その822 『サロン選ビ』
セラとの案内は執務室を最後に引き上げた。セラが少々辛そうにしていたのと、ブライトにもやることがあるからだ。
セラの部屋の前に戻ったブライトは明日の予定を告げる。
「明日、あたしは8時から家庭教師だから、起きるのが5時なんだけど大丈夫かな?」
「はい。そこで、屋敷の方とご挨拶するんですね」
「うん。あたしの部屋に5時5分ぐらいに来てくれると」
セラはこくんと頷いた。
「かしこまりました。おやすみなさいませ」
「うん、おやすみ」
挨拶をすませて、ブライトはそのまま母の部屋に向かう。報告の時間だ。
今日はセラのことを話さなくてはならない。特に母にとって不都合なのは、セラの記憶が覗けないことだ。セラの記憶を見ようとしたら最後、セラは魔術により命を絶つことになる。それでは、貴重な『異能者』を失いかねない。
「失礼します、ご報告に参りました」
いつも通りに報告し、記憶を覗かれる時間が始まった。
『そうですか』
終わったあと、紙に書かれた文字はそれだけだった。若干の、肩透かしを食らう。
「あの」
そのせいか、或いは歯がゆさがあったのか、ブライトは口を開いていた。
「あたしは成人したので、お母様のことを私語で話し掛けても良いですか」
発言してから、胸が張り裂けそうになった。答えを聞くのが怖い。ブライトにとっての母と、母にとってのブライトが明確になりそうな予感があった。
ひらりと目の前に落ちたメモは、答えを隠すように裏返しになった。ブライトは震える指でその紙をひっくり返す。
『私語は認めません』
ブライトを取り巻く色が消えた。ふと冷静になり、立ち上がる。
「失礼しました」
礼をして部屋を出る。廊下を早足で進んで自室に駆け込んだ。すぐに洗面所に飛び込む。その頃になって、色を失った世界が滲み始めた。鏡に映る自身の顔が涙で醜く歪んでいる。
顔を洗面所に突っ込んで上から水を掛けた。涙も水も区別がつかなくなるように、ぐちゃぐちゃにしたかった。
仮眠を取り、湯浴みをすませてから化粧をする。赤い目元を隠し終わったところで、トントンというノック音を聞いた。
「おはようございます、ブライト様」
ミヤンの声だ。
「おはよう、ミヤン。朝ご飯だよね」
若干声が掠れてしまったのは泣いたあとだからだ。ばれていないことを祈りながら、扉が開くのを見つめる。部屋に入ってきたミヤンは、昨日のうちに頼んでおいたとおり二人分の食事を手に持ってきていた。
「実は今日、会わせたい人がいるんだ」
配膳をするミヤンを眺めながらそう告げると、明らかにミヤンは怯えた様子をみせた。どうも会わせたい相手のことを『魔術師』だと思っているらしい。弟子という扱いなので間違っていないが、合ってもいない。
「ミヤンの仕事を手伝ってもらう予定だから仲良くね」
「は、はい」
少々安堵したようだが、まだ声に警戒が抜けていない。とりあえず会ってもらうかと考えたたところでノック音がした。
「おはようございます」
「時間きっかりだね、おはよう、セラ。入ってきていいよ」
セラは昨日と同じ服装でやってきた。髪は昨日よりも綺麗に見えるので、朝のうちによく手入れをしたようだ。手入れには気を遣う性格らしい。
「ミヤン。さっき言ってたミヤンの仕事を手伝うことになるセラ。立ち位置はあたしの弟子だけど、あんまり気にしないで」
紹介を受けたセラは、淑女の礼をしてみせる。
「はじめまして、ミヤン様」
「あ、はじめまして。セラさん。私には様はいらないです」
セラは、少し悩んだようだ。ミヤンの態度があまりに固いからだろう。
「そうですか、ではミヤンさん。よろしくお願いします」
「あ、はい」
大丈夫かなと、ブライトは不安になる。魔術の影響がなくともミヤンの立場でセラほどの年上の女性相手にものを教えるという経験はない。なにかと苦労しそうだ。
セラが上手くやってくれることを祈っていると、再度扉がノックされた。
「おはようございます、ブライト様。お手紙が届いております」
ハリーが部屋にやってきていつものように手紙を置きはじめる。呼び止めないと、セラのことなど気にもしなさそうである。
「ハリー、新しくあたしの弟子になるセラ。よろしくしてあげてね」
ブライトがそう声を掛けると、ハリーはようやく気がついたようにセラに挨拶をした。
「よろしくお願いします、セラ様」
「こちらこそよろしくお願いします、ハリー様」
ハリーはそれ以上何も言わないようなので、ブライトは説明をする。
「セラ。ハリーはうちの執事なんだ。セラの立ち位置だとハリーにはさん付けでも良いと思う」
「承知しました」
ハリーは手紙を置き終わると、いつものように挨拶をして下がっていく。その間に引き上げようとしたミヤンを呼び止めた。
「ミヤン。セラと朝ご飯終わったら、セラには厨房に食器を運んでもらうから、後のことはミヤンに任せるね。最低限の案内はしたんだけど、挨拶回りは行ってないから頼んだよ」
「は、はい。かしこまりました」
これで、セラが今日一日待ちぼうけになることはないだろう。
ミヤンが下がるのを待って、朝ご飯を食べ始める。そうすると、セラとブライト、二人でのご飯だ。ブライトはサンドイッチを手に取りながら、届いた手紙を読み進めた。
「うーん、サロンのお誘いが思いの外多いね」
サロンらしい音楽や文芸の誘いもあるものの、『魔術師』としての力量は買われているらしく、魔術に関する誘いが多い。
「これとかどう? 娘さんに関われそうかなぁ」
ブライトがてきとうに手渡すと、
「読んでも良いのですか」
とセラに戸惑いの顔を浮かべられた。
「うん。中には危険な魔術の掛かった手紙もあるから、あたしが検めた後が良いけどね。特に、サロンはセラの娘さん絡みのは行きたいから、セラの意見を汲みたいかな」
セラは手紙を読み、理解をした顔をした。
「神話に関するサロンですか。イクシウスに神話がなく、シェイレスタに神話がある理由とありますが」
イクシウスとはあるものの、セラは戸惑う顔を作った。
「これは関係ないと思います。イクシウスに神話がないのは王家が神話そのものだからです。これはどちらかというと、シェイレスタの民俗学に発展していく話かと」
「ん、同意見」
ブライトは納得して手紙を回収した。このサロンは、セラの想像のとおり、民俗学に力を入れている『魔術師』の家からの誘いだ。ただこうやって、一応セラに意見を確認しておくのは大事だと判断している。
ブライト個人としては民俗学にも興味がないわけではない。しかしながら、この議題で意見を言い合っても実りは少ないだろう。そういう意味だと魔術に関するサロンも微妙だ。ブライトが一方的に正論を言って終わりそうなものは、よほど狙いの家が出ていない限り抜けても良さそうだと判断する。
そうやって誘いの有無を振り分けていると、ふと一つのサロンの招待で指が止まった。
「未知に関するサロンかぁ」
幽霊とか、七不思議とか、そういう類かと思ったが、どうも違う。そこには、明かされていない事実の探究とある。
「気になるのであれば、ご参加されてみては?」
セラの勧めもあった。何より主催はタタラーナだ。
「今日会うから聞いてみようかな」
そのときはまだ、軽い気持ちだった。




