その813 『人ヲ売リ買イスル国』
明明後日の午後のこと。ブライトはかたかたと揺られながら向かいに座るヴァールを観察していた。
今のブライトはローブ姿だ。招待状にあった時間にヴァールの屋敷に向かったところ、出迎えたヴァールから自分のラクダ車に乗るようにと言われた。そうして乗り込んだところ、ヴァールが向かいに座ったのである。
ヴァールの話では、暗示を掛けられていない状態の力のある『異能者』が手に入ったのだという。危険な『異能者』を王家が手放すはずがないと考えていたので力の内容を聞き驚いたものだ。それまでは音沙汰がなくて当然ぐらいに捉えていた。
だからこそ、ラクダ車が向かう先が必ずしも特別区域とは限らないとも想定している。ラクダ車のどこかに仕掛けてある法陣でブライトを拘束し殺したあと、たどり着いた場所で遺体を投げ捨てる、といったことも十分有り得そうだ。
「緊張されていますかな」
警戒を緊張と見たらしく、あくまでゆったりとヴァールが尋ねてくる。
「そう見えますか?」
「はい。私にはあの素晴らしかった成人の儀よりも緊張しているように見えます」
ヴァールもブライトの成人の儀を見ていたようだ。あのときは、フィオナやミミルといった令嬢を探しても見つからなかった。それ程には緊張していたし、人も多くやってきていたともいえる。
「あたしは小心者でして。成人の儀もああ見えて緊張しておりましたよ」
どの口が言うのだという顔をされたのは、少々心外である。
「ご冗談を。獅子に包まれた姿さえ、とても堂々としておりました。王家の方もたいそう感服されたとか」
笑って受け流しながら、ヴァールの悪意のない感想を吟味する。
この様子を見るに、どうもヴァールはブライトの遺体をどこかへ投げ捨てたいわけではなさそうだ。少々警戒しすぎたかもしれない。
そうすると、本当に『異能者』が手に入ることになる。
「それに、あたしは今、緊張というよりはわくわくしています」
気持ちを切り替えたブライトは、にこにこと笑みを浮かべた。
「わくわくですか」
当惑されたが、気にせず続ける。
「買い物は楽しくしてこそ、でしょう?」
ヴァールの顔が僅かに引き攣る。その瞬間を見逃さなかった。
「その、おすすめの『異能者』について詳しくお聞きしても?」
今までは発言できそうな雰囲気ではなかったのだ。空気の変化を感じて、会話を始める。
「勿論です。お伝えしたように変身を得意とする異能の持ち主で、貴方と同じ女性です。私が確認したときは鳥になりましたが、かなり自然で精度が高く見受けられました」
精度が高いと聞いて、内心浮かれかけた。ブライトの筆跡まで真似られる変身の異能の使い手が、代わりに執務をやってくれる想像をしたからである。
「それは、また。どうして王家の方はお許しに?」
「病です」
あぁ、と落胆しかける。
「何らかの病に掛かっているようで、無理に動かすと身体を壊します」
病の重症度によるが、執務ぐらいなら大丈夫そうかなと頭の中で算段をつける。病人を働かせるのは良い気はしないが、それぐらいの問題がなければ王家も見逃してはくれないだろう。
「こちらがプロフィールです」
見せられた写真には、ブライトよりは十歳は上に見える顔立ちの良い女が映っていた。女の名前は、セラ。出身は、イクシウスとある。
「実はイクシウスから送られてきた者は、こういう欠点を多く持っていまして。こちらも似たようなことをしているとはいえ、頭が痛いものです」
その言い草からするに、イクシウスとは『異能者』の交換を良くしているらしい。
そう考えてから心のなかで否定した。交換という言い方では、完全な物扱いになる。正しくは、こうだ。
―――シェイレスタはイクシウスと人身売買を行っている。
一つ間違えれば大問題になりそうな事実だが、当たり前のようにこうして蔓延っている。強国イクシウス側の要望か、シェイレスタが打診したのか、いずれにせよ政治的な背景が絡んできそうだ。
「そうそう。そういえば、確認したいことがありまして」
あくまで軽くみえるように意識して、ブライトは他の話をすることにした。
「なんでしょう」
貰ったプロフィールをパラパラと振ったので、ヴァールが若干焦っている。折り目などつけられたくないらしい。
「前回見せていただいたリストにいたミドという少女なのですが、まだいるでしょうか」
ヴァールはそこで考え込む顔をした。
「……もしや欲しかったのですか」
「いいえ、少し気になっただけです」
明らかにほっとした顔をされて、嫌な予感がする。決して、ブライトがプロフィールを手放したことだけが安堵の理由ではなさそうだ。
「それは良かった。実はもう買い手が下りまして、恐らくはその……」
「生きていないと?」
「大した力が発現しなかったので、そう……、ですね」
役に立たないので魔術の実験台にされたはずだと、ヴァールは言っているのだ。どのような死に方かは分からないが、ろくでもないことには違いない。心が壊れた人間の顔を思い返す。ミドのことはやはり、ヒューイに伝えなくて良かったのだと実感した。
「そろそろ、到着です」
ラクダ車の前方から声がした。ヴァールの御者のものだ。
やがて、かたかたと音が鳴ったと思ったら、ラクダ車は止まった。
「ここから少し徒歩になります」
ヴァールはそう告げて、ブライトをエスコートする。
大人しく手を取り地面に下り立ってから、目の前に聳えた建物に目を止めた。
窓が一つもない無機質で頑丈そうな建物はブライトの知る屋敷のどれとも違う。入り口には兵が立ってこそいるが、人を寄せ付けない雰囲気がある。だからこそ、ここが正しく特別区域の入口だと悟る。このなかで、『魔術師』は『異能者』を捕らえて己の好きなように彼らの人生を壊しているのだ。




