その810 『表現スルハ』
動揺が収まらない会場を前に、ブライトは仕掛けた魔術を発動する。
照明が落ち、暗くなった。人々のざわめきが静まったところで、天井のところどころに魔術による明かりが灯される。その光は青、白、赤、黄ときらきらと色を変えていく。
そこに、水でできた鳥たちが姿を現した。以前一部の者には見せたことのある鳥から、一回り程大きくなっている。光を浴びたそれらの鳥は、流れる水である自身の体を極彩色に美しく輝かせていた。
硝子細工のような繊細さで軽やかに会場内を飛ぶ鳥は、全て計算通りに楽しげに動かされる。それは鳥たちによる舞だ。感嘆がどこからか溢れる。
光を少し弱めると、会場の後方を代わりに照らす。今度の光は赤黒いドロドロとした色合いだ。そこに、雄々しい炎の獅子が登場する。観客に熱を感じさせないぎりぎりのところで浮いた獅子は、王城のタペストリーと似た造形をしている。獅子が一声吠えると空気が振動し、その場にいる者の耳に獅子の猛る声が響いた。
そして獅子は空を自在に駆け、水の鳥たちへと向かっていく。多くの鳥たちが慌てたように逃げた先は、会場の中央だ。そこに、集まった水の鳥と炎の獅子とがぶつかりあった。ドンという大きな音が響き、会場の空気を大きく揺らす。蒸発したそこからは白い煙が上がり、状況はよく見えない。暗がりで数人の貴族たちが目を凝らそうと前に乗り出したのが見えた。
やがて、煙が収まるにつれて獅子の姿がゆっくりと浮かび上がる。まるで陽炎のように揺らめいた後、獅子は歩き始めた。会場の中空から地面すれすれへと、見えない階段を下りていく。近くにいた者は、じりじりと燃える熱さを肌に感じたことだろう。火傷はしないように調整しているが、猛る獅子は炎そのものだ。階段に敷かれた絨毯を踏むようであれば途端に炎として広がる。だから、限りなく近い地面へと辿り着いた獅子の姿は、緻密に計算したうえで辿り着いた限界だ。
そうして、技術の高さを披露した獅子は、実際にブライトの元へと向かうべく階段を登っていく。その姿はどんどん大きくなり、会場全体にも熱をもたらした。周囲を、喰われたと思われた水の鳥がその姿を小さくして飛び交っている。きらきらと光る明かりは天井や中空に浮かび、猛る獅子を歓迎するように踊った。
そしてブライトのすぐ近くまできた獅子は唸り叫んだあと、ブライトに飛びかかった。ブライトはそれを受け入れるように手を伸ばす。
次の瞬間、会場中が真っ暗になる。一瞬、誰かの悲鳴が溢れた。実際に、炎に包まれたブライトの姿が掻き消えたからだろう。
会場内の人間の何人かはそこで気がついた。階段を中心に、徐々に風が舞いはじめていることにだ。それは今までの雄々しさとは違う、柔らかな風だ。やがていろいろな色に光る明かりが再び鈍く輝き出した。天井に会場の上空に、花の形に変えた明かりが咲き乱れるように広がっていく。幻想的な光景に誰かの溜息が溢れた。賑やかな音楽が流れていくと同時に、照明がついた。
いつしか、先程呑まれて消えたはずのブライトが、腰を折って礼をしている。
「ありがとうございました」
それが、ブライトのお披露目の終わりの合図である。遅れて拍手が、会場を満たした。
「なるほど、あなたらしさに溢れた成人の儀でしたね」
お披露目が無事に終わり王妃に呼び出されたブライトは、成人の儀について感想を受けた。
ブライトは、これで成人を迎えた。その後の個人的な祝福として、アンジェラ王妃からのお茶会を受けたのである。そのため、今のブライトはさすがにドレス姿だ。部屋を借りて、念のため用意しておいた予備のドレスに着替えてある。だからこそ、美しい王妃を前にするとブライトのドレス姿など霞んでみえる。特に一対一で、こうしてテーブルに向かい合わせに座っていては、あまりに不釣り合いだ。
「獅子はシェイレスタの象徴。喰われた鳥は先住の民。あれは、この国の建国の歴史を現した内容でした」
犠牲なくしては、シェイレスタは興らない。それはブライトの生き方のようであった。だから、再現することにした。アンジェラ妃は気を悪くするかと思ったが、特に気にした様子は見せなかった。獅子が呑み込んだ後も鳥が飛び交っていたように、力なき者たちが従うのは当然のことであり、喰われた鳥は赦されたと見たのだろう。
「貴方が獅子に呑み込まれるのも、王家に従うという意思にとれましょう」
ブライトが真に考えているのは母のことであり、シェイレスタは次点だ。けれど、嘘はついていない。成人の儀では、まず当主の座を下りるつもりがないことを男装で主張し、王家に従う意思があることをお披露目で示した。そして技術力と知識の深さに加え、繊細さと勇猛さを併せ持った演出力の高さもしっかりアピールしたわけだ。
「それに、力を解放することしかできない魔法石では、決して成し遂げられない演出です。はじめの鳥も途中の獅子も、あれ程精密に動かせる者は世界において他にいないでしょう」
動物たちの動きもだが、自分で出した明かりや炎の光のせいで自分の姿が上手く消えないなんてことがないように計算するのにも苦労した。その甲斐あって、最後にブライトが現れたように見えたのだ。
「勿体ないお言葉です」
お礼を言いながら、王妃のふっくらとした唇が躊躇うように開かれるのを目に捉えた。
「そのあなたに、お願いがあります」
一体何を頼まれるのか、ブライトは頭を働かせる。当主の座を受けるように言われるのか、或いは没収されるのか。成人を迎えた今、王家の結論が出てもおかしくないと考えていた。
故に、ブライトは少しでも情報を得るべく、王妃の仕草一つ一つを確認している。
今も王妃は、長くすらりとした指でティーカップを握りしめている。そうして一口口につけた。その姿は至って自然体だ。
「息子の家庭教師をしてほしいのです」
出てきた言葉は、ブライトの予想を容易く超えた。
「あたしが、ですか?」
勿論、魔術の家庭教師だろう。それは分かるが、問題になっているアイリオール家に頼むようなことでもないとも感じる。
「はい。息子の希望でもあるのです。貴方ほどの『魔術師』であれば、きっと習得も早いだろうと」
思いがけない内容に過ぎた。王家の家庭教師をしているのであれば、それだけで箔がつく。アイリオール家を継ぐことを認められるための大きな一歩、否、王家はブライトを当主として認めたと言ったも同然のことである。
「是非、受けさせていただきたく存じます」
王家にかつて呼び出されたことを思い出した。もしかすると、そのときから目をつけられていたのかもしれないと考える。問答の答えが、王家の望みに叶っていたのだろう。




