その815 『貴女ハアタシノ』
先頭にカタラタを進ませながら、ブライトは小声で聞いた。
「どうもご苦労をされているようですね」
「本当にお見苦しいところを失礼しました。よもやブライト様にまでご迷惑をお掛けするとは……」
「気にしていません。それもり、あの方は何なのですか」
ただの看守にしてはあまりに態度の大きいカタラタへと視線を送る。背中を向けたままなので、何を考えているのか、はかりにくい。
「分家の者です。あちらは子供に恵まれていまして、私の跡はあの者がグレイス家の当主になるでしょう」
内心信じられない気持ちでいっぱいになった。先ほどの様子を見るに、カタラタで特別区域を管理していけるとは思えない。いずれヴァールの跡を継ぐからといって、現当主をさしおいて勝手に行動し、挙げ句バレた後には開き直って他人に罪を押し付けるような男なのである。
「失礼ながら、他になり手はいないのですか」
ヴァールは薄く笑った。
「沢山おりましたよ。特別区域は、重要度の高い施設です。多くの者がその所有権を欲していますとも」
ヴァールはそれだけ告げると、足を速めた。アイリオール家の問題で頭の痛いブライトとしてはよく分かる内容ではある。
だが、それがカタラタの先程の行動になると言われてもすぐには繋がらない。重要度が高いのならばむしろ、優秀な人間こそ最後に残るだろう。第一印象が悪すぎるせいで、カタラタでは、性格に難がある準魔術師にしか見えないのだ。それでは最後まで残れまい。
ついでにいうと、先程のだましうちのようなやり方はブライトだからこそ気が付けたというよりは、比較的すぐにバレるものだ。というのもあの異能は、光の屈折で歪ませたものであった。つまり、触れればすぐに通り抜ける。ヴァールであれば、まず気がつくだろう。
――――裏に誰かいるのかな。
言葉には出さず、口の中だけでそう思考の断片を口にする。
ただの嫌がらせの説も考えた。ブライトではなくヴァールに対しての嫌がらせだ。ヴァールに恥をかかせることでヴァールの失脚を狙っているのかもしれないと想像する。
ただ、それだとカタラタが得られるものがほぼない。分家だから蔑ろにできないにしても、あまりにひどければ左遷の理由になる。
そうなると、普段のカタラタは先程のような行動を取る人間だが、裏にいる人間が上手いこと操作して彼を特別区域の後継者に至らしめているということかもしれない。裏に誰がいるのか分からないので、ヴァールは下手に動けずにいるのだろう。
「チェスを好まれると言っていた意味が段々わかってきた気がします」
先を行くヴァールには聞こえなかったようで、振り返りはしなかった。
「こちらです」
カタラタが扉を開けると、その先に見知った女がいた。椅子に座らされて、手錠をされた腕を後ろで縛られている。そうして先程と異なることに、女は紫の瞳を真っ直ぐにブライトたちに向けていた。その顔に怯えはない。ただし、その片頬は不自然に青くなっている。
「傷があるみたいですが」
カタラタに視線をやると、見事に避けられた。なるほど、これを誤魔化したかったらしいと理解する。商品扱いの『異能者』だ。商品に傷をつけたら、当然問題になる。
「繰り返しになりますが、後できつく言っておきます」
「そうしてもらえると。さすがにアイリオール家に楯突くような輩に同じ『魔術師』を名乗ってもらいたくないですから」
暗に左遷したら? と脅しを掛けてから、女へと向き直る。カタラタもそこまでは愚かでなかったようで、魔術の痕跡はない。それには、ほっとした。
「ところで、彼女と会話をしても?」
「はい、勿論」
ヴァールの許可をもらったことで、ブライトは堂々と前に出た。
「こんにちは」
とりあえずまずは挨拶だろう。にこっと笑って、女に近づく。
女からの返答はない。ブライトを見て、少し驚いた顔をしていたのは知っている。子供がやってきた、とでも思ったのだろう。確か、十二歳で成人を迎えるのはシェイレスタならではであり、他の国はだいぶ年がいってからだ。
「あたしは、ブライト。ブライト・アイリオールだよ」
次は自己紹介だと気が付き、名前を告げる。暫く待ってみたものの、返事はない。警戒しているようだ。
「あなたの名前は?」
とりあえず聞いてみた。
「……では?」
何かを告げようとしたようだが、聞こえなかった。声が掠れているようだと気づく。
「あの、あまり近づいては危険かと」
後ろでヴァールが止めたが、ブライトは気にせず女に近づいた。異能を封じられ縛られた『異能者』に近づくことに、危険も何もないはずだ。ましてや、近づかないと聞こえないほどに相手の喉は枯れていた。
「聞こえなかったや、もう一回言ってもらってもいい?」
耳を澄ませると、掠れ声ながらようやく聞こえた。
「ご存知では?」
確かに、ブライトは女の名前を知っている。プロフィールを予め見せてもらっているために、年齢さえ分かっている。
けれど、それでは公平ではないと思うのだ。
「あなたから直接聞きたいんだよ」
変わったものを見る目つきをされた。よほど、イクシウスでの待遇が悪かったのかもしれない。或いはカタラタを見て、幻滅していた可能性もある。
それならば、好都合だった。彼らとは違うことを示さねばならないと考えていた。
「セラです」
名乗られた名前が、すっと耳に入った。
「よろしくね、セラ」
これできっと、最初の挨拶をするという工程はクリアしたはずだ。そう認識を得たからこそ、ブライトは続けて発言する。
相手の反応を予測した上で、ヴァールたちにも聞こえない声ではっきりと囁やいた。
「よかったら、あたしの『手』になってくれないかな」




