきなりの発言に、完全に足元を掬われた。むせそうになったのをどうにかこらえて、もう一度耳を疑う。
「ちょうどあなたが受賞したときと同じ賞でしてよ」
「存じませんでした」
まさか弟が死んでいないどころか、論文まで書いているとは思うまい。
タタラーナは、タルトケーキを口にしてうっとりとした。それから、告げる。
「あら? それは不勉強ではなくて? 弟に『魔術師』の才能があるのならば、あなたの取り柄なんてないも同然でしょうに」
清々しい言いっぷりだ。同じように、タルトケーキを口にして、しっとり加減が絶妙なことに気付かされる。ブライトの屋敷では出せない味だ。
タタラーナの発言にも、全くそのとおりだと納得しかける。というのも、ブライトはこれまでワイズが魔術を使いこなすとは夢にも思っていなかった。しかしよくよく考えてみれば、ブライトが初めて魔術を使った年齢は今のワイズと変わらないはずだ。どうも、ブライトはいつの間にか自分と同じことのできる人間は存在しないと高を括っていたらしい。
「論文の内容は、治癒魔術についてでしたけれど」
それどころか、ブライトがいまだに使えない魔術である。魔術を使えなくとも論文は書けるが、賞もとるとなると弟には治癒魔術の才能があるとみてよさそうだ。ブライトでは分野が違うのだろう。
タタラーナが嘘を伝えるとは思えない。調べたらすぐ分かることだ。それに、今にして思えば、納得がいく。ワイズを殺そうと危険な魔術を使ったはずなのに、ワイズは結果として生きていた。これは、ワイズが治癒の魔術を使えたとすれば、十分に起こりうることだ。
「そうなのですね、まずはその論文を閲覧してみます」
タタラーナは声を上げて笑った。
「随分悠長なことですわね。自分の立場を改めて振り返られては?」
ぐうの音もでない。実際、ブライトの立場は悪い。ブライトは天才だからこそ、その才能を惜しまれて跡継ぎとして候補にあがっていたのだ。ワイズが既に治癒魔術を扱えるのであれば、弟もまた天才だ。それならば、条件は同じになる。タタラーナの言うとおり、ブライトの取り柄がなくなる。
この場合、男であるワイズのほうが後継者として優先されるであろう。元々召使いの女のもとに生まれた子供というところはあるが、それよりも性別に重きを置くのがシェイレスタだ。
まして、エドワードの王子の友人がワイズだ。家庭教師と友人、どちらを取るのかブライトには分かる気がした。
ブライトはきっと使い捨てだ。才能を見込まれた結果、必要な知識だけを享受させられ、特別区域にでも送られるのだろう。『魔術師』を『異能者』として送り込むのは容易い。そして暗示を掛けられたら、そのときはもうブライトはただの人形だ。
「自覚したうえで、出来ることは限られますから。あたしはあたしのやるべきことを続けるだけです」
そう答えつつも、頭の中は真っ白だった。家庭教師になったことを喜んだ自分を殴りたくなる。折角崩した勢力図は大きく変わって、きっとどんどん白紙に戻っていく。ブライトは多忙を極めているのだ。
このままでは、ブライトは負ける。ブライトが犠牲にした命が、無駄になる。




