その808 『成人ノ儀ヲ前ニ』
「昨日は体調不良でお休みと伺いました。今日のお食事は如何しますか」
「軽めでお願いしたいかな」
「かしこまりました」
ミヤンに返しながら、今朝読んだ手紙の返信内容について認める。そうしながらも、いつもと同じ光景に、屋敷は一日外したぐらいでは驚くほど変わらないのだと実感する。突然の不在が、体調不良で通っていたのが大きい。これは、母の采配のようだ。
ブライトがいなくても回っていく世界に、ふと寂しさを覚えた。それから、その考えはあまり良くないと切り替える。そんなことでは母に心配を掛けてしまう。
「失礼します」
トントンとドアを叩く音を聞き、意識を引き戻された。
「報告に参りました」
ハリーが扉を開けてやってくる。一通り報告を聞いたあとで確認した。
「ハリー、それじゃあ買い出しは特に何もなかったんだね」
「はい」
「今度は、巷の噂話も聞いてくるようにしてもらえると助かるかな」
「噂話でございますか」
「うん。魔物の何に困っているとか、誰かが行方不明になったとか、最近雨が降らないとか、何でも良いよ」
「かしこまりました」
都の情報について、官吏の認識と不一致がありそうなのでハリーに情報収集を頼む。情報を得るための手段は多いほうが良さそうだという判断だ。
報告が終わると、今度はウィリアムを呼んだ。
「ウィリアム、お疲れ様。図書館に代わりに出向いてくれたって聞いたよ」
「はい。書類を返却させていただきました」
「ついでに聞きたいんだけど、そこで騒ぎになっていたことってある?」
「いえ、いつも通り静かでございました」
ワイズについて何か情報がないか探ってみたいところだが、やはりそう簡単にはいかなさそうだ。城にいけば、貴族たちの噂話は入りやすいはずだが、参上できるのは議会参加者に限る。ブライトは未成年且つ当主でもないために議会にも出向けないのだ。だからこそ、ジェミニと会う機会を得られずにいるともいえる。
大きな騒ぎになったか知る他の手段としては、貴族たちの憩いの場である、図書館やサロン、舞踏会などに出向くことがある。あとは、地道に数人規模のお茶会を使うしかない。次のサロンにはまだ日数があり、舞踏会は未成年の参加が認められていない。そのため、このあとのお茶会で聞いてみるつもりだ。
物思いに沈んでいると、ノック音がした。
「ブライト様。お食事をお持ちしました」
ミヤンがそう言って持ってきてくれたサンドイッチを早速手に取る。卵の入ったサンドイッチは質素だが、美味しい。
「ミヤン。今度から串肉でもいいよ」
ミヤンは首を傾げる。
「作ったことはございませんが」
どうも市場の串肉は、ミヤンの生活環境とは違うところにあるものらしい。メイドの生活は、なんだかんだ貴族区域のなかにあるものだということを、今更ながら意識する。
優秀故に貴族区域まで通っていたハレンと、元々メイドのミヤンとはまた事情が違うのだろう。
とりあえず礼を言ってミヤンを帰すと、手元にある勢力図に目を向けた。いまやブライトにつく家は多い。あと手を打たないといけない家を挙げると、やることが見えてくる。令嬢がいる場合はお茶会から、そうでない場合は個別に手紙を送るなどして接触を図る。今まで通りのやり方だ。
弟を手に掛けようと、やはり何も変わらなかったと感じる。ただ、魔術が解かれたことで、母の信頼を損ねただけだ。
午後のお茶会はシャイラス家でおこなわれる。フィオナに早速ワイズの話をそれとなく聞いてみたが、小首を傾げられた。
「昨日の騒ぎですか? 私は聞いていませんが」
一緒の席にいるミミルを始めとする他の令嬢も、よくわからないという顔をしている。どうも、ネネのときと違い、大々的な騒ぎにはなっていないようだ。ジェミニは、騒動ごと隠し通すつもりなのだろう。
逆に言えば、ブライトの顔も割れていないと考えたい。ここぞと言うときにジェミニに提示される危険があるせいで、落ち着かない。人目のことさえ考えられずに逃げ出した自分を、今更ながら殴ってやりたかった。
「ブライト様は、そろそろ成人の儀ではないですか」
雑談のなかで、フィオナからそう発言があった。確かに、ブライトはあと少しで成人になる。
「ご衣装はどうなさるの? あ、ご当主になられるつもりなら社交界デビューのようなことはなさらないのかしら」
「……いろいろありすぎて、考えていませんでした」
貴族の成人の儀は、要するにお披露目だ。社交界に出て、魔術を披露することになっている。最も、殆どの新成人は、魔術を習得していない。だから、演出をする。パーティー会場の場で魔法石を光らせて、さぞ魔術を使ったかのように見せるのだそうだ。
ちなみに、新成人が魔術を使えないことは大抵の人間に知られている。ただ派手で綺麗なものが好まれるらしい。要するに、自己紹介を兼ねた見せ物だ。
そうして、印象に残る見世物を出すことで、自分を売り将来の結婚相手を探すのである。
「あら。しっかり者のブライト様には珍しいことですね」
そう言われても、困るのが本音だ。女の身であるブライトが将来の結婚相手を探すのは、相手先に嫁ぐことを意味する。そうすると、表向きはワイズに当主を譲ることになる。だが、ワイズは死んでおり、ジェミニはそれを隠している。
「いまだにいるかもわからない弟にも会えずじまいで、どうしたら良いのか分からずにいるんです」
ジェミニからは時折手紙が返ってくるようにはなっていた。しかし、『貴方達と会わせて無事ですむ確信がないうちは、会わせられない』などと明らかな時間稼ぎとしか思えない内容を綴られてしまっている。こちらが危険なことをしないと伝えても、返事の内容は変わらない。
「あたしに弟なんて、いないのではないかと疑ってしまいます」
「あらあら。私はお会いしましたよ。一度だけですが、利発そうでしたわ」
この話は前にも出たことがある。フィオナがワイズに会ったのは一年前だそうだ。
「どうしたらあたしは弟に会えるのでしょう」
「本当にそれは悩みどころですね。ご本人が拒否されているのであれば、手紙からはじめるしかないでしょうが」
ワイズに手紙を送ったところで、ジェミニが返信するだけである。本人に届くことはないのだから意味はない。それは、ワイズが生きていた頃でさえ、同じことだ。
とはいえ、フィオナも知っていてそう返しているに過ぎない。フィオナはこうして何度もブライトをお茶会に呼んでいるが、味方というわけではない。立場上中立のように話しているが、内心どう考えているのかはいまだに未知数だ。
「ですが、今のところ取り上げがないままきているのですから、良かったですね」
跡取りがいなくなった『魔術師』はその座を没収され、財産も領土も王家に返す。それが、一般的な規則だ。実行に移されていないのは、王家なりの考えがあってのこととなる。
実際に、今が猶予期間なのだろう。ブライトとワイズ、どちらかが当主を継げば話は解決する。それを決めるために、外堀を埋めていっていることは、王家も把握しているはずだ。まとまったところで、結論を出すつもりだったのだろう。
それが、延びに延びて、ブライトの成人の日のほうが先に来てしまった。
「社交界の話で、少し聞いても良いですか」
ワイズの話をしてもはぐらかされるだけ、王家の話をしたところで得られるものは何もない。よって、別の話題を出す。
「皆様は、どのような魔術のお披露目をされていたのでしょう」




