その814 『特別区域ニテ』
特別区域と呼ばれた建物のなかは、想像以上に何もなかった。出迎えた兵士たちが丁重に礼をするぐらいで、装飾品も絵画も、何一つ飾られていない。照明ですらただの球体が壁に取り付けられているだけだ。装飾品に溢れたヴァールの屋敷とは段違いである。
「こちらです」
ヴァールの案内に従って、灰色の壁に覆われた狭い階段を淡々と下っていく。暫くはヴァールとブライト、付き人の男たち四人の足音だけが、響いていた。想像以上に長い階段が終わると、今度はくねくねとした廊下が続く。迷路のように入り組んでいるので、ブライト一人なら道に迷うことだろう。
更に何回か扉を開けると、いっそう暗い場所に出た。左右の壁の代わりに狭い牢に挟まれる。目を凝らした限りでは、牢には誰もいないようだ。代わりに鞄らしいものが幾つか見えたので、荷物置き場になっているのだろうと推察する。
「ここからが『異能者』のいる場所です」
頑丈そうな扉の前で、ヴァールはそう言いながら足を止めた。
「ここからの出来事はくれぐれも他言無用でお願いします」
付き人によりがらがらと開けられた扉の先に、長い通路が見えた。早速歩き出すと、人の気配と水の音、何かを回すような音が聞こえてくる。
やがて、幅広の道に出た。目の前には格子が広がり、そこには人々の姿がある。案内されるまま道を折れながらも、ちらちらと様子を観察する。
ごった返すそこでは、子供も大人も関係なく、多くの人間たちが必死に水車を回していた。私語一つ零さず、ひたすらに歯車を回す姿はどこか異常だ。そう感じてから、魔術の痕跡に気がつく。恐らくは、この場の誰もが魔術を掛けられている。詳細は不明だが、進んで肉体労働をこなそうとする魔術だ。
「あれは何をしているのですか」
質問をしたところ、ヴァールに渋る顔をされた。
「そちらはあまり力を持たない者なので、ご紹介したい者とは違います」
どうも、説明をしたくないようだ。それもそうだろうと、納得する。倫理的に問題があるのもそうだが、水車を回すことで得られる恩恵を都が受けているだろうと分かったからだ。シェイレスタの都は、大勢の『異能者』の強制労働のうえで成り立っている。その可能性に思い至った。
更に、納得がいったのは、ちらりと顔ぶれを確認できたからだ。顔写真だけの知識だが、彼らの中に『魔術師』が混じっているのである。進んで労働をする『魔術師』の男はやせ細っていて、今にも倒れそうであった。やはり、不要になった『魔術師』もまたここに送られるのだろうと推定する。ブライトもいずれ、王家に不要と判断されればここで働くことになるかもしれない。
将来の職場に思いを馳せながら歩いていると、次の扉にたどり着いた。
「こちらです」
扉の先では廊下が続いている。そこを進んだ先に、目的の女がいるらしい。何度も分岐を進み、ようやくたどり着いたのは、カウンターのある部屋だ。そのカウンターには看守の男が立っていた。
「お疲れさまです」
男はそうヴァールに声をかけると、すぐにカウンターの隣の扉を開ける。先に中に入ったヴァールに続くと、長い廊下が続いていた。ヴァールが暫く歩くと、ある前の牢で看守の男が立っている。
「お疲れ様です」
同じ挨拶をされて、ヴァールは小さく会釈をした。付き人の男たちも同じように会釈をする。看守の男はそれを確認すると、すぐに牢の鍵を開ける。
「どうぞ」
ヴァールに続いて牢に入ると、椅子が一脚中央に用意されていた。そこに、紫の髪の女が背を向ける形で座っている。両手を椅子の後ろに回され異能を使えないように手錠をされたうえで固定されていた。その白くて長い指は何も触ったことがないように美しい。ヴァールに沿って女の先頭まで移動してから、顔も拝んだ。白い肌に細長い顔つきは、ブライトよりもずっと大人の表情だ。すらりとした美人ではある。写真で見せてもらった顔で違いない。
だから、すぐにヴァールを責めた。
「あたしを試しているんですか」
ヴァールはよく分からないという顔をした。それが、演技にしか見えない。約束と違うのは疑いようもない。
「それはどういう」
