その806 『異ナル道』
食べ終わってから一休みをした。地下水路のなるべく暖かいところで身を寄せ合う。薬屋に治ったあとも寒さに気をつけろと言われたらしく、そうした。調子はだいぶよくなっていたが、調子に乗って痛い目を見ることもない。それに実際、地下水路の寒さは堪えた。なんともなさそうなヒューイが信じられない。
「そういや、お前、家はあるのか」
背中越しにヒューイの声を聞く。正直に言うと、少しだけどきどきとした。背中合わせとはいえ、異性とこうして触れ合う機会は今までになかった。
「あ、うん」
返事をしながらも、相手の温度を感じて堪らず伏せる。顔が赤くならないように気をつけて、再び顔を上げようとし、
「だったら、送っていってやるよ」
さらりと言われて、固まった。困ったからだ。確かにブライトには家がある。だが、帰りたくはない。帰ったら、ブライトはもうどうなるのか分からない。
「なんだよ。嬉しそうな顔をしろよ」
「え?」
背中合わせで顔なんて見えないというのに、不満そうに言われて、きょとんとしてしまう。
「家があるなんてすげぇことじゃねぇか。だったら、何が何でも戻らねぇとな」
きっと、ヒューイに深い意図はない。ただ、ヒューイは孤児で家がない。魔物が蔓延る地下水路が寝床であり、時々こうして出会う子供が同じ家族なのだ。
けれど、ブライトには元の場所を大切にしろと言われている気がした。
「う、うん」
頷くと、質問が続けられる。
「どこだ? お前のうち」
「えっと、あっち?」
急に言われてつい答えてしまった。しかも、方面を示しただけだったのに、その指の向きを追ったヒューイは明らかに気がついた反応を見せた。
「お前の家、お貴族様の屋敷かよ。ちえっ、だったらやるんじゃなかった」
「え?」
驚いた声になったのは、ばれたことに対してではない。ヒューイの声は言葉とは裏腹に嫌がっている感じではなかったからだ。
「串肉だよ。聞いているぜ、お貴族様は俺らのことなんか見ないでお茶会にかまけて毎日うまい菓子ばかりだって。そのメイドの子供ならおこぼれでなんかもらってるだろ」
「ご、ごめんなさい」
毎日お茶会をしているのは事実だ。美味しいお菓子がでているのも本当のことである。それが貴族の交流であり、ブライトの戦い方なのだ。
「なんだよ、やっぱりか。どんなおこぼれが貰えるんだ? すげえ甘いのか」
「いや、おこぼれはもらってないけど」
どちらというと、おこぼれでなくて本当に呼ばれて食べている。それに、ブライトはメイドたちにおこぼれを渡したことはない。お茶会では、そういう習慣は貴族にはない。
「はぁ? そんなら謝るんじゃねぇよバーカ」
バーカと言われてしまった。まさか、貴族なんですとも言えず、ブライトは黙り込む。少しして気になったことを聞いた。
「……ねぇ、ヒューイにとって、領主ってどんな人?」
シェイレスタの都を半分治めている、自分のことだ。
「ん? 腹の立つ奴。すげぇ悪徳な感じの」
聞くんじゃなかったと後悔した。なんとも言えない表情を浮かべそうになり、取り繕うのが難しい。せめて背中合わせで良かったと思うことにする。
「あいつらがマシだったら、俺だってこんなところでこそこそ盗みなんてしてねぇよ」
どきりとした。
「そうなの?」
「そりゃそうだろ。まともにご飯をたべられねぇから命懸けで魔物の出る地下水路に潜ってんだ。仲間も次から次へといなくなってるし」
ブライトの認識と一部食い違った。どうも相当数いたような言い方だと感じたのだ。万引き被害の話では、数人だと思っていた。気になって総数を聞く。
「人数? いっぱいいるぜ。親を亡くした子供なんて多いからな。あぁ、けど、ぱたっといなくなるのも多いから、何ともいえねぇか」
大半は魔物にやられたのかと思ったが、ヒューイの認識はそうではないらしい。
「あれは……、人狩りにあってんじゃねぇかな」
「人狩り?」
聞き慣れない言葉だが、ろくでもない響きである。
「どこかの誰かが、奴隷にして売ってるって噂。『異能者』ってことにして貴族様に売りつけてんのかもしれねぇし、臓器だけバラしてシェパングに売られてるのかもしれねぇし、分からねぇけど」
そんな話は屋敷では聞いたことがなかった。官吏からの報告に上がるのは魔物の被害や盗難だ。子供の声は官吏に上がってこないのだろうかと、心のなかで首を傾げる。逆に、ヒューイは捕われる側にいるのによく分かったなと感心した。まさにミドは『異能者』のリストにいたからだ。
「特に女は気をつけねぇとな。お前みたいなのは格好の的だぜ」
「そうなの?」
「そりゃ、女は立場が弱いものだからな。売るときも手続きが少なくていいから狙われやすいんだよ」
女の立場が弱いのは貴族ばかりではないらしい。
「ヒューイ、物知りなんだね」
「今そこでその感想出るか? お前大概大物だろ」
呆れられてしまった。こうした反応をされたのは初めてだ。
「あ、ありがと?」
「ほめてねぇよ」
返し方を間違えたらしい。段々笑いが込み上げてきて、声を出して笑った。話題は暗くとも、やり取りが楽しいなと感じる。
「ヒューイといると楽しいね」
「なんだよ、急に」
背中合わせのまま、ブライトは目の前に映る地下水路の壁を見つめた。そこは灰色に淀んでいて、暗がりでも汚れてみえた。
「ううん、思っことを言っただけ」
数時間休んでから、ヒューイに送ってもらった。本当はまだ少し気持ちの整理がつかないでいたが、ヒューイはヒューイでミドを探しに行きたいようだ。ブライトの存在が邪魔をしているとわかったから、声には出さなかった。同時に体調がどんどん良くなってきていることにも気がついていた。食事をしたのが良かったかもしれない。
「ほら、ここから貴族たちがいる区域だ」
ヒューイに声をかけられて、頷く。段差で引き上げてもらうと、更に奥に進んだ。
「ここだ。てきとうに蓋を開ければ外に出れるだろ。魔物は水のあるところによく出るから、間違ってもそこには近づくんじゃねえぞ」
「あ、うん」
詳しい説明に頷いていると、
「じゃあな」
とあまりにあっさりと背を向けられた。まさかのここでお別れらしい。
「あっ」
思わず手を伸ばし、少ししてから下ろした。本当はヒューイに付いて行きたいと引き止めたかった。あと少しで良いからもう少し一緒にいてほしいと甘えたかった。
けれど、気がついている。ヒューイとブライトでは、住む世界が違う。それは決定的で、覆らない。
「ありがと、ヒューイ」
振り返ったヒューイが手だけで合図する。
それを見て、まだ足りないと思った。こんな一言のお礼で終わって良いはずがないと。
「あの」
言いかけたものの、何を言えば良いか分からなかった。
「……探している人、見つかるといいね」
結局、言葉は見つからず、当たり障りのない発言にかわる。せめてミドが特別区域にいることを話したらヒューイの助けになったかもしれないが、理性がそれを止めた。ブライトが知るはずのない情報であると同時に、ヒューイがブライトを助けたようにミドを助けようとすると分かっていたからだ。ヒューイが特別区域に踏み込んだら、きっと助からない。
「あぁ、そうだな」
ヒューイは最後にそれだけを告げると、背を向けて去っていた。迷いのない足取りだった。




