その818 『呼ビ名』
「いいよ。ヴァールもそれに同席する?」
「それは是非とも」
証人がいるということだろう。
「じゃあ、このままこの部屋を借りるね」
「こんな部屋で良いのか? 宿泊用の広い部屋もあるが」
ピンとこなかったので、丁寧に断ることにした。
「部屋はこれで十分だけど、紙とペンは欲しいかな」
本当はいざというときのために持ち込んでいたが、それは黙っておく。そうして付き人が持ってきた紙を受け取った。なんと、羊皮紙である。仰々しいが、致し方ない。借りた筆ペンで法陣を描いていく。
「セラには悪いんだけど、紙だけじゃ証明にならないから魔術を使うね」
セラはよく分かっていないようだ。魔術に対する知識は深くなさそうである。
「はい。私は何をすれば良いのでしょうか?」
「何も。ただしっかり今からする話を聞いてね」
ブライトは法陣を発動した。途端、淡い光がセラの周りを取り囲む。
「ブライト、様?」
息苦しさを覚えたのだろう。咳き込む音がする。この魔術はそこからが始まりだ。咳き込ませることで魔術で発動された煙を吸わせ、意識を混濁させていく。
「約束事があるんだよ。それを、セラは命に代えても守らないといけない」
感情を書き換える魔術とは違う。これは、指示を与える魔術だ。
「今から告げる命令を復唱してね」
「はい……」
どこか虚ろなセラの様子は、魔術に掛かっている人間ならではの反応だ。それを見た付き人がブライトの前にそっと紙を渡してくる。そこには、具体的なヴァールからの指示がある。特別区域の『異能者』全てに共通する命令だ。
「特別区域のことは他言無用」
当然の指示だと納得する。そこで、指示はまだ続いていることに気がついた。
「主以外に記憶を読まれる可能性がある場合、その命をすぐに絶つこと」
読み上げながらも、念入りな対応だと憎々しげに思う。これでは、第三者には『異能者』の記憶を読み解くことは難しい。他の『魔術師』が使う『異能者』を仮に捕らえたとしても、情報を得ることはできないというわけだ。
読み終えてからセラを見やると、セラの唇がふるふると震えている。抵抗しているのだ。これでも予めそうならないように手を打ったはずなのだが、やはり自身の命を断てと言われてすぐに頷ける人間は少ないのだろう。
本当であれば、一時間でも二時間でも、セラが魔術に負けて復唱するようになるのを待つべきである。というのも、この魔術は感情を書き換える魔術よりもずっと効きづらい。過程が少ないために、記憶を読んで相手の心の隙に付け入ることも難しい。だから、時間を早めるには、再び魔術を強化するしかないのだ。
魔術を再度かけたことで再び咳き込み始めたセラの様子を観察する。この魔術は心に負担を負わせやすい。だから、やり過ぎると簡単に心が壊れてしまう。タイミングを見ながら、復唱を促した。
「ほら、言ってごらん」
「特、別区域の、ことは、他言無用」
途切れ途切れだが、ようやく言葉を紡がせた。しかし、指示の文はまだ残っている。
――――抵抗は駄目だよ、セラ。
心のなかで告げる。再度魔術をかけてもよいが、これ以上はは心が壊れかねない。本当は半日おきに魔術を発動し三日三晩かけてじわじわと続けるものなのである。
「セラ自身のためにも、言い切ってほしいな。ほら」
促しながらも、自嘲する。大した歪みようだ。相手の心を外から無理やり捻じ曲げながら、相手のことを想っているかのような発言をする。矛盾の塊である。
「主、以外に」
言いかけた言葉が、再び止まる。セラが自身の首に手を当てて苦しそうに喘いでいる。病気持ちということもあり、負担が増しているのかもしれない。
引き上げるか悩んだところで、息をつまらせながらのセラの発言があった。
「き、記憶を、読ま……、れる、か、可能性が、ごほっ、あ、ある場合……」
そのとき、セラの視線がはっきりとブライトを捉えた。意識が混濁しているのだから、普通ではありえないことだ。だからこそ、驚いて息を呑んだ。
「その命を、絶つ、こと」
セラはそこで、言い切った。そして、まるで糸が切れたようにその場に倒れ込む。
魔術により齎された煙がセラを包んで彼女の中へと入っていく。煙は、セラの口や鼻から脳へと辿り着き、先程の言葉を指示として定着させる。これでもう、セラの意思など関係なく、魔術が効力を発揮する。同時にセラにはブライトの痕跡がつく。まるでブライトが所有物に名札でもつけたように、はっきりと感じられる。
「セラ、おやすみ」
とりあえず、もう魔術にやられて意識のないセラにはそう声を掛ける。そうしていると、拍手が上がった。
「大した魔術だ。まさかこれほど短時間で掛けてしまうとは」
振り返ると、ヴァールと付き人が感心の表情をしている。
「そのために、散々寄り添う素振りをみせたんだよ。互いに忙しいもんね」
セラが早く魔術に掛かったのは、それだけブライトへの抵抗がなかったからだ。セラにブライトへの敵意や不信感が少しでもあれば、連続で放った魔術に耐えられず心が軋んで壊れていた。はじめから、そうならないためにブライトはセラへの扱いに気をつけていたわけだ。他の『魔術師』と違い、真摯に向き合う姿勢を見せていたつもりなのである。
「末恐ろしいことだ」
付き人が気を失ったセラを麻袋に押し込むのを眺めていたら、ヴァールにそう感想を述べられた。
「そうかな? ヴァールだって、手伝ってくれたよね」
ブライトの心象が良くなるように、リストの提示を渋ったり手錠を外すことを拒んだりわざとブライトのことを人が良いと言ったりしてみせたのは、他ならぬヴァールだ。だというのに、何か言いたそうな顔をされる。
「何々? どうかした?」
「……こうはいってはなんだが、普段ブライトのことを皆が何と呼んでいるか知っているか」
「さぁ?」
当然知っていたがわざと首を傾げると、ヴァールは告げた。
「『アイリオールの魔女』だ。貴女の祖母の再来だと」
ブライトは歯を見せて笑った。
「それは光栄だね」