「この方には魔術が掛けられているではないですか」
ばれないとでも思ったのだろうか。だとしたら、ブライトは相当になめられている。わざわざ犯人を見せて痕跡を辿れるようにしているのだ。
「この方に魔術を掛けたのはそこの男でしょう」
びくっと肩を強張らせたのは、牢の外にいる看守だ。
「カタラタ。どういうことだ」
そこでいつにもまして低い声で問い詰めたのは、ヴァールである。ブライトはその反応にきょとんとした。
「今の話は本当か?」
「あ、いえ」
カタラタと呼ばれた看守はきょろきょろと視線を彷徨わせる。そうして何か答えを見つけたのか、さっぱりと言い放った。
「ご案内先を間違えたようです」
何を言われているかよくわからないという顔は、ブライトとヴァールがした。
その間に牢に入ってきたカタラタが女に向かって声を張る。
「お前が、下手な異能で光を歪めたんだな!」
そうして鞭を取り出し、叩きつけた。
ガンという衝撃とともに、座らされた女ごと椅子が前に倒される。途端に、女の姿がぶれた。あっと思ったときには、ブライトの前で変わらず椅子に座る女と椅子ごと前に倒されて痛そうに倒れる女の二人が現れる。倒れた女は茶髪であり、ブライトからみてもずっと子供だった。
それで気が付いた。ブライトがよく使う魔術と同じ原理だ。光を歪めている。ブライトは姿を消すことしかできないが、どういうわけか異能ではそこにいない人物を映すこともできるらしい。
そう考えてから気が付いた。近くの牢に本物の女がいるのだ。それをこの茶髪の少女が異能でここにいるかのように見せている。
これが異能なのかと感心する。ブライトでもまるで把握できない高度な事象を、『異能者』は感覚だけで使ってみせる。
「この!」
叩きつける鞭の音に、感心している場合ではないと気が付いた。カタラタは倒れた少女相手に更に鞭を叩きつけている。痛そうに悲鳴を上げる少女を見て、再度鞭を振り上げ――――、
「やめろ!」
ヴァールの一喝がそれを止めた。
「客人の前で見苦しいだろう」
そう告げるヴァールの顔色は赤く、怒っていることがよく伝わってくる。
「しかし、この女に制裁を加えなければ」
そう口答えするカタラタに、ブライトは内心信じられない気持ちでいっぱいだった。この少女にはカタラタによる魔術が掛かっている。それに、少女の手にも異能を制限する手錠を嵌められている。だとすれば、この光は手錠をかけられる前に少女が用意したものであり、用意させたのはカタラタだろう。
少女に罪を押し付けるためだけに、下手な芝居をしているわけである。そんなことのために、不当に少女は鞭で打たれたわけだ。
理不尽な出来事を前に、初めてふつふつと怒りが湧いた。
「話になりませんね」
感情と裏腹に、冷たい声が出る。
「どうせ見せるならもう少し上手い芝居にしては?」
こんな仕方のない茶番はブライトでもやらない。それにできれば、皆が笑えるようなハッピーエンドな芝居が見たいものだ。
「し、芝居?」
よく分かっていないようでオウム返しに口にするカタラタに、ブライトは続ける。なるべく、怒りが見え隠れする表情を作った。
「えぇ。あたしにはそうとしか見えませんでした。本当に制裁が必要なのは、どちらなのでしょうか」
「これはアイリオール殿。うちの者がとんだ失礼を致しました」
すかさず、ヴァールからそう告げられる。
「この者にはきつく言い渡すゆえ、どうかお見逃しをお願いしたく」
庇うのだなと不思議に思った。
「甘くないですか? アイリオール家の人間を憚ろうとしたのです。すぐにでも左遷するべきでは?」
カタラタはそこで初めて蒼白になった。それを見て、溜飲が下がる。冷静になれ、と自身に告げる。ヴァールがすぐに庇うということは、かなり焦っている。それを見れば、今ここでカタラタを罰するわけにはいかないのは伝わる。ひょっとしたら、王家の関係者かもしれない。そんな考えが過る。
「しかし、ヴァール殿の頼みとあれば無下にはできません。あたしも早く目的のご本人にお会いしたいですし」
「寛大なお心、ありがとうございます」
向き直ったヴァールがカタラタに告げる。
「案内しろ」




