その819 『ヨウコソ』
『アイリオールの魔女』。
祖母の再来ということは、元々ブライトの祖母につけられた呼び名なのだろう。魔女は、決して良い意味では使われない。『魔術師』と違い、魔女には得体の知れぬもの、という意味合いがある。かつて蛙にされた王子と魔女が登場する絵本が流行したことがあったが、あのときの魔女の正体は『龍族』だったはずだ。
ブライトは幼い頃、祖母のことを聞いたことは一度もなかった。物心ついたときにはすでにいなかったし、母も父も話題にはしなかった。メイドたちも心得たように一切の話をしなかったし、ミヤンの過去にも出てこなかった。
だからブライトが知るのは、お茶会で聞いた情報しかない。そこでは孫であるブライトに対して悪い話をする者は当然いなかったが、祖母は周りを巻き込むのが得意な人だったということは聞けた。明るくて利発で、ブライトに似ているのだという。そして、祖母はブライトと違い、天才的な魔術の才能はなかったようだ。ただし、彼女は魔術書の収集に非常に力を入れていたことは屋敷にある魔術書から明らかになっている。その魔術書の中身が、非常に危険度の高いものであることも身をもって知っている。同時に危険な魔術書ほど入手するのに非合法的な手段が使われることも学んでいた。
表立って良い人間ではなかったのだろうとは、想像がついた。だからこそ、『アイリオールの魔女』は悪名高い呼び名なのだろうと悟る。
そして、そのうえでのブライトの返答が、
「光栄だね」
である。まさに、アイリオール家のブライトにぴったりの呼び名ではないかと考えていた。
「間もなく到着でございます」
ハリーの声で物思いから覚めた。がたがたと揺れるラクダ車のなか、ブライトが座る椅子の前では麻袋がごろんと置かれている。麻袋の中にいるセラは眠りについたままのようで、揺れても特に反応がない。きっと目が覚めていたら酔っていただろうから、そのほうが良いだろう。
「あたしの『手』かぁ」
メイドや執事は、アイリオール家に仕えるのであって、ブライトには仕えていない。だから、実質はじめての自分の配下であり、特別な存在だ。
問題はその『手』をどう仕えさせるかである。とりあえず愚痴を聞いてくれと言ったが、セラがその気ならいつでも拒否してブライトから逃げ出すことができる。
というのもブライトが掛けたのは、特別区域について話さないことと他の『魔術師』に記憶を覗かれそうになったら命を断つことだけだ。ブライトに仕えさせるために強制させる魔術はない。やるとするならば、本当はあの場で一緒に命令を織り込むべきであった。
しかしそれでは、ヴァールに筒抜けだ。それにあまり盲目的にブライトに従うように命令することはしたくなかった。セラの思考や知性が失せてしまう。ただの人形では、ブライトの望む『手』にはなりえないのである。
「娘さんが鍵、かな」
セラとの口約束もあるが、娘が手に入れば確実に従わせることはできる。だから、ブライトはリリスを探す必要があるわけだ。
だが、アテはない。ヴァールに頼むにしても材料が足りない。
「とりあえずサロンの回数を増やすかな」
まだシェパングとしか交流がないが、探すならそこからだろう。頭の中でサロンの優先順位を繰り上げた。
再びの思考で結論を出すのと、ブライトの屋敷についたのは同時だった。ひとまず麻袋をハリーに運んでもらい、ブライトの隣の部屋に置いてもらう。さすがに中に人が入っているとは言えないので、丁重に運ぶようにとだけ伝えての運搬だ。
さて、ここから突然現れることになるセラについてどう説明すべきか、ブライトなりに思案しておいた内容を伝える。
「ハリー、これから弟子が一人来ることになっているから。歓迎のために簡単で良いから夕食を用意するようにミヤンに伝えておいて」
如何せん、特別区域に向かうまではどのような人物がいるのかも分かっていなかったために、年上の弟子になってしまった。
だが、ハリーは特に疑問を口にすることもなく淡々と頭を下げる。
「かしこまりました」
ハリーはそれで良いのだ。麻袋のことも疑問は持たない。ハリーについた、父でも母のものでもない魔術の痕跡が告げている。ハリーは人形だ。今はいない『魔術師』の魔術が、ハリーを疑問を持たない人形に変えてしまったのだろう。
問題は、疑問を持つ頭のある他の屋敷の者たちだ。残っている者は僅かだが、彼らの噂話もとい勝手な推測がうっかり外に出ると、『魔術師』たちの耳にも伝わりかねない。とうとう権力争いに後がなくなって怪しい弟子を雇い出したなどと噂されるのは不本意だ。そうなってくると、年上の弟子ですませるのではいまいち説得力に欠けるかと再度思案する。
「家庭教師は、今のあたしだしなぁ」
少しは考えたものの家庭教師案しか出てこず、早急に断念した。どの道ハリーには伝えた後だ。後は、なるようになるしかない。
ハリーが部屋を出ていってから半刻程して、がさごそと麻袋が動き出した。
「ごめん、自分で出れるかな」
本当は麻袋から出したかったが、封を開けるだけで力尽きている。申し訳ないが、大の大人をベッドに運べるほどブライトは力持ちではない。下手に運ぶと起こしそうだったので遠慮したのもある。
少しして麻袋からセラが顔を出した。瞳がまだ若干虚ろだが、どちらかというと寝ぼけているのだろう。
「えっと、おはよう。夜だけど」
窓には星が瞬いている。
「おはようございます」
挨拶をしたセラは、気が付いたようにブライトを見つめた。どうも、今いる場所がどこか悟ったようだ。
「これからよろしくお願いします、ブライト様」
と、頭を下げてみせた。
やはり、良い買い物だなと感じたブライトは精一杯胸を張る。セラの立場のことなどは、今は後回しだ。
「こちらこそ、ようこそアイリオール家の屋敷へ」
案内するねと言って笑った。




